連載「成駒屋三兄弟がゆく!」第3回は、第2回の橋之助さんに続き、福之助さんと歌之助さんによる「僕たちの子役時代」。ぽっちゃりだった長男・橋之助さんにはそれほど子役の声がからなかったが、二人には数多くの声がかかった。名だたる名優との思い出、祖父と過ごした楽屋でのひととき……。橋之助さんとは異なる、次男・福之助さん、三男・歌之助さんのそれぞれの子役時代の思い出とは……。
「子どものころは、舞台や楽屋へ遊びに行っているような感覚でした」──中村福之助さん
兄の橋之助さんと同じように食べていたのに、なぜかあまり太らなかった福之助さん。橋之助さんが「僕よりも弟の方がよく声をかけていただいていました」と語るように、子役としての舞台は、福之助さんの方が早くから数多く経験していた。
小学校3年生の時には『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)寺子屋』での小太郎役で、自分が死ぬ運命を理解していながら、母との別れを静かに受け入れていく男の子の役を、名優たちに囲まれながら完璧に演じた。その舞台での福之助さんの熱演ぶりは、今でも語り草となっている。
「確かに、僕はかなり多くの子役をやらせていただきました。とくに、平成中村座に数多く出させていただいています。子どもの頃は、舞台や楽屋へ遊びに行っているような感覚で、まったく緊張しませんでした。今の方がずっと緊張します」と語る福之助さん。
「何やってんだこの野郎!」。1年生の時、勘三郎さんにすごい剣幕で怒鳴られた記憶
本人は遊びに行っているような感覚だったかもしれないが……。
「僕には楽しい場所も今から思えば、楽屋にも舞台にも緊張感がありました。僕は小学校一年のときに、勘三郎の伯父から『何やってんだこの野郎!』って、すごい剣幕で怒鳴られたことがあります。真剣な場所でふざけていた僕を、子供ながら大人と同じようにみてくださったのでしょうね。勘三郎の伯父は、舞台にあがったら1歳も80歳も関係ないというか、芝居に対しては子役も何も区別しない感じでした。それだけ芝居に熱心な人でした。
ニューヨーク公演の思い出…。仕事中には厳しく!怒鳴っていた、という印象もありましたが、良い事はあった時にはみんなを心から褒めてくださり、楽しい時にも全力でいた勘三郎の伯父、僕のこともすごく親身になって面倒を見てくださいました。全てが貴重な経験として忘れられません。」
「子役時代に経験した『寺子屋』の小太郎は、今でも自分の心に残る大切な舞台です」
播磨屋のおじ様(二代目中村吉右衛門丈)は楽屋でも優しかったです。芝居に関してはあまり何も言わず、でも千穐楽になると、ご褒美をくださっていました。普段は『小道具』などを欲しがるものなのですが、ぼくがいつもポケモンをねだっていました。おじ様はリクエストをきいてくださり、ポケモンゲームをそっとくださるのです。それがとても嬉しかったですね。播磨屋のおじ様のお陰で、ポケモンゲームを揃えさせていただきました(笑)」
福之助さんは、中学・高校時代は学校を優先して、しばらく歌舞伎から離れていたことがあった。高校卒業後に再び戻ったが、数年のブランクがあったため、最初のころはかなり戸惑ったそうだ。今では若手の立役として成駒屋を支える一員となったが、学業優先での活動休止前、「子役時代に経験した『寺子屋』の小太郎は、身内の中村座や父のもとでの出演と異なった場として、大御所の方々のもとでお役を勤めた歌舞伎座公演だった。これまでにない緊張感に包まれた感覚、今でも自分の心に残る大切な舞台となっています」と語る。
ニューヨーク公演で「勧進帳」を務めた父・芝翫の橋之助時代のワンシーン。福之助さんは太刀持ちで舞台に立った。
「祖父(七代目中村芝翫)の楽屋での立ち居振る舞いや、過ごし方の様子をじっと見ていました」──中村歌之助さん
歌之助さんは、二人の兄とは少し歳が離れて生まれた。
「僕が小さい時は、父も母もとても忙しい時期で、長いお休みになると、母の実家である京都の家にいることが多かったので、運動好きな兄二人とは異なり、どちらかと言えばインドア志向で育ちました。また、祖父の先代芝翫の晩年には、ちょうど僕の肩の高さが、祖父が歩く際に手を添える高さに好都合だったので、一年くらいは祖父と一緒に楽屋にいました。まだまだ幼かったので、祖父から直接教えてもらうことはあまりありませんでしたが、祖父の楽屋での立ち居振る舞いや、過ごし方をじっと見ていました」
そんな幼少期を過ごしたからだろうか、歌之助さんは、歩き方や体の動かし方のリズムが先代芝翫と似ている、とよく言われるそうだ。
「史上最年少でその役を演じた、という子役がかなり多いと思います」
「兄たちが子役をやる歳ではなくなり、しかも同年齢の子があまりいなかったので、その当時はかなり数多くの子役をやらせていただきました。おそらく僕は、史上最年少でその役を演じた、という子役がかなり多いと思います」
そう語る歌之助さんの初舞台は3歳の時。歌舞伎座での『菊薫縁羽衣(きくかおるゆかりのはごろも)』での「宿星の童子(しゅくせいのどうじ)」と、『男女道成寺(めおとどうじょうじ)』の「所化仙念坊(しょかせんねんぼう)」という、同一公演で二つの役を演じるという活躍ぶりだった。
パパ・橋之助さん(現・芝翫さん)に抱っこされている歌之助さん。楽屋での一コマ。
「緊張の連続だった子役時代を経験したからこそ、今はまったく緊張しません」
「子役時代は、身の丈に合わない役ばかりが多く、初日には緊張のあまり吐いたりしていました。初日を過ぎても、舞台が近づくとお腹を下したりしていました。母はそんな僕の面倒を見るのに大変だったと思います。また、そんな時にも、祖父はずっとそばにいてくれました。子役のころにあまりにも緊張したためか、今ではどんな舞台でも、まったく緊張しません。そういった意味では、子役時代の経験は役に立っていると思います」
家から家へと受け継がれていく、歌舞伎ごっこの小道具
三者三様の子役時代を経て成長してきた三人だが、橋之助さんが語るように、家での3人の遊びも歌舞伎ごっこだった。それも、自分たちで構成や筋書きを考えたオリジナルという気の入れようだった。
歌舞伎ごっこには刀などの小道具が必要となる。3人で「自主製作」した小道具もあったが、従兄である六代目中村勘九郎さんと二代目中村七之助さんが子どものころに、やはり家で遊んでいた歌舞伎ごっこの小道具を譲りうけて使っていた。その小道具は、勘九郎さんの子息の勘太郎くんと長三郎くんのところへ一度戻った後、現在では中村獅童さんの子息、陽喜(はるき)くんと夏幹(なつき)くんの手許にある。歌舞伎ごっこ遊びとはいえ、その小道具も伝承されていくのだ。
これぞ原点。成駒屋三兄弟の歌舞伎ごっこの様子。カメラ目線でキメている!
ちょんまげのカツラをかぶり、立ち回りを演じる(?)歌之助さん。
役を演じることの嬉しさから、役を演じることの怖さへ
子役を卒業する10代半ばからは、まったく別の世界が待ち受けている。
長男の橋之助さんは、その世界のことを次のように語ってくれた。
「子役を卒業すると、大人の役の一番下となり、セリフもほとんどなく、極端に言えば、端っこの方にただいるだけのような役となります。そんな時は、ああ早く良い役をいただきたい、そのためにはもっともっと勉強しなければ、と思うようになります。二十歳を過ぎるころになると、少しずつ良い役をいただけるようになります。最初のうちは、ただただ嬉しいのですが、そのうち怖くなります。僕が怖さを感じたのは、5年前に京都の南座で尾上右近のお兄さんとで『義経千本桜』の佐藤忠信と源義経をダブルキャストで交互に演じさせていただいた時です。演技そのものだけでなく、一座の雰囲気、お客様の入り具合など、すべての責任を感じ、それが重圧となってのしかかってきます。父や勘九郎の兄など先輩の方々と出るときは、2番手として、二人に食らいつきながら良い演技をすることに集中していればよかったのが、公演そのものの完成度を担保しなければならない役目になります。その重圧は凄かったですね。でも、その翌年から、浅草公会堂での『神谷町小歌舞伎』が始まったので、それはとてもよい経験となりました」
「相撲取りの役しかできないよ」の一言でダイエットを決意した橋之助さん。「そこで何やってんだ」と怒鳴られた福之助さん、数多くの子役をこなしながらも緊張でお腹をくだしていた歌之助さん。良き先輩に見守られ、三者三様の子役時代を過ごしながら、成駒屋三兄弟は今に至っている。
中村橋之助
1995年生まれ。本名中村国生。2000年9月歌舞伎座にて初代中村国生を名乗り初舞台。2016年10月に四代目中村橋之助を襲名する。父、八代目芝翫譲りの力強く豪快な演技が魅力の立役で、2026年1月の「浅草新春歌舞伎」では前年に引き続き座頭を務める。近年は演劇、テレビドラマ、映画など歌舞伎以外の舞台にも挑戦。今年4月には、女優で元「乃木坂46」の能條愛未さんと結婚発表し話題を呼ぶ。
中村福之助
1997年生まれ。本名中村宗生。2000年9月歌舞伎座にて初代中村宗生を名乗り初舞台。2016年10月に三代目中村福之助を襲名する。体幹の強さと踊りのキレに定評があり、2026年1月の新橋演舞場での「新春大歌舞伎」では『鳴神』の主役に抜擢され注目を集める。また古典のみならず、スーパー歌舞伎などにも積極的に出演し芸風を広める。野球をはじめスポーツ全般に興味があり三兄弟のムードメーカー的存在。
中村歌之助
2001年生まれ。本名中村宜生。2004年9月歌舞伎座にて初代中村宜生を名乗り初舞台。2016年10月に四代目中村歌之助を襲名する。子役時代から数多くの舞台を勤め、襲名後は清々しい若手立役として高く評価されている。動的な兄二人に対し、どちらかと言えば静的で、「常に歌舞伎のことを考えている」と本人が言うほど、歌舞伎に対する探求心を持つ。
◆連載「成駒屋三兄弟がゆく!」とは……
昭和、平成の歌舞伎を代表する女方(おんながた)で、人間国宝にも認定された七代目中村芝翫(しかん)を祖父に、八代目中村芝翫を父に持つ、中村橋之助、福之助、歌之助の三兄弟。名門「成駒屋」のホープとして、彼らはいま大きな注目を集めている。三人は、家の芸を受け継ぎながら、歌舞伎俳優として日々研鑽を重ねる。さらに、自ら企画・出演する自主公演「神谷町小歌舞伎」にも力を注ぎ、新たな歌舞伎の魅力を発信。一方、舞台を離れれば、いわゆる「Z世代」の若者だ。プライベートではさまざまな趣味を持ち、それぞれの世界を楽しんでいる。そんな三人が考える歌舞伎とは、芸とは、成駒屋とは。そして普段の生活は?
構成/執筆:櫻井正朗
『婦人画報』元編集長代理。陶芸や漆芸など、日本の伝統工芸をはじめ、茶道や歌舞伎などさまざまな日本文化の取材・原稿執筆を担当する。現在ではフリーランスの編集者として、書籍、雑誌、広告制作に携わる。「プレミアムジャパン」では主に伝統工芸・旅行関係の記事を執筆。
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