「食のアカデミー賞」と称される「世界のベストレストラン50」。そのアジア版である「アジアのベストレストラン50」で43位を獲得したのが、京都のイタリアンレストラン「チェンチ」だ。昨年91位から一挙にその評価を伸ばし、国内外にその名を知らしめたレストランのオーナーシェフ・坂本健氏に話を聞いた。
京都のレストラン初、アジアベストレストラン50に選出
美食の街としてあらゆるジャンルの料理店がしのぎを削る京都。この街から、「アジアのベストレストラン50」に唯一選出されたレストラン、それが「cenci(チェンチ)」だ。オーナーシェフである坂本健氏はもともと料理とは縁がなく、学生時代に目指していたのはアパレル業界。たびたび訪れていたロンドンで通っていたのがイタリア人が営む古着屋だったことでイタリア人の友人が増え、彼らが作る料理の美味しさに触れたことが、この道に進むきっかけに。
「パルミジャーノやパンチェッタなど使う素材はシンプルなのに、そのどれもが美味しくて。美味しい食材があれば、それだけでこんなに美味しいものができるんだという面白さにすごく惹かれたんです」
大学を卒業後、のちにイル・ギオットーネを立ち上げる笹島保弘シェフが働くイタリアンで最初はサービス担当に。その後イル・ギオットーネに移り、約10年余りを料理長として活躍した。イル・ギオットーネ時代は店舗だけではなく、何千何万というお客さんが来るようなイベントや百貨店のおせちなど、さまざまな仕事を経験したという。
「本当にすごくいい勉強になりました。たくさんの経験をしたことで、自分がしたいことは何か、それはやっぱり丁寧にお客様をお出迎えして料理すること、そして地元の生産者との繋がりをもっと生かした料理をしたいと思うようになったんです」
当時は、エルブジに始まった前衛的料理が世界中で注目されていた時。
「エルブジのように年に1回、それこそ人生で1回しか行かないようなお店では、驚きのあるプレゼンテーションは喜びを与えてくれると思います。でも2回目・3回目のお客様にはもう使えない。僕が目指すのは、通い詰めてくれる人がずっと驚き続けることができる店。来るたびに変貌していく、そのさまをも面白いと思ってもらえるような店にしたいと思いました」


築100年ほどの日本家屋を生かした店舗。中は外観からはまったく想像できない空間が広がる。
“ローカル”の徹底的な追求が“グローバル”へ
だから一番大事なのは「ローカルであること」と坂本シェフは言う。
「まずは地元の食材の消費を生み出し、地元の方々が美味しいと思えること。インバウンドや海外での評価を得るのもうれしいですが、それは地元のレストランとしての存在価値をちゃんと得てから。でもローカルを突き詰めれば、いつか絶対にグローバルへと繋がっていくもの。例えば日本料理も、和食の料理人が最初から世界を意識していたわけではなく、50年、100年と国内で研鑽し続けたことで、その技術や味が世界に認められてきたのです。だから地元のお店としてしっかり根を生やし、存在価値を得ることが大切だと思っています」
ローカルとグローバルは相反するものではなく、ひとつの延長線上にあるもの。その思いのもと、京都で8年。今回のアジアベストレストラン50への京都初のランクインは、まさにその意志の結実といえるだろう。
「世界を目指したい思いはありましたが、さまざまな評価をいただいてもやっぱりその足元が弱いのは嫌だったんです。これまで信じてやってきたことが、やっと今その花が開きかけたと感じています」
始まりはひとつの食材から。期待を超える一皿へ
チェンチのメニューに書かれているのは使われる食材のみ。オープン以来そのスタイルは変えていない。
「調理方法やソースの説明などが書いてあれば、どんな料理かわかりやすいかもしれません。でもそれでは幕が開く前から手の内をすべて見せてしまっているようで、なんだかつまらないなと思ったんです」
ここを訪れるゲストがまず味わうのは、想像する楽しさなのだ。
「お客様がこのメニューを見ると『この食材がどんな料理になる?』『次は何?』と話をしながらワクワクして待ってくださる。食事の前からコミュニケーションツールとして楽しんで欲しいと思っています」


メニューにはこの日使われる食材とともに、坂本シェフからの一言が添えられている。
そして出てくるのは、ゲストの想像を超えた料理の数々。例えば日本料理なら塩焼きで供される初夏の定番の鮎は、坂本シェフの手にかかれば、細かい骨をきれいに残した姿でフライに。身には稚鮎で作ったペーストがはさんであり、程よい苦みが鮎ならでは旨味を感じる。パスタも香りを出すために通常より長く育てた木の芽をペーストと鶏の出汁を絡めた、香り高いジェノベーゼに。ゲストが抱く期待をいい意味で裏切る一皿が目の前に現れる。とはいえ、味に難解さはまったくない。
「わかりやすい美味しさはとても大事だと思うんです。要素を増やして複雑で理解不能な味ではなく、3つぐらいの要素をしっかり感じてそれで美味しいと思える。それが料理人の大事なテクニックとだと思っています」


鮎のフライ。手間をかけた下処理を行い、細い小骨をそのままきれいに残す。


手打麺「キタッラ」を使用した、木の芽のジェノベーゼ。
京都のさまざまな魅力を食がつなぐ
生まれも育ちも京都という坂本シェフ。ゆえに地元の魅力こそ、自身の料理のアイデンティティとなると言う。
「出汁(だし)の文化とすぐ近くに畑がたくさんある生活の中で育ってきました。だからもし京野菜が無くても、地元の農家さんに欲しい野菜を作ってもらえば、求める料理感や素材感をきちんと自分の中で突き詰めて、アイデンティティを表現することができる。自分自身がお皿に投影するものは、ここで生まれ育った人間が美味しいと思うものであるべきだと、常に自分の心の中に問いかけています」
京都であることの魅力は、食材だけではない。平安神宮を望む閑静な地に建つ店舗は、この地に100年ほど前に建てられた日本家屋をリノベーションしたもの。さらにチェンチで使用されている器やカトラリー、リネンなども京都の作家の作品が多く使われている。
「こんな小さな町に、陶芸や木工、織物をはじめとした工芸の職人や、アーティストもたくさん集まっています。ある日のこのテーブルには、今日使っている野菜の生産者がいて、その隣のテーブルには器の作家が来る。気づけば彼らが自然と交流し、違う世界の人たちがチェンチの食でつながっていく。そういうことが起こるのがレストランの醍醐味。チェンチがそんなつながりのハブ(拠点)になればと思っています」
人をつなぎ味をつなぐ場所、そんなチェンチが考えるこれからのレストランの在り方とは?後編では、世界を知り未来を見据えた坂本シェフの思いを届ける。


Photography by Noriko Kawase
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