「アフターコロナの飲食業界偏差値」が色濃く現れた、節目の20年目
「食のアカデミー賞」と称されるレストランコンペティション、「The World’s 50 Best restaurants(以下『世界ベスト50』と略)」。記念すべき20回目を迎えた今回、事務局本部があるロンドンに熱いイベントが凱旋を果たした。当初はモスクワでの開催が予定されていたが、世界情勢に鑑み急遽開催地を変更した事務局の英断に拍手を送る。余韻冷めやらぬなか、イベントを振り返っての総論をお伝えしたいと思う。
冒頭から話が逸れるが、帰国便の機内では久しぶりに映画『プラダを着た悪魔』を観た。今回、「世界ベスト50」で授賞式の司会を務めたのが、この映画の中で重要な役を演じた俳優のスタンリー・トゥッティだったからだ。ファッション界の裏側を赤裸々に炙り出した秀作を観ながら、「世界ベスト50」が私たちに与えてくれる感動もまた、これに通じると感じる。世界の飲食関係者やフーディーが抱く、あらゆる欲望や時代への期待を、世界中から選ばれたたった50軒のリストが体現しているからだ。
壇上で50軒のレストランを発表した俳優のスタンリー・トゥッティ。回を経るごとにこの祭典は華やかになっていく。
「世界のベストレストラン50」は、世界中に散らばる1080人のボーター(Voter/投票者)による投票で決まる、最旬、最高のレストランリストである。ボーターは自らが票を持っていると明かすことは許されず、フードジャーナリスト、世界中を食べ歩くフーディー、そしてプロフェッショナルのシェフたちにより構成されていて、男女比も半々だ。全員が例外なくボランティア参加というのは、かの「ミシュランガイド」と大きく異なる(“星”をつける審査員はミシュラン社員が務めている)。
前置きが長くなったが今回の話に移ろう。アントワープで2年ぶりに開催された昨年、世界は長く続く疫病との戦いの中にあり、今年はロシアのウクライナ侵攻という有事も重なった。これらが今回の結果にどう響くだろうかと気を揉んでいたが、その影響は想像を上回るものだった。
「日本ファン」のボーターたちが
日本を訪れることさえ叶わなかったこの2年
原油価格の暴騰や飛行機の減便、渡航規制に外出規制、そんな数々の試練が積み重なった結果、ボーターたちは自由なレストラン訪問の機会をことごとく失った。「1年半以内に行った店の中から投票する」というのがルールなのだが、そのためのレストラン巡りに制限がかけられたわけである。
特に大きな影響が出たのが、国による規制が厳しく来訪者が激減した中国、ならびに日本ではないだろうか。中国に至っては香港の「The Chairman」1軒のみのランクインにとどまり、メインランドの話題店はすべて姿を消した。日本勢は4軒がランクインし、中でも大阪の「La Cime」が初エントリーという栄光に輝いたが、それでも3月に開催された「アジアのベストレストラン50」では日本勢は11軒がリストを席巻し、悲願の1位に輝いた東京の「傳」が、「世界ベスト50」では全体20位に留まった。日本人としてはやはり、少々切ない気分になってしまう。
が、これが現実だ。断っておくが、このコンペティションはレストランとしての優劣を競うものではなく、「いかに食のトレンドにおける旬であるか、どれだけ食を通じて世界に発信したか」が評価される。日本のレストランの素晴らしさは、今や世界中の人々が知るところであり単純に順位を憂いているわけではない。ただ、会場の熱気に包まれながらも頭のどこかで「日本はこの数年間で、取り残されたのでは?」という疑問が浮かび、今なお消えないのだ。クオリティーの問題ではなく、食を取り巻く日本の状況が海外のそれに比べて保守的になりすぎてはいないか、という話である。
そんな思いを抱かせたのは、例えば新たにランクインした海外店の多さ。実に12軒がニューエントリーで、2軒が再エントリーだった。裏返せば、食に敏感な人々がこの状況下にあっても果敢に新たな店を開拓したという証でもある。海外渡航が厳しい折、近場の国々や新顔レストランに目が向いたというのもあるだろう。
トロフィーを受け取る「ゼラニウム」のラスムス・コフォード(中央)と、共同経営者のソレン・レデット(右)。「ゼラニウム」は「ベスト・オブ・ベスト」、要するに殿堂入りとなり、今後ランクインすることはなくなる。
また、1位に輝いたコペンハーゲンの「ゼラニウム」は、昨年2位からの順当なランクアップにも思えるが、最近になって料理に肉類を使用するのを止めるなど、“「美味しい」のその先”を目指す姿勢が顕著であり、それが評価される土壌があるというのも「世界ベスト50」の特異性ではないかと思う。肉料理が悪いのではなく、新たな食の可能性を示唆することが彼らにとっての挑戦だったはずだ。「ゼラニウム」のラスムス・コフォードシェフは、職場環境のあり方についても先進的なスタイルをとっており、今回のイベントの後は1ヶ月間、店を閉めて全員がバカンスを取るのだと耳にした。
ヘイトクライムが問題になっていたアメリカからは、ニューヨークで若い韓国人夫婦ジュンシクとエリアが切り盛りするイノベーティブコリアン「アトミックス」が、「ベストホスピタリティー賞」を受賞。生産者重視で「熱狂的に地元還元レストラン」を標榜するベルリンの「Nobelhart & Schmutzig」は、昨年から順位を28位も押し上げて17位となり「ハイエストクライマー賞」に輝いた。非常にユニークな解釈によるコロンビア料理と気取らない人柄で人気の「レオ」のレオノア・エスピノーサシェフが、注目の「世界の女性シェフ賞」をとったが、もしかしたら近い将来「女性シェフ」とわざわざ名付ける賞にも、新たな形が用意されるのではないだろうかと、ふと思った。
ハッピームードに包まれる日本勢。20位となった「傳」の長谷川在佑(中央)、30位の「フロリレージュ」川手寛康(後列右)、41位「ラシーム」の高田裕介(中央右後ろ)、45位「NARISAWA」成澤由浩(後列左)、日本評議委員長の中村孝則(左)。
定位置に安穏と収まらないシェフたちの
その勇気を讃えたい
再び日本の話に戻ろう。海外上顧客の足が途絶え、度重なる行動規制が政府から発表されるたびに、それでも再開の日を信じて歯を食いしばって毎日を過ごしたシェフたち。それは、ランク外のレストランやジャンルの違うカジュアルな飲食店でも、皆同じことだろう。しかし、今回リストに入った4軒のシェフたちには、さらにそこに「変化を恐れない姿勢」があったのではないかと思う。
例えば、「傳」を率いる長谷川在佑は、メディアに出る時もそうでない時も、常に朗らかに料理を作り続けるムードメーカーであり、今や日本の牽引役だが、企業とのコラボレーションや各国からやってくるスタジエ(料理見習い)の教育など、記事化されない部分が営業時間以上に忙しい人でもある。昨年の39位から30位へと躍進した東京「フロリレージュ」の川手寛康シェフは、フードロスへの取り組みを先陣切って始めたことでも知られ、2023年には店を移転することをあっけらかんと発表した。「ターブルドット(大きな食卓を大勢で囲む)スタイル」の店舗設計にするというが、これまた星付きのファインダイニングでは珍しいことだ。45位の東京「NARISAWA」を率いる成澤由浩シェフは、今や日本を超えて海外をフィールドに活動することの方が多い印象さえある。
「ラシーム」高田裕介シェフ。過去には「アジアベスト50」で「シェフズチョイス賞」に輝くなど、大阪という地にありながら東京を飛び越え直接海外に着地するような展開が印象的だ。
今回、日本から唯一のニューエントリーという快挙を成し遂げた大阪「La Cime」の高田裕介シェフに、「世界のベストレストラン50」とはどんな存在であるかを問うてみた。
「誤解を恐れずに言えば、レストランですから料理が美味しいのは当たり前です。そして、味わいだけで価値判断をするのは、これだけ食が多様化した日本では、もはやナンセンスでは? 僕にとってこのリストへのランクインは、現状に満足せず、変化を恐れずに挑戦する姿勢を評価していただいたという誇りです。今はうれしい。しかし、すぐに明日が訪れます。新しいことをやりたいし、やることがなくなったらもう料理人をやめてもいいとさえ思っています」
今回もう1軒、日本から世界デビューを果たしたのが、
最後に、「世界のベストレストラン50」の日本評議委員長を務める中村孝則に今回を振り返ってもらった。
「複雑な思いや悔しい思い、一方で嬉しさもあります。日本の食は素晴らしいと誰もが胸を張るのに、それを世界に知らしめるための試みが、食べ手にも料理の作り手にも、さらには国の仕組みにも足りていないのではないでしょうか。食のトレンドを映し出すこの賞についてファッション的だと感じる方もいるかもしれませんが、海外のレストラン業界では、次世代の食をどう創り出すかについて莫大な時間や予算、手間と創意工夫が費やされています。日本経済が30年間停滞中だと最近話題ですが、盲目的に日本独自のスタイルを肯定し続けたこともその原因の一つでは。一歩踏み出してみることが、来年への宿題ですね」
今年の祭りは終わった。疫病や戦争も、いつかは終わるだろう。日本のレストランが世界に何を発信することが食の可能性を上げるのか、私たち食べ手も世界を俯瞰して考えられるようになるべきではないだろうか。
Premium Japan Members へのご招待
最新情報をニュースレターでお知らせするほか、エクスクルーシブなイベントのご案内や、特別なプレゼント企画も予定しています。