静かに鎮座し、大切に守られる「心御柱(しんのみはしら)」とは
まるで深い森の中にある凪いだ湖のように、静謐で澄み切った空気が辺り一面に満ちている。
内宮の御正宮、その東隣にある、広さ6,804㎡(横54m×縦126m)の御敷地(みしきち)と呼ばれる空間は、前回の式年遷宮のときまで御正宮があり、次の遷宮時に再び御神体がお遷りになる場所。その中央、やや後方よりに、ぽつんと1つ小屋が建っている。
覆屋(おおいや)と呼ばれるこの建物は、御祭神の天照大御神が鎮座される御正殿があった場所で、次の遷宮時は、この位置に新しい御正殿が建てられる。覆屋の中には、旧正殿の床下中央部分に据えられていた、「心御柱(しんのみはしら)」と呼ばれる檜の柱があり、旧殿が撤去された後も、同じ場所にそのまま残されるという。覆屋は、その御柱を守るための小屋なのだ。


内宮の御敷地。左が覆屋。右に現在の御正殿の上部が見える。なお御正殿の中には入れるのは、祭主以下、大宮司、少宮司、上位の禰宜(ねぎ)といった、ごく限られた神職のみ。しかも祈年祭、神嘗祭、新嘗祭の年に3回のみ御扉が開く。


内宮の別宮、風日祈宮に向かう橋。
神様の世界と人間世界を繋ぐ「柱(はしら)」の意味
神道では、神様を数えるとき、「1柱(ひとはしら)」「2柱(ふたはしら)」のように、「柱」という言葉を用いる。そのことと、古来神聖視されてきた特別な存在という「心御柱」と、何か関係があるのだろうか? 神宮司庁の広報室次長、音羽悟さんにうかがった。
「いくつかの説が考えられますが、言葉の意味で考えると、柱は、『はし』と『ら』から成り立っています。『はし』は、たとえば宇治橋の『橋』のようにつなぎ止める役があり、『ら』は『間』という意味があります。『中間』は訓読みでは『なかま』ですが、祝詞(のりと=祭祀の際に神様に向けて奏上する言葉)では『なから』と読むんです。
ですから、『はし』に『ら』が加わることで、1本にまとまる、連なるという意味になる。つまり心御柱は、神様がいらっしゃる高天原と、我々人間が暮らす豊葦原(とよあしはら)の瑞穂国(みずほのくに)、すなわち地上世界をつなぐという大きな役目があるのかなと、私は思っています。神様の存在も、そんな柱としての意味が大きいのでしょう」。
合計125の宮社から成る神宮には、何柱の神様が祀られているのか?
では、伊勢の神宮には何柱の神様がいらっしゃるのだろう。
前回書いたように、伊勢の神宮は、天照大御神を御祭神とする内宮と、天照大御神のお食事を司る、豊受大御神を御祭神とする外宮の両正宮を中心に、14の別宮(べつぐう)、43の摂社、24の末社、そして、42の所管社の、合計125の宮社から成り立っている。
なかでも、両正宮の次に格式が高い別宮は、たとえば、内宮の荒祭宮(あらまつりのみや)や外宮の多賀宮(たかのみや)のように、両宮それぞれの御祭神の荒御魂(あらみたま)、つまり、神さまの穏やかな側面である和魂(にぎみたま)ではなく、活動的で積極的なおはたらきをされる御魂をお祀りするお宮や、天照大御神の親神や弟神をお祀りするお宮、そして、土や風といった自然の神を祀るお宮などが含まれている。
続く摂社は、平安時代中期に完成した古代法典、『延喜式』の中の『神名帳』に記載されているお社で、末社は、『延喜式』以前の平安時代初期に、神宮の神職が執筆し、朝廷に提出した公文書、『皇太神宮儀式帳』と『止由気宮(とゆけぐう)儀式帳』に記載されているお社という。
そして、所管社は、両正宮や別宮にゆかりのあるお社で、たとえば、神様にお供えする御米や野菜を育てる田畑の守護神を祀るお社なども含まれている。


内宮の別宮、荒祭宮。宮社の数は、別宮が内宮に2宮、外宮に3宮、摂社と末社は外宮のみにそれぞれ3社ずつあり、所管社は内宮に10社、外宮に4社ある。
もっとも、125社あるからといって、神様も125柱いらっしゃるかというと、そうではない。たとえば内宮の別宮、風日祈宮(かざひのみのみや)のように、1つのお宮に対して2柱の神様が鎮座されていることもあるからだ。
神宮全体で祀られている151柱の神々
「内宮の風日祈宮と、外宮の別宮である風宮(かぜのみや)の御祭神は、級長津彦命(しなつひこのみこと)と級長戸辺命(しなとべのみこと)という男女の神様です。ご夫婦かどうかはわかりませんが、御神名に関しては、律令制度が確立する奈良時代に規定化された可能性が高いと思われます。古い時代は、いわゆる八百万の神の、風の神をお祀りしていたのでしょう」。
ちなみに、両宮域内に限って言えば、御祭神の数は、内宮が14柱、外宮は16柱で、神宮全体では、151柱の神々が御祭神として祀られている。もっとも、祀られている形態はさまざまだ。社殿を有するお社もあれば、社殿はなく、石畳の上にお祀りされている場合もある。
改めて、意識して両宮域内を歩いてみると、これまで何気なく通っている場所に神様がいらっしゃることに気がつく。


内宮の四至神。五丈殿のそばの石畳の上に祀られている。


内宮の別宮、風日祈宮での祭祀に奉仕する神職
風の神、結界の神、橋の神……
さまざまな神様によって、守護されている神域
たとえば、両宮の所管社の1つ、四至神(みやのめぐりのかみ)は、両宮それぞれの神域の四方の結界を守護する神様で、内宮は2段になっている石畳の上に、外宮は、榊の木が立つ石畳の上に祀られている。
また多くの参拝者が行き交う宇治橋にも、守護神がいらっしゃる。宮域内ではないものの、宇治橋鳥居を背にした、正面に橋が見える場所に饗土橋姫(あえどはしひめ)神社があり、その名も宇治橋鎮守神という神様が、内宮の宮域に悪しきものが入らないよう、防ぎ守ってくださっているという。
なかには、神宮が創祀される前から祀られていたと思われる、土地に根ざした神様もいらっしゃる。
内宮、外宮が鎮座される以前の、古くから祀られる神々
その土地を守る神様も存在する
「外宮の別宮である土宮(つちのみや)の御祭神は、大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)ですが、古くからこの地の鎮守の神様だった可能性があります」と音羽さん。
ちなみに鎮守の神とは、一定の区域や場所を守る神様のこと。
つまり、本来神々は、それぞれ受け持ちの地域を持っているということだ。現在は氏神様、つまり、もとは同じ氏を持つ同族の人たちの祖先神として祀られ、時代とともに、地域の共同体の守護神となった神様や、自分が生まれた土地を守ってくださる産土神(うぶすながみ)と同じ意味になっているが、この土宮の御祭神は、本来の意味で、現在外宮のある山田原(やまだのはら)と呼ばれる肥沃な地を守護する鎮守の神様だったと考えられている。
一方、内宮にも、天照大御神が鎮座される前から祀られていると思われる神様がいらっしゃる。たとえば、内宮御正宮の神域内である御垣内(みかきうち)の北西の石畳の上に、石神として祀られている興玉神(おきたまのかみ)も、古くからこの地の土地神様(とちがみさま)だった可能性が高いという。


内宮の御敷地にある桜の老木。自生したと思われる。なお、御敷地内は通常入れないが、外宮のみ、御正宮に向かう手前に御敷地があり、覆屋を拝することができる。


外宮の別宮、風宮の社殿正面。
土地の神々が、安寧の場所・伊勢にお招きした天照大御神
「『おきたま』の『おき』は『奥』、つまり最も深いところにある、と解釈して、心御柱につながるという説もありますが、私は、もともとこの土地を守っていらっしゃって、天照大御神を『招(お)ぐ』、つまりこの地にお招きされた神様だと思います。それが中世になって、道開きの神様である猿田彦神になぞらえられるようになったのでしょう」。
つまりこの地には、もともと土地に根づいた神様がいらっしゃって、その神様を祀る人々が、皇室につながる天照大御神をお迎えしたのではないか、というのだ。お迎えするにあたっては、一番良い場所、つまり、現在御正宮がある場所に、当初からお祀りしたのではないかと音羽さんは言う。
「御正宮は宮域内で一番高いところにあり、水害の心配がなく、岩盤もしっかりしているようです。おそらく震度6ぐらいの地震では、びくともしないでしょう。古代の人たちは、長年の経験と勘で、直感的に良い場所がわかってお祀りしたんじゃないかと思います」。


五十鈴川には時折鷺の姿も見える。
自然への畏敬と土地神様への敬意の念が根底に宿る
ちなみに、10月に行われる神嘗祭(かんなめさい)と、6 月、12月に行われる月次祭(つきなみさい)の、いわゆる三節祭と呼ばれる大祭では、まず土地神様であるこの興玉神にお供えをし、奉仕する神職一同が、御神体である石の御前で、真心を込めて奉仕することを祈念する興玉神祭(おきたまのかみさい)が行われるという。
「古い時代から土地に根ざしている神様への敬意、おうかがいを立てているのだと思います」。
古来日本人は、自然に対して尊敬や畏怖の念を抱き、岩石や巨樹などに神霊が宿ると信じてきた。神々を「柱」で数えるのも、一説では、社殿が建てられるようになる前は、木の御柱に神々を招いて祭祀が行われたことによるとも言われている。
古くからの土地神様も、のちに鎮座した神々も、そして、八百万の神々も。さまざまな神様が、天照大御神という大いなる神様を中心に、ともに大事に敬われ、長い年月それぞれで祭祀が繰り返され、1つの調和した世界を築いてきた、それが伊勢の神宮であり、お祀りされている神々は、この地に積み重なる祈りの歴史を伝えている、とも言えるのだ。


24節気では、雨水(うすい)を迎える2月中旬、神宮でも少しだけ春の気配を感じる。
限られた場所にしか立ち入れないのは
人間が近づくことができないほどの神気ゆえのことか?
現在、天照大御神が鎮座されている御正殿は、四重の垣根、つまり、外側から板垣、外玉垣(とのたまがき)、内玉垣、そして瑞垣(みずがき)によって守られている。参拝者が入れるのは、南側の板垣と外玉垣の間の、ごく一部のみ。御正殿の外観さえ見ることはできない。なぜ見えない、近づけないのか、長年疑問に思ってきた。だが、御敷地に身を置いて、その疑問が少し解けた気がする。
天照大御神の、神宮での正式名称は、「天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)」。太陽にもたとえられ、日本全体を守護する総氏神とされている。その神様が、平成25年(2013)に隣の地にお遷りになった今も、御敷地の清浄さ、崇高さは保たれている。
ならば、現在高天原と地上世界がつなげる役目を担う御正殿の近くには、どれほどの神気が満ちているのだろう。想像の域を超える。
おそらく、我々一般人にとっては、適切な距離が必要なのだろう。思えば太陽も、直視すると目を痛める。だが、陽の光やその温もりは、目を閉じていても十分感じられる。天照大御神も、そういう存在ではないだろうか。神様とは、実に奥深い存在である。
Text by Misa Horiuchi
伊勢神宮
皇大神宮(内宮)
三重県伊勢市宇治館町1
豊受大神宮(外宮)
三重県伊勢市豊川町279
文・堀内みさ
文筆家
クラシック音楽の取材でヨーロッパに行った際、日本についていろいろ質問され、
写真・堀内昭彦
写真家
現在、神宮を中心に日本の祈りをテーマに撮影。写真集「アイヌの祈り」(求龍堂)「ブラームス音楽の森へ」(世界文化社)等がある。バッハとエバンス、そして聖なる山をこよなく愛する写真家でもある。
Premium Japan Members へのご招待
最新情報をニュースレターでお知らせするほか、エクスクルーシブなイベントのご案内や、特別なプレゼント企画も予定しています。
Experiences
Premium Calendar
永遠の聖地、伊勢神宮を巡る
Premium Calendar