本人は無自覚だから気づかない、偏見にとらわれた「思い込み」
東京オリンピックを間近に控えた2021年の2月、大会組織委員会長である元首相のひと言が〝問題発言〟として話題となった。
「女性がたくさん入っている会議は時間がかかります」。
翌日すぐに撤回の会見を開いたものの、外国のメディアからも厳しい論調で報道された。そのときに使われた英語の表現が「unconscious bias(アンコンシャス ・バイアス=無意識の偏見)」。
日本人にとって耳なじみの少ない「アンコンシャス・バイアス」を、わかりやすく「思い込み」という言葉に置き換えて解説する、昭和女子大学総長の坂東眞理子さん。彼女は、行政官として日本の女性問題に長年にわたって取り組み、ハーバード大学研究員や在オーストラリア日本国総領事として海外に駐在した経験もある。
「知識として『アンコンシャス・バイアス』という言葉があることは知っていましたが、実際にどういうことなのか具体的にはピンと来ないところがありました。今回の〝問題発言〟は、女性に対する無意識の偏見があるリアルな実例として、とてもわかりやすかった。しかも発言した当人はそのことについて『本当の話をすると叱られる』と後日語っていて、何が問題だったのかを理解できていないようです。女性への悪口を言ったわけでも、女性を差別しようと思ったわけでもなく、ただ当たり前の事実をいっただけなのにと。偏見をもっている自覚がないのです」。
偏見が誰かを傷つけたり、不愉快にさせているという自覚もなく「最近は世の中がうるさくなったから…」と、まるで自分が言葉狩りに合った被害者くらいに捉えてそれ以上は考えない。
「この機会に、これまでの人生や現在の自分を取り巻く環境を振り返ったとき、同じような考え方をする人がそこら中にいることに気づいたのです。男性だけでなく、女性も女性同士で思い込みによる価値観を他人に押し付けていたり、『私は女だから…』と自分の未来の選択肢を狭めてしまったりすることがあります」。
昭和女子大学の執務室にて。執務室には春を告げるチューリップが飾られ、和やかな雰囲気だ。
気づかぬうちに、周りを苦しくさせてしまう
誰もがもっている思い込み。
男女雇用均等法が施行される前の時代から官庁の総合職として活躍してきた坂東さん。当時の日本で一般的だった、女性はある年齢になったら家庭に入るのが当たり前だという思い込みを跳ねのけてきた第一世代である。一方で、自身の子育てでは昔ながらの価値観にとらわれていた部分もあった、と振り返る。
「私には娘がふたりいますが、親としてどうしても安全な方へとアドバイスしてしまうことがあったのも正直なところです。『女の子がガンガンと意見を主張する尖った存在だと、社会から反発され生きにくいだろう。本当に能力があれば雑音にめげないで生きていけるだろうけれど、そうでなかったら苦労するだけ……』と、娘に対しては考えてしまうのです」
思い込みのやっかいなところは、相手のためによかれと思い、愛情や親切心から偏った価値観を押し付けてしまいがちなこと。決して悪気はなく、自身が人生の中で培った、〝こうすれば苦労しないで済む〟という経験知を親切に伝授しているつもりなのだ。でも、自分にとっての正解が、他人にも通用するとは限らない。時代によっても常識は変化する。
「昭和の頃ならば、男性正社員は定年まで勤め上げるのが当たり前、女性は子供をもったら仕事をやめて夫の扶養に入る、というのが一般的でした。経済的に右肩上がりの時代だったので、男性正社員はどんどん昇給して、妻子を養うことができたんです。でも今は、夫も妻も共に働き、家庭のことも分担するのが当たり前の時代になっています。昭和女子大学附属のこども園でも、朝の送りは6割くらいがお父さん。コロナ禍のときは7割を超えていました。世の中が変化している現状の中で、昔の思い込みにとらわれたままだと苦労します」
取材時は桜が満開の、暖かい昼下がり。新入生を受け入れる準備で多忙の中、学校内のガーデンを案内してくれた。明るく心地よい雰囲気が校風を物語る。
いつの時代にもある、思い込み。
自分の未来の可能性を狭めてしまわないように
時代は確実に変化している。坂東さんが総長を務める昭和女子大学では、94.5%が就職する実就業率を誇る。学生たちは、家庭をもってからも仕事を続けたいという意向が強く、企業の福利厚生やワークライフバランス施策に強い興味を示すという。
「就職したら数年で寿退社をするのが当たり前だった私たちの世代と比べると、日本の女性の意識も、取り巻く環境もずいぶん変わってきていると思います。
でも、今は今の〝思い込み〟があるのです。ワークライフバランスという流行の概念にとらわれて『育児休暇のとれる会社に就職したいです』『家庭と両立できるような仕事につきたい』と、労働条件が過酷でないことを第一に仕事先を探そうとする傾向が見られます。実際には結婚相手もいないし、子どももいないのに……。ある意味では、ワークバランスをとりたいという思い込みゆえに、彼女たちは責任ある仕事のおもしろさや、やり甲斐、がむしゃらに頑張ることで達成できるキャリアの上昇などを得る機会を逃しているともいえます」
老若男女、誰もがもつ思い込み。思い込みを手放し、自由に生きるためには――? 坂東さんの提言は続く。
坂東眞理子 Mariko Bando
富山県出身。東京大学卒業後、総理府に入府。青少年対策本部、婦人問題担当室、老人対策室等を担当。男女共同参画から始まる地域づくりなどに精力的に取り組む。その後、埼玉県副知事・ブリスベン総領事・初代内閣府男女共同参画局長などを歴任。2006年の著書『女性の品格』は300万部を超えるベストセラーとなる。2005年昭和女子大学副学長、2007年学長、2014年理事長を経て、2016年から昭和女子大学総長。
『思い込みにとらわれない生き方』坂東眞理子著 ポプラ社刊
「なぜか、人間関係がうまくいかない」「相手に良かれと思って言ったことが相手を怒らせてしまった」という誰にでも起こりうるトラブル。その原因の多くが、「無意識の思い込みによる認知の歪みや偏り(アンコンシャス・バイアス)」によるものというのが、本書の主眼。著者が総長をつとめる昭和女子大学でも盛んに啓蒙活動を行っています。この「思い込みがある」ことを認識したうえで、正しく相手を理解することが、これからの多様性社会において求められています。「アンコンシャス・バイアス」を正しく理解し、生きやすくなるヒントを伝える一冊。
Photography by Toshiyuki Furuya
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