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PREMIUM JAPAN AWARD

PREMIUM JAPAN AWARD 2026

2026.6.9

世界が注目する銘石「伊達冠石(だてかんむりいし)」を用いた「大蔵山スタジオ」の挑戦

「大蔵山スタジオ」を率いる山田能資(たかすけ)さんがデザインを手がけた、ローテーブル「KON PAC」。天板に用いられているのが「伊達冠石(だてかんむりいし)」。「大蔵山スタジオ」の活動を象徴するプロダクトのひとつである。

「伊達冠石(だてかんむりいし)」。今、とある石が日本のみならず、欧米のアーティストやクリエーターの注目を集めている。この「伊達冠石」を100年以上前から、宮城県の最南端に位置する大蔵山を本拠地として採石してきた会社がある。現在の社名は「大蔵山スタジオ」。日本の風土が育んだ石の価値を世界へ発信する取り組みが高く評価され、「PREMIUM JAPAN AWARD 2026」を受賞した。柔らかな雨が新緑を優しく濡らす5月、単なる採石会社の域を超えた先鋭的な活動を親子2代にわたって続けている「大蔵山スタジオ」を訪れた。

 

 

 


目の前に広がる、不思議な景色。押し寄せるエネルギー



不思議な景色が目の前に広がっている。雨に濡れた緑の草原に、黒褐色の塊が無数に転がっている。鋭利な刃物で削いだかのような断面が、やはり雨に濡れ鈍く光っている。静かだ。しかし、個々の塊が発する圧倒的なまでの存在感と、ひとつとして同じ形のない造形美が、強大なエネルギーとなって押し寄せてくる。気圧(けお)され、言葉を失う。この塊は岩と言えばよいのだろうか、それとも石と呼ぶべきか。ただ立ちすくみ、そんな埒(らち)もないことを考えていた。


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大蔵山の山腹に出現する、不思議な光景。黒褐色の塊はどれも「伊達冠石」。その数は無数だ。

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ひとつとして同じ形のない「伊達冠石」。2000万年という途方もない時間をかけて地球がもたらした、唯一無二の造形美を宿す。



2000万年以上前の火山活動による地殻変動で形成



東北新幹線白石蔵王駅から車でおよそ20分。人家も疎らになった細い山道を上がると、この光景が出現する。地名は宮城県伊具郡丸森町、標高300mほどの山の名は大蔵山。山腹に転がる無数の石塊は、地質学的な分類では「安山岩」に属するが、ここ大蔵山で産出されるものに限り、「伊達冠石(だてかんむりいし)」と命名されている。名前には理由がある。世界でも唯一という、特異な性質を持っているからだ。「大蔵山スタジオ」を率いる山田能資(たかすけ)さんは、その特異さを次のように語る。



「2000万年以上前の火山活動による地殻変動で『伊達冠石』は形成されました。形成以来、鉄分を多く含んだ泥土に何百万年もの間埋まっていたため、土っぽく丸みを帯びた石や、焼物のような石など、多様な表情を持っています。ところが切削して磨き上げると、黒檀のような深い黒褐色の極めて滑らかな断面となります。また、鉄分を多く含んでいるので、年月を経るに従い、やがて味わい深い鉄錆色へと変化していきます。安山岩は地球上で最も多い岩石ですが、こうした特質をもっているのは、世界中でも大蔵山で採れる『伊達冠石』だけです」

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「大蔵山を訪れたアーティストや音楽家の姿を幼いころから見てきました。それが大きな刺激を与えてくれたのだと思います」と、「大蔵山スタジオ」代表取締役の山田能資さん。



「山田採石計画株式会社」から「大蔵山スタジオ」へ



地表から10メートルほど掘り下げると姿を見せる石は、表面が黄色い泥のような土に覆われていたことから、地元では「泥かぶり」と呼ばれていた。その石を「伊達冠石」と命名したのは山田さんの父、山田政博さんだ。また、4代目として政博さんが営んでいた「山田採石計画株式会社」を「大蔵山スタジオ」へと名称変更したのが、5代目の能資さんである。能資さんによると、初代は明治期に兵庫から移り住み、仙台でのいくつかの橋脚工事に関わり、大蔵山で採掘を始めたのは晩年だったそうだ。当時、「伊達冠石」はその特質を見出されることもなく、土石の崩壊を防ぐ「土留め(どどめ)」用の建材等に用いられることが専らだった。


「祖父の代には、太平洋戦争で多くの方が亡くなったこともあり、墓石の需要が国中に広まりました。祖父は全国に何か所も採石場を抱えるだけでなく、海外からも積極的に石材を輸入し、原石販売のほか、自社加工した墓石を製造、販売していました。父が事業を引き継いだ1980年代になると、バブル景気も後押しし、彫刻や公共工事の依頼も増えたため、一時期はモニュメントだけを制作する会社として運営。しかし、景気の落ち込みと共に、モニュメントの制作依頼も減少したため、父は改めて墓石中心の業態に戻していました」

 


「山に命を還す」。4代目が抱いた信念。


1970年代になると、長年の採掘が続いた大蔵山の採石現場は、他の大半の採石場がそうであるように、山肌が削られ荒涼とした姿を曝け出していた。特異な性質を持つ石が採れるということを除けば、大蔵山は日本各地に点在する採石現場と変わりのない、殺伐とした様相を呈していたかもしれない。しかし、政博さんが抱いた信念がそれを変えた。

その信念とは「山に命を還す」。この信念に基づき、採掘が終わった場所に土を戻し植樹をすることで、大蔵山は豊かな緑に覆われた里山へと姿を変えていく。政博さんの信念を支えたのは、政博さん自身の気質に加え、1970年代初頭から「伊達冠石」の魅力に魅せられて大蔵山に足を運び、作品を制作したイサム・ノグチをはじめとする数多くのアーティストと山田家との交流によるところも大きかった。80年代、政博さんは大蔵山の文化的再生に多くの時間を費やした。「持続可能」「サステナブル」という言葉など、まだ誰も口にしていなかった頃のことだった。



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1980年代後半、様々な作家が大蔵山に集い、「大蔵山ランドスケープキャンプ」が発足。旧採石場の再生と活用について連日議論が交わされた。こうした情熱的な活動の結果は現在、「石舞台」や「山堂サロン」として大蔵山の敷地に佇んでいる。





「およそ50ヘクタールくらい。東京ディズニーランドがすっぽり入るくらいの広さです」

車のハンドルを握り、大蔵山に設けられた山道を走らせながら、能資さんはこともなげに言う。しかも「父までの代で十分に掘り出しましたから、私はこれ以上採石するつもりはありません」とも。冒頭で紹介した景色は、先代までが掘り出した「伊達冠石」のストック兼ディスプレイの場だった。「転がっている」のではなく「転がしてある」といった方が正しいのかもしれない。

掘り出された「伊達冠石」が置かれている場所の近くに、「伊達冠石」がむき出しとなっている崖がある。幾筋にも入った亀裂。自然崩壊したのか、崖下に積み重なる大小さまざまな形状の瓦礫。黄土色から茶褐色へのグラデーション。「伊達冠石」が、何万年にもわたり地中でどのように眠っていたかがよくわかる。そしてこの崖も、圧倒的な存在感で迫ってくる。


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冷却が進み、そのまま柱状となった岩盤。多種多様な形状に加え、海水が染み込み酸化。まるで焼物のような表情を持った石が多く産出する。


「伊達冠石」を媒介とした、広大な屋外ミュージアム



前述したように、「大蔵山スタジオ」と名称を変えたのは能資さんだ。今から7年前のことである。このネーミングは能資さんの現在の活動を端的に表している。なぜならば、緑に覆われた広大な大蔵山は、「伊達冠石」を媒介とした屋外ミュージアムでもあり、実験ラボのようでもあるからだ。そこには、ユニークな構造の本社社屋をはじめ、英国のストーンヘンジを思わせる、「石舞台」と名付けられた屋外ステージ、ラトビア共和国の自然思想と日本の五輪思想を合体させたモニュメントなど、「伊達冠石テーマパーク」と言っても過言でないほどの“施設”が点在する。その大半は、父である政博さんが作り上げたものだが、それらを拠点として、能資さんはさまざまな活動を試みている。


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ドアハンドルや洗面台など「大蔵山スタジオ」のプロダクトのディスプレイも兼ねた本社社屋。柱のない斬新な構造の建物を手掛けたのは、宮城県在住の建築家、小田島正仁氏。


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日本の石彫家3名に加え、ラトビア共和国やオーストリアの作家が共同で作り上げたモニュメント。ラトビアの自然崇拝と、「地・水・火・風・空」から万物が生じるという「五輪思想」を合体させた、「大蔵山スタジオ」のシンボル的な存在。

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「石舞台」と名付けられた、英国のストーン・ヘンジを思わせるステージ。この場で、アーティストによるパフォーマンスが開催されたことも。


屹立する巨大な石柱。かつて人類が抱いていた原始の感情が蘇る


そのひとつが「山堂サロン」と称される建物だ。厚い土壁が囲う三角屋根の木造建築に一歩足を踏み入れる。目に飛び込んでくるのは、そそり立つ石の柱。これも「伊達冠石」であり、「柱状節理」と呼ばれる状態で掘り出された、極めて珍しい形状だそうだ。高さは4メートル以上。「屹立」という言葉がふさわしいこの「伊達冠石」を前に、誰もがひれ伏し、頭を垂れる。





「宗教というものが発生するそれ以前のはるか昔に、人類が抱いていたであろう、自然に対する崇拝と畏怖にも似た感覚。現在の人々が忘れてしまったこの感覚を呼び戻すことができる場所、『大蔵山スタジオ』をそんな場所にできたら」と思います。そう語る能資さんは、「山堂サロン」や「石舞台」などをアーティストに提供し、「GALLERY LOCI」としてライブパフォーマンスを実施してきた。また、「山堂サロン」や隣接して建つ「ゲストハウス」などを利用し、地元のシェフによる食イベントなどの構想もある。「伊達冠石」を随所に配した茶庭を持つ茶室も建設途中だ。

「自然に対する崇拝と畏怖を感じる場所であると同時に、この大蔵山からアートをキーワードにした文化を世界に発信していきたいと思います」

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「山堂サロン」に足を踏み入れる。この巨大な石柱を目にした途端、畏怖感に貫かれ、思わず頭を垂れる。この「山堂サロン」の設計も、小田島正仁氏。


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建設途中の茶庭。禅寺の枯山水の石庭にも似た趣。何年か後には、この庭の一画に茶室が誕生する。


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大蔵山の一画には、工房も設けられている。人工ダイヤモンドを先端に付けたブレードが高速で回転し、「伊達冠石」を切断していく。工房で働くスタッフは7名。石を知り尽くした職人ばかりだ。



ロンドンの美術大学で学んだグラフィック


能資さん自身、アートの道を歩んできた。

「もともと絵画が好きで、大学時代は美術部に属していました。幸運にも個展まで開催する機会があり、その個展で私の作品を観た方が、イギリスかアメリカへ行った方がよい、とアドバイスしてくださったのです。それに勇気づけられ、卒業後はイギリスへ渡り、ロンドンの美術大学でグラフィックを学びました」



2008年に帰国後、5代目として家業を継いだ能資さんは社名を変えるとともに、大きな方向転換を試みた。「伊達冠石」の特質を設計事務所やプロダクトデザイナーに提案し、建材や作品素材として使用することを積極的に働きかかけたのである。

「父は大蔵山の再生に熱心でしたが、事業の中心はあくまでも墓石。それを方向転換したのですから、当初は売り上げも下がり苦労しました」



しかし、熱心な働きかけが功を奏し、次第に設計事務所からのオーダーが増えてきた。「伊達冠石」の複雑な表情が、ホテルやレストランなどの商業建築に際立った個性を発揮することに建築家たちが気が付きはじめたのだ。

また、信用を積み重ねたアーティストとの協業も増えていった。アーティストと関わる場合、能資さんが心がけていることがある。それは、単に素材として「伊達冠石」を提供するのではなく、作品がどのようなコンセプトを持ち、どのように扱われるかを、あらかじめ把握しておくということだ。そのため、協業する前段階で、表現の支柱となるコンセプトをしっかりと読み解き、「大蔵山スタジオ」が大切にしている物語と、作品のコンセプトが合致しているのかを注視する。

設計事務所の依頼のなかには、コンセプトから表現まで「大蔵山スタジオ」に一任するケースも多い。その場合はプランの早い段階からきちんと関わっていく。そのときは、プロジェクトの基本的な概念と方向性のみならず、周囲の環境、文化などもリサーチし、まずはコンセプトを立てる。そしてコンセプトから浮かびあがる造形を能資さんがスケッチし、自社工房にて「伊達冠石」を用いて造形を施す、というプロセスを辿る。また、現場での施工までをも一括で請け負う。


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海外からモニュメントのオーダーを受け、能資さんが描いたデザインスケッチ。施主の大まかな意向だけをヒアリングし、実際の形状は山田さんが考案することも多い。英国で学んだ、コンセプトから造形を見出す思考が活かされている。



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2023年、パリ16区に開業した「BLANC」。ミシュラン2つ星を有する佐藤伸一氏が率いるレストランの入り口に、井戸茶碗のような表情と、手磨きによる艶やかな表情が融合した「伊達冠石」のオブジェが設置された。

 


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本社に展示された洗面台。ひとつひとつの石に潜む異なる表情の妙。ラグジュアリーホテルからのオーダーが多い。洗面台の上に掛かるのは、「伊達冠石」の表情を味わうウォールアート。


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中央部分は栗材などを使い、上下に「伊達冠石」を用いたドアハンドルの数々。その重厚感が、エントランスを引き立てる。


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香立てのほか、ランプシェード、小皿などの生活周りの小物も制作。また、原点ともいえる石塔事業も継続し、モダンなデザインの墓石なども手掛けている。


「伊達冠石」が内包する、「移ろいゆく美」



「大蔵山スタジオ」は、ドアハンドルや洗面台、バスタブ、テーブルなど、多様なプロダクトも手がけている。能資さんの美意識が息づくこれらの製品は、いまや世界的に注目を集め、海外での施工例も増えている。黒く艶を放つ鋭い断面と、黄土色から茶褐色へと移ろう複雑な色合いをたたえた表面。その取り合わせは、「伊達冠石」独特の造形美と相まって、きわめてモダンな印象を生む。

と同時に、茶の湯の「侘び寂び」にも通じる、日本ならではの美意識も確実に感じさせる。おそらくそれは、途方もない時間の流れの中で育まれた「伊達冠石」が、移ろいゆくものの美しさを宿しているからなのだろう。「伊達冠石」の経年変化を実感するのは、難しいかもしれない。しかし、石は悠久の時間のなかで確実に変化を遂げ、新たな美しさを浮かび上がらせてくる。それは、紛れもなく「移ろいゆく美」であり、日本人が大切にしてきた美意識そのものである。海外のアーティストが「伊達冠石」に関心を寄せるのも、この日本ならではの美を敏感に感じ取っているからに違いない。




柔らかな緑に包まれた大蔵山は、傾斜も比較的ゆるやかで、小学生の遠足にぴったりの丘陵公園のような趣がある。その地下10メートルに、世界に知られる銘石が眠っているとは、とても想像できない。親子2代が石に誠実に向き合い、時に対峙したことで、大きく発展し、今なお進化を続ける「大蔵山スタジオ」。東北の里山に、世界が熱い視線を注いでいる。

*「大蔵山スタジオ」の入場は、業務上の関係者のみ、予約の上での来山可となっている。

 




























Text by Masao Sakurai(Office Clover)
Photos by Kayo Takashima

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