今年6月スウェーデンで開催された「グルマン世界料理本大賞」で、グランプリを受賞した日本人シェフがいる。アル・ケッチァーノのオーナーシェフ、奥田政行氏だ。受賞したのは、彼がパスタの新しいゆで方を説いた「ゆで論」。山形・庄内のレストランに世界のグルマンを呼び込む奥田氏に、世界が認めた料理哲学を聞いた。
常識を覆すパスタ哲学が世界を制す
「グルマン世界料理本大賞」は、エドゥアール・コアントロー氏(リキュールで有名なコアントロー家出身)によって1995年に設立された、世界唯一の料理本の賞。毎年その年に発行された世界中の料理本やワイン本の中から、数々の名著が賞に輝き、「料理本のアカデミー賞」と言われている。
今回は、227の国と地域から、1558冊のエントリー。奥田氏の「ゆで論」は、あることに特化しているという「シングル・サブジェクト」部門でグランプリを、そして革新的と評価される「イノベーティブ」部門で2位とダブル受賞となった。


「パスタの新しいゆで方 ゆで論」(ラクア書店)5,640円。Amazonのみで購入可能。
審査員も衝撃を受けた、奥田シェフの大胆な発想とは
「ゆで論」で説かれているのは、奥田氏が導き出した究極のパスタの作り方だ。中でもタイトルにもあるように、そのゆで方は通常塩分1%の湯でゆでるパスタを、塩分2.5%の湯でゆでた後ゆすいで塩分を落とすというこれまでの常識を覆すもの。
「1%だと表面にぬめりが必ず出るんですが、2.5%だとつるっとした仕上がりになり、締まってコシも出るんです。ただしそのままでは塩分が強いので、お湯ですすいで合わせるソースに最適な塩分にするんです」
この大胆な発想は、日本人だからできたことかもしれないと奥田氏は言う。今回の受賞に際しても審査員からは「簡単な事なのに誰もしてないことに着眼したことに衝撃を受けた」との評価が。実は審査員たちもこのゆで論によるパスタの調理を実際にトライし、議論したうえでの結果となったのだそうだ。
「日本人はうどんやそうめんをゆでた後、洗いますよね。だから、パスタも同じようにすすいでみたんです」
その他にもソースによる食材の合わせ方や、パスタとソースの混ぜ方やあおる回数などの法則を、科学的なアプローチではなく、あくまでも料理人の立場で食材に向き合ってきた経験によってわかりやすく書かれている。


レストランの日々の営みが生み出した、次世代に残すべき理論
もともとこの本は自分の技術をスタッフへ伝えるために書き始めた。
「22年以上前に自分自身では確立させていた考えですが、それを言葉にするのが大変でした。でも、思いや考えを言語化すること=『文に化けさせる』と、それが『文化』になるということを実感して、これはもっと広く残すべきなんじゃないかと思ったんです」
もちろん今もレシピを門外不出にし、技術は教えるものではなく盗むものという考えを持つシェフはいるが、奥田氏は自分が持つ知識も技術もすべてを誰にでもシェアしたいと言う。それはかつて仕事上の行き違いなどから鬱を経験し、もう死んでもいいと思った中、自動車事故で奇跡的に助かったことも大きなきっかけに。
「神様からもらった人生でやるべきことがある。いつ命が尽きるかはわからないなら、これからの人類のために書いているという感覚でした」
さらに、重要なのはレストランという日々の営みがあってこそ、このレシピや考え方が生きるということだと奥田氏は言う。例えばレストランから離れ、レシピや技術を説くのは彼の意ではない。
「レストランというのは生き物です。レストランで人に喜んでもらい、毎日真剣勝負していくことで、それが自分の考えにも反映されるもの。そういう日々の営みがある上で、言語化して文化を作る。その両方があって初めてスタート地点につけたと思っています」
ゆえに「料理は終着駅がない」という奥田氏。
「毎日いろんな変化がある。でもだからといって書かずにいるのではなく、完全にならなくてもいいから形として残そうと思いました。とにかく自分の考えを集約し『文化』を作る。『文化』が集まってこそ、多くの人に影響を与えられる『文明』になるのではないかと思っています」


伝えたいのは、テクニックだけではなく料理人としての生き方
睡眠時間は2時間。閉店後、人の気配がなくなり静寂に包まれた空間でこの本を書いていたという奥田氏。掲載されているレシピには、一つ一つエピソードも記されている。これも奥田氏がこの本で大事にした部分だ。
「料理には必ず込める思いがあります。それがあることで単なるレシピではなく、料理に命が吹き込まれるんです」
料理のテクニックだけではなく、自分がどういう気持ちで生みだしたのか、作るたびにどんな思い出がよみがえるのか、込められた思いがそのひと皿を形作っているのだ。そしてこの本に書かれているのは、パスタの論理だけではない。膨大なパスタの知識の中に散りばめられているのは、料理人という生き方への具体的なノウハウだ。
「お客さんの店の入り方でお客さんの気持ちを読む方法をはじめ、料理人として必要なこと、そして結果的にレストランとして売れる秘訣もわかってもらえると思います」
例えば、先輩にとって邪魔な存在にならないような料理場での効率的な身体の動かし方や、店内に入ってきたお客様の表情や行動による最適なメニューの考え方など、かつて自身が体験した修行時代の苦労や処世術とともに、おもしろく描かれている。さらに同じメニューでも年代によってソースの混ぜ方や火の入れ方で味つけを微妙に変えることなど、料理人であればその極意を、そしてゲストならば、なぜアル・ケッチァーノがここまで人を惹きつけ、世界中から人が訪れたいと思うのかその理由もわかるはずだ。


表紙の裏には、キッチンの詳細な見取り図イラストを入れ、キッチン内でどう動くか、手の内まで見せてしまう奥田シェフ。料理人ならずとも好奇心をそそられる。
実はすでに次の書籍の構想も。
「その人の出自や食生活など、遺伝子レベルで好みの味を見極めることもできると考えています。次回は『あじ論』として、その考えをシェアしたいと思っています」
「レストランは生き物」という言葉通り、今年は独立23年目にして、アル・ケッチァーノを移転オープン。その歩みはとどまることはない。後編ではその新店にかける奥田氏の思いをお伝えする。
Photography by Natsuko Okada(Studio Mug)
Premium Japan Members へのご招待
最新情報をニュースレターでお知らせするほか、エクスクルーシブなイベントのご案内や、特別なプレゼント企画も予定しています。