令和15年(2033)に第63回式年遷宮が行われる伊勢の神宮。その壮大な準備が、令和7年(2025)5月2日の山口祭から始まったのは、この連載の第4回でご紹介したとおり。その山口祭から約1ヶ月、今度は新たな御正殿、つまり新宮を造営するための御用材を伐り出す「御杣始祭(みそまはじめさい)」が、長野県木曽郡上松(あげまつ)町の木曽谷国有林内で6月3日に執り行われた 。
祭場に立つ2本の大木は、樹齢およそ300年。これらは式年遷宮で用いられる特別な御用木(ごりょうぼく)の中でも、御神体を納める「御器(みうつわ)」となる最も重要な「御樋代木(みひしろぎ)」として選ばれた 。今回は、木曽の山中で育まれた大木が「御樋代木」として神宮へ迎えられる過程を通し、日本人が木という生命といかに向き合ってきたか、その精神と祈りを紐解く。
御用材を木曽で伐り始めるおまつり「御杣始祭」
「御杣始祭」は、御杣山(みそまやま)に坐す大神などに、これから御料木を伐り出すことを告げまつり、お供え物を捧げて新宮造営の安全を祈る祭儀。古くは、御料木を実際に伐り出す杣夫(そまふ)と呼ばれる人々が、御料木の根元に榊と御幣を立ててしめ縄を張り、御神酒を捧げて執り行っていたという。


内宮の「御樋代木」となる御料木。樹齢約300年で、直径は64㎝、樹高26mの大木。「太一(たいいつ)」は、天照大御神の御料であることを示している。


御杣始祭には、神宮祭主の黒田清子さんをはじめ、神宮大宮司、少宮司も参列。祭中、大宮司が御料木の前に進み出て、2礼2拍手1礼の参拝を行った。
祭儀は、内宮、外宮それぞれの御料木に対して行われ、常の通り、粛々と厳かに進められる。祭中には、神宮祭主の黒田清子さんが、御料木に向かって拝礼。祭儀の後は、「三ッ緒伐り(「三ッ紐伐り」とも言う)」と呼ばれる伝統技法によって、2本の御料木がともに伐り出された。
ちなみに「御杣山(みそまやま)」とは、式年遷宮のための御用材を伐り出す山を指し、遷宮が始まった持統天皇の時代から、神宮の背後にそびえる神路山(かみじやま)と高倉山が御杣山とされてきた。現在も式年遷宮の最初のおまつりで、山の口に坐す大神に対して行われる山口祭が、内宮は神路山のふもと、外宮は高倉山のふもとで行われるのは、その伝統を受け継いでいるからだ。
しかし、時代とともに良材を伐り出すことが困難になり、他の地にも御杣山が求められるようになった。ちなみに、他の地の御杣山の選定は、「御治定(ごじじょう)」、つまり、天皇陛下のお定めによって行われる。平安時代の中期以降さまざまな変遷を辿った御杣山が、現在の長野県、岐阜県の両県にまたがる木曽山に定められたのは、江戸時代からのこと。以後300年ほどは、木曽山中から御用材が伐り出され、今回の遷宮でも、「御治定」により、長野県の木曽谷国有林と岐阜県の裏木曽国有林から伐り出されることになったのだ。
樹齢約300年、高さ約26mの2本のヒノキを伐り出す
「三ッ緒(紐)伐り」を行うのは、内宮の御料木は「三ッ紐伐り保存会」のメンバー、外宮は神宮式年遷宮造営庁の職員の、それぞれ7人。作業を始めるにあたっては、まず内宮の御料木の総指揮を執る杣頭(そまがしら)が、斧(よき)の背の部分で、軽く3回ほど、御料木を叩くならわしになっている。


御杣始祭は、内宮、外宮それぞれの御料木の前で行われる。時折、お供えされた白い鶏(「生調(いきみつぎ)」と呼ばれ、祭儀がお供えされた後で生かされる)の鳴く声が、山に響き渡った。
「これは木にいる鳥などの生き物に対し、『申し訳ないけど、これからうるさくするよ』という心遣いです。もし何か生き物がいたら、どこかへ行ってくれますから」
そう話すのは、杣夫の1人で、前回の式年遷宮でも「三ッ緒(紐)伐り」を行った倉本豊さん。現在70歳の倉本さんは、木曽の御嶽山(おんたけさん)の強力(ごうりき=登拝者の荷物を持ち、地形や天気などを考慮した道案内や、御嶽山内の全山小屋と関わりを持つ総合職)を50年近く務める、まさにお山とともに生きてきた人だ。「三ッ緒(紐)伐り」を行うにあたっては、道具となる斧の手入れや、食事の節制など体調管理に心を配り、当日は身を清めて臨むという。なにせ斧を振り回す作業である。「怪我なく無事に」が、何より求められるのだ。
「三ッ緒(紐)伐り」は、木曽地方で古くから用いられてきた、斧のみで木を伐採する方法。並び立つ2本の御料木は、最終的に、それぞれがたすきがけのように交差して寝かさなければならない(杣夫は御料木を「倒す」と言わず、「寝かす」と表現する)ため、まず寝かせる方向を杣頭が確認。その後3点の「弦(つる)」、つまり、伐り残す部分を決めて、その弦だけを残すように、木の外側の3方向から中心に向かって斧を入れ、幹に空洞を作っていく。
貴重な御神木の伐り出しに立ち会う場に響く声
ちなみに、「御杣始祭」の当日は雨。降りしきる雨音に混じって、斧が木に当たる重く湿った音が聞こえてくる。何より鮮烈だったのは、ふとした瞬間に立ち上ってくる、清涼感あふれる檜の香り。


7人の杣夫が交代で、3人がかりで3方向から斧を入れ、幹に空洞を作っていく。


御料木が倒れる瞬間に出す音を、杣夫たちは「木がなく」と表現する。「鳴く」、「啼く」など、人によってさまざま解釈が違うようだ。こちらは6月5日に裏木曽国有林で行われた「裏木曽御用材伐採式」の様子。
やがて、1時間ほど経ったろうか。杣夫たちが作業を止めて傍に控え、入れ替わるように杣頭が1人御料木の前に進み出て、山に語りかけるように声を上げた。
「大山の神〜、左斧(ひだりよき) 横山(よこやま)1本 寝〜るぞ〜」
続いて、杣頭が3本の弦のうち、御料木を寝かす方向とは反対側にある弦を、力強く斧で叩いた。さらに、その動作を何度か続けた後、今度は木を見上げながら再び声を上げる。
「いよいよ寝〜るぞ〜」
なおも杣頭が斧を入れ、御料木がぐらっと動いたその瞬間、2人の杣夫が、見計らっていたように残りの弦を手早く斧で叩き始めた。すると……。
ギィーッ
鈍い音を立てて御料木がゆっくりと傾いていき、大きな振動とともに大地に横たわった。
続けて外宮の御料木である。
やがて、すべての作業を終えた杣夫たちは、先端が重なるように横たわった2本の御料木の前で1列に並び、深々と一礼。


御料木を無事寝かせた後、杣夫全員が1列に並び、御料木に向かって深々と1礼。
杣夫の経験を通し、「数百年も生きてきた木の生命をいただく、そのありがたみを強く感じるようになった」という倉本さんの言葉は、杣夫全員の想いでもあるのだろう。
美しい木曽ヒノキの再生と成長を祈る「鳥総立(とぶさたて)」
「三ッ緒(紐)伐り」はこれで終わりではない。最後に「鳥総立(とぶさたて)」が行われる。
『万葉集』にもみられるこの「鳥総立(とぶさたて)」は、伐り倒された木の先端の梢を根株に刺し、山の神から樹木の幹をいただくことに感謝を捧げる儀式。古来、木曽や飛騨地方だけでなく、東北などの各地で行われていたという。加えて、この儀式には、梢と根株を山の神にお返しし、樹木の再生を願う祈りも込められている。


樹木への感謝と再生を願う「鳥総立」。杣夫の間では「株祭(かぶまつり)」と呼んでいるという。裏木曽御用材伐採式で。


内宮、外宮の2本の御料木は、たすぎがけのように交差するよう寝かされる。こちらも「裏木曽御用材伐採式」の様子。
「またここに生命が宿って、立派な木になりますようにという願いです」と倉本さん。その言葉に続けた「鳥総立」についての説明は、この儀式が決して形だけではないことを実感させてくれるものだった。
根株に刺した梢は、正確に言えば、そのまま成長するわけではない。だが、御料木に斧を入れる際は、根株の中心に「酒1枡分」ほどが入る窪みができるよう意識しているという。もともと斧は平行に振れず、根株の窪みも自ずとできる。だが、「酒1枡分」を意識して作ることで、その窪みに雨水が溜まり、やがて苔むして、周囲の木から落ちた種を育てる、育苗の場所になるという。その種子は、根株の養分を吸収して徐々に根を伸ばし、その根がしっかり張ったところで、根株は土に還る。そんなふうに、木の生命は繋がっているのだ。
「木は伐って終わりではなく、ちゃんと管理して誘導していけば、また育ちます。そういうサイクルの中で、木も人間も生きているのだと思います」
木曽の街中での御木曳き行事の後、木曽川から伊勢へ奉搬
こうして伐り出された御料木は、その日のうちに、両先端を16面の「菊の御紋」の形に削る「化粧がけ」が施され、「御祝木(おいわいぎ)」、「御神木」として、沿道各地で丁重におまつりされながら、数日かけて伊勢へと奉搬される。


伐採された御料木に「化粧がけ」を施す杣夫。


御杣始祭の翌日に、長野県上松町で行われた御神木祭の様子。


岐阜県中津川市にある護山(もりやま)神社での御神木祭を終え、奉搬される御神木。荷台には榊8本を立て、紅白の幕としめ縄を四方に張り巡らせる。木曽谷からは長野県、岐阜県、愛知県を経て、裏木曽は岐阜県内を巡って三重県へ。
地域によっては、地元の人々が「御神木」を奉曳。なかでも長野県上松町では、御木曳車(おきひきぐるま)に「御神木」を載せ、多くの人々が木曽の木遣唄(きやりうた)とともに町中を練り歩いた。
「木曽の深山で育てたる 日の本一のこの檜、伊勢の社に納めます」。
誇らしくも一抹の寂しさを感じさせる木遣唄の歌詞や曲調は、まるで大事な娘を名家に嫁がせる親心を表現したよう。
伊勢へと向かう道中は、木曽の山中で育った大木が、「御神木」となって沿道各地の人々に奉迎、またおまつりされ、それによって神聖さを増していく時間のようにも思われた。
長い旅の最終地、内宮、外宮の両宮域にお運びする際は、内宮は御木曳橇(おきひきぞり)に載せて五十鈴川を「川曳(かわびき)」で、外宮は御木曳車に載せて「陸曳(おかびき)」で曳き入れられる。神職など多くの奉仕員が出迎えるなか、御榊(みさかき)と御塩(みしお)でお祓いを受け、清浄さが保たれるよう細やかな心配りがなされた御料木は、「御樋代木」という新たな役目を得て、その生命を繋いでいくのだ。


内宮で御樋代木を出迎える神職など奉仕員。数の多さからも、御樋代木の重要性がうかがえる。


五十鈴川での川曳を終え、内宮の五丈殿前に曳き入れられた御樋代木。御榊(みさかき)と御塩(みしお)でお祓いを受け、その後、清筵(きよむしろ)、清薦(きよこも)で丁重に包まれ、数日間五丈殿内に安置される。
1本の御料木が、多くの人々の手を経て、御神体をお納めする「御樋代」となる。その過程には、数百年を生きた生命に対する、人々の礼を尽くす姿があった。
Text by Misa Horiuchi
伊勢神宮
皇大神宮(内宮)
三重県伊勢市宇治館町1
豊受大神宮(外宮)
三重県伊勢市豊川町279
文・堀内みさ
文筆家
クラシック音楽の取材でヨーロッパに行った際、日本についていろいろ質問され、
写真・堀内昭彦
写真家
現在、神宮を中心に日本の祈りをテーマに撮影。写真集「アイヌの祈り」(求龍堂)「ブラームス音楽の森へ」(世界文化社)等がある。バッハとエバンス、そして聖なる山をこよなく愛する写真家でもある。
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