2027年で5回目を迎える「神谷町小歌舞伎」でのメインとなる演目は、「一谷嫩軍記 熊谷陣屋(いちのたにふたばぐんき くまがいじんや)」(以下「熊谷陣屋」)である。成駒屋にとって深い意味を持つこの作品を、三兄弟はあえて選んだ。しかも、会場はこれまでの「浅草公会堂」から、新宿の東急歌舞伎町タワー6階「シアターミラノ座」へと変わる。あらゆる意味で、チャレンジとなるこの公演に向けてのキービジュアル撮影が、先日行われた。連載「成駒屋三兄弟がゆく」の第4回目は、三兄弟の父である八代目中村芝翫さんも駆け付けた、その撮影現場の様子をリポートする。
劇場に響き渡る、八代目中村芝翫さんの声
「いったん目を閉じて、はっと開く!」
「顎を引いて」
「腕をあげて!」
八代目中村芝翫さんの声が、観客のいない劇場に響き渡る。9月初旬、東急歌舞伎町タワー6階「シアターミラノ座」の舞台に成駒屋三兄弟と、父の八代目中村芝翫さんがいた。
2027年に第5回目を迎える「神谷町小歌舞伎」は、これまでの「浅草公会堂」から、「シアターミラノ座」へと会場を移す。行われていたのは、「シアターミラノ座」の舞台をスタジオとしての、キービジュアル撮影だった。
メインとなる演目は「熊谷陣屋」。記念すべき第5回の公演にふさわしい作品である。
成駒屋が大切にしてきた「芝翫型」での「熊谷陣屋」
なぜふさわしいのか。それには理由がある。この作品には舞台演出の方法が二通りあり、そのひとつは「芝翫型」と呼ばれる。その名の通り、「芝翫型」は四世中村芝翫が創始したものだった。一度、上演が途絶えていた時期があったが、三兄弟の父である八代目中村芝翫さんが、橋之助時代に復活させ、大きな話題を呼んだ。
5回目を迎えるにあたり三兄弟が選んだのが、成駒屋が大切にしてきたこの「芝翫型」での「熊谷陣屋」だった。2027年4月29日から5月5日までの7日間、計10公演の間に、トリプルキャストによって、主人公である熊谷直実と、重要な役回りである源義経を、3人がそれぞれ日替わりで演じる。さらに中村芝翫さんも出演。「神谷町小歌舞伎」では初のトリプルキャスト、そして初の親子4人での共演となる。また、中村壱太郎さんも加わる。新たな会場で公演期間、公演回数ともに大幅に増えた第5回目。まさにチャレンジである。
顔全体を赤く塗り、そこに「芝翫筋」を入れる独特の隈取
撮影は3人が本番と同じ衣裳、同じ隈取で臨む。中村芝翫さんも、自身の舞台「リア王」の稽古の合間を縫って駆け付けた。撮影準備は隈取から始まる。3人が同じ楽屋でそれぞれ鏡に向かい、自身で隈を取っていく。
「芝翫型」の熊谷直実の隈取は顔全体を赤く塗る、いわゆる「赤っ面」と呼ばれるもので、そこに「芝翫筋」と称される独特の赤い筋がさらに入る。
3人とも黙々と鏡に向かい隈取を描いている。歌舞伎の世界では「自分の顔は自分で責任を持つ」とされ、化粧、隈取は自分で行う。子役時代は周囲の人に手伝ってもらう化粧も、十代後半ともなると自分でしなければならない。10年以上前から、自身で顔を作ってきた3人にとって、隈取はある程度慣れたもの。しかし、ことさら特徴のある「芝翫型」とあってはどうしても慎重となる。いつもは、3人が揃うと賑やかになるのだが、この時ばかりは静かだった。
撮影は、まず隈取のアップから始まった。
隈取は1時間ほどかけて完成。役作りは、この段階から始まる。先に終えた橋之助さんは、少し余裕の様子。
隈取のアップの撮影後、それぞれの画像を真剣な眼差しでモニターチェックする三人。
カメラの前で見得を切る。現場に流れる、稽古場のような緊張感。
衣裳も鬘もつけず、隈取した顔のアップをそれぞれ撮影したあと、いよいよ衣裳を纏っての全身撮影となる。ステージの袖には、鮮やかな赤地錦織物(あかじにしきおりもの)の裃(かみしも)をはじめ、刀やこの演目には欠かすことのできない制札(せいさつ・立て札の一種)などの小道具が並べられている。
橋之助さん、福之助さん、歌之助さんの順に衣裳をつけ、カメラの前に立つ。撮影する場面は主に、演目の見せ場である、熊谷直実が見せる二つの見得、ひとつは軍扇を右手で掲げて戦場の様子を語る場面と、もうひとつは制札の軸を地面に突く場面だ。
「右手を高くあげて」
「体半身でこっちを向いて」
「はーっ」
「一枝を切らば一指を剪るべし」
矢継ぎ早に芝翫さんからの声が飛ぶ。気合を入れるかのような掛け声や、演目中の名セリフも発せられる。その声に従い、三人はそれぞれ懸命に見得を決める。ビジュアル撮影ではあるものの、師匠を前にした稽古場のような緊張感が走る。
カメラに向かって見得を切る、橋之助さん。
「オレの画像で、メインカットは決まりじゃない?」
自身の画像をモニターで見た福之助さんが放つ剽軽なもの言いに、笑い声が起きる。緊張が少し和らぐ。ムードメーカーの福之助さんならではの、そして仲の良い三兄弟だからこそ言える軽口だ。
歌之助さんの撮影の時は、撮影を終え浴衣に着替えた橋之助さんが、歌之助さんの衣裳の裾を調えている。まさに、兄弟三人がお互いに助け合い、ひとつのものを作り上げようとしている。そんな三人を芝翫さんは少し遠くから見つめている。
制札の軸を地面に突く福之助さん。芝翫型特有の見得に対し、手の位置など、芝翫さんから的確なアドバイスが入る。
歌之助さんの衣裳の裾を丁寧に整える橋之助さん。兄ならではの優しい心遣いが現れる。
親子4人揃っての記念撮影。撮影現場では「親方」と呼ばれる芝翫さんだが、現場を一歩離れると、仲睦まじい親子となる。
「芝翫型というのは、二代目の松緑のおじ様が残してくださった書き込みがいっぱいの台本を、亡くなった吉右衛門のお兄さんと相談しながら、古文書を繙くように二人で研究して再演したものです。それを若い三人が演じてくれるのですから、私としてもこれほど嬉しいことはありません」
と芝翫さんは感慨深げに語る。
鮮明に残る、16歳の時に観た父の熊谷直実
午前10時から始まった撮影は、昼食抜きで続けられ、14時で中休みとなった。今回、
「僕たちが自ら選んだ自主公演の作品ですので、すごい挑戦かなと思います。技術や経験という点では、僕たちはまだまだです。また、三人とも子どもを持っていないので、子を亡くした親の気持ちも実感としては遠いものです。だからこそ、型を丁寧になぞる必要があるのではと思っています」
「僕自身にとっては、これまでの『神谷町小歌舞伎』でも演じたことのない太い役です。ですので、この役を演じることで、役者として新しい扉を開く機会になれば、と思います。父からは、便利な時代だからこそ『ビデオを見すぎるのもよくない』とも言われていますので、いろいろな方向から、この熊谷直実という人物を捉えていこうと考えています」
「技術や経験としては、まだまだ未熟。だからこそ、型を丁寧になぞる必要があります」と歌之助さん。
そして歌之助さんには、「熊谷陣屋」と深く結びついた個人的な記憶がある。
「この『熊谷陣屋』は、極めて歌舞伎らしい狂言に見えますが、じつはとてもリアルな部分があります。自分の子供が死んで泣く、ということは当時の武士の価値観のなかではおそらくありえなかったこと。その一方で、子を無くした人間の弱さのようなものも見せていかなければならない芝居です。そのあたりを自分でもきちんと考えて演じていきたいと思います」
「劇中で父に殺される息子の小次郎は16歳の設定で、わが子を自ら手にかけた熊谷直実は、ラストシーンで『十六年もひと昔、夢であったなぁ』と嘆きます。父が芝翫襲名で『熊谷陣屋』を演じたとき、じつは僕は小次郎と同じ16歳でした。だからこそ、父の舞台が鮮明な印象となって残っています。それから10年がたち、今度は僕が熊谷直実を演じることになるとは……」
自分と同じ年齢の子供が、父によって殺される。しかも演じているのは自分の父。そんな舞台はおそらく若き日の歌之助さんにとって、ひときわ鮮烈なものだったに違いない。それを今度は自身が演じる。古典芸能に詳しく、作品の背景を考察することを日ごろから行っている歌之助さんならではの、熊谷直実像が作られようとしている。
「公演を成功させることが、これまで『神谷町小歌舞伎』を支えてくださった方々への恩返しとなります」
始めての会場となる「シアターミラノ座」の劇場内で、舞台設営のスタッフと一緒に、花道をどこに設けるかなどの打ち合わせを撮影の合間に行うなど、橋之助さんは自身の撮影以外にも、成駒屋三兄弟の長としてさまざまなことに気を配っていた。
「慣れ親しんだ『浅草公会堂』から装いも新たに、という気分です。『神谷町小歌舞伎』を立ち上げた時は、スタッフの方も少なく、メイクさんにまで衣裳や小道具の運び入れなどを手伝っていただき、みんなで協力してなんとか4回までこぎつけることができました。それに比べると、今日は大勢の方に手伝っていただき、本当にありがたく思います」
撮影の合間に、花道を設ける位置に関して、舞台設営スタッフと打ち合わせをする橋之助さん。自主公演ゆえに、役づくりだけでなく、こうしたことにまで気を配る必要がある。
「僕たち若手の歌舞伎俳優は、役への憧れというものを誰もが持っています。その憧れというのは、役そのものへの憧れもさることながら、その役しか着ることができない衣裳や、その役しか持つことが許されない小道具への憧れ、というものも含まれています。熊谷直実の衣裳や制札はまさにそれで、それを記念すべき第5回に、幼いころから一緒に育ってきた兄弟3人で演じさせていただくのは、とても有難いことであると同時に、その責任感もひしひしと感じています」
「我々3人は、同じ家で育ったのに、3人とも性格が違い、歌舞伎俳優としての幅も違います。ですので、父から同じ型を教えてもらっても、それぞれ受け止め方が違うので、三者三様の熊谷直実が出来上がってくるはずです。父も、絶対この通りにやらなければならない、とは言いませんし、僕たちそれぞれの役の捉え方をある部分は尊重してくれると思います。来年春の舞台まであと半年。これから稽古を重ね、成駒屋三兄弟ならではの熊谷直実を演じたいと思います。それが、これまで『神谷町小歌舞伎』を支えて下さった方々への恩返しでもあります」
これから半年間、他の公演の合間を縫って、厳しい稽古を重ねるであろう三兄弟。
「熊谷陣屋」のラストシーン。わが子を手にかけた悲しみと絶望に包まれ、「十六年もひと昔。夢であったなぁ」と熊谷直実は嘆く。
2027年春、「シアターミラノ座」の花道では、万感の思いを込めた三者三様のセリフが発せられるに違いない。
YouTubeでも発信中!「継ぐ者たちー成駒屋三兄弟の進化」
youtube「継ぐ者たちー成駒屋三兄弟の進化」では、第五回神谷町小歌舞伎へ向けて三兄弟が動き出す様子をお届けしています。 今回はビジュアル撮影の裏側をご紹介。 続報をお楽しみに。 ※音声が出ますのでご注意ください。
【第五回神谷町小歌舞伎 公演情報】
・日程 2027年4月29日(祝木)~5月5日(祝水) 7日間
・公演数 全10公演
・会場 東急歌舞伎町タワー6階「THEATER MILANO-Za」
東京都新宿区歌舞伎町1-29-1
・チケット販売 成駒屋後援会駒の会先行発売:10月1日(木)午前10時
イープラス最速先行発売:10月16日(金)午前10時
一次先行発売:11月1日(日)午前10時 (イープラス/MY Bunkamura)
・公式チケットサイト https://narikomaya.jp/jishikoen/
・料金 特別席:16,500円/一等席:11,000円/二等席:8,000円
三等席:5,000円/歌舞伎デビュー席:2,000円
中村橋之助
1995年生まれ。本名中村国生。2000年9月歌舞伎座にて初代中村国生を名乗り初舞台。2016年10月に四代目中村橋之助を襲名する。父、八代目芝翫譲りの力強く豪快な演技が魅力の立役で、2026年1月の「浅草新春歌舞伎」では前年に引き続き座頭を務める。近年は演劇、テレビドラマ、映画など歌舞伎以外の舞台にも挑戦。今年4月には、女優で元「乃木坂46」の能條愛未さんと結婚発表し話題を呼ぶ。
中村福之助
1997年生まれ。本名中村宗生。2000年9月歌舞伎座にて初代中村宗生を名乗り初舞台。2016年10月に三代目中村福之助を襲名する。体幹の強さと踊りのキレに定評があり、2026年1月の新橋演舞場での「新春大歌舞伎」では『鳴神』の主役に抜擢され注目を集める。また古典のみならず、スーパー歌舞伎などにも積極的に出演し芸風を広める。野球をはじめスポーツ全般に興味があり三兄弟のムードメーカー的存在。
中村歌之助
2001年生まれ。本名中村宜生。2004年9月歌舞伎座にて初代中村宜生を名乗り初舞台。2016年10月に四代目中村歌之助を襲名する。子役時代から数多くの舞台を勤め、襲名後は清々しい若手立役として高く評価されている。動的な兄二人に対し、どちらかと言えば静的で、「常に歌舞伎のことを考えている」と本人が言うほど、歌舞伎に対する探求心を持つ。
◆連載「成駒屋三兄弟がゆく!」とは……
昭和、平成の歌舞伎を代表する女方(おんながた)で、人間国宝にも認定された七代目中村芝翫(しかん)を祖父に、八代目中村芝翫を父に持つ、中村橋之助、福之助、歌之助の三兄弟。名門「成駒屋」のホープとして、彼らはいま大きな注目を集めている。三人は、家の芸を受け継ぎながら、歌舞伎俳優として日々研鑽を重ねる。さらに、自ら企画・出演する自主公演「神谷町小歌舞伎」にも力を注ぎ、新たな歌舞伎の魅力を発信。一方、舞台を離れれば、いわゆる「Z世代」の若者だ。プライベートではさまざまな趣味を持ち、それぞれの世界を楽しんでいる。そんな三人が考える歌舞伎とは、芸とは、成駒屋とは。そして普段の生活は?
◆過去記事はこちら
第1回 僕たちが作る「神谷町小歌舞伎」とは
構成/執筆:櫻井正朗
『婦人画報』元編集長代理。陶芸や漆芸など、日本の伝統工芸をはじめ、茶道や歌舞伎などさまざまな日本文化の取材・原稿執筆を担当する。現在ではフリーランスの編集者として、書籍、雑誌、広告制作に携わる。「プレミアムジャパン」では主に伝統工芸・旅行関係の記事を執筆。
撮影/岡田ナツ子(Studio Mug)
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