談山神社社殿。蹴鞠の庭から権殿(左)、十三重塔(中央)、神廟拝所(右)を見る。十三重塔は、世界最古の木造塔だという。

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Living in Japanese Senses

奈良・談山神社で、能の至宝を観る(前編)

2019.5.24

多武峰談山能(とうのみねたんざんのう)――
「翁」の誕生につながる神社で特別な能が始まる。
能の故郷への旅は時を超える体験だ。

談山神社社殿。蹴鞠の庭から権殿(左)、十三重塔(中央)、神廟拝所(右)を見る。十三重塔は、世界最古の木造塔だという。

室町時代に多武峰で行われていた八講猿楽は
興福寺の薪能、春日大社の若宮祭と同様に
重要な行事とされていた。

奈良県桜井市の談山(たんざん)神社は多武峰(とうのみね)の山並みの中にあり、春の桜や初夏の青もみじ、秋の紅葉と可憐な十三重塔で知られる静かな神社である。ここでは近年春から初夏にかけて、「多武峰談山能」が奉納される。この場所ならではの、能の源流をも感じさせる舞台を見るために、春たけなわの一日、奈良に出かけた。

谷の向かい側から見た談山神社。鳥居と塔が同居している景色は、神仏習合の姿を残している。 谷の向かい側から見た談山神社。鳥居と塔が同居している景色は、神仏習合の姿を残している。

谷の向かい側から見た談山神社。鳥居と塔が同居している景色は、神仏習合の姿を残している。

談山という社号は、7世紀の「大化の改新」前に藤原鎌足(当時は中臣鎌足)と中大兄皇子が密談をした「談(かた)らひ山」「談所ヶ森」に建てられたことからついたという。御破裂山(ごはれつざん)と呼ばれる山の懐にあり、「蹴鞠の庭」を数棟の社殿が囲んでいる。御破裂山とは物々しいが、国に一大事があると鳴動するという謂れの山だ。頂上には鎌足の墓所の古墳がある。

 

境内の一段と高いところに春日造りの本殿があり、山の緑に映える鮮やかな彩色文様や花鳥の彫刻を見ることができる。その下にある拝殿は小さな谷に面していて、なだらかな大和の山々を望む。

 

祭神である藤原鎌足と如意輪観音を一緒に祀る神廟拝所(しんびょうはいしょ)は、神道と仏教が混在していた時代の雰囲気を色濃く残している。明治時代の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)まで、談山神社は妙楽寺という寺だったのだ。

権殿に飾られた摩陀羅神面(またらじんめん)。談山神社には九つの面が伝わり、そのうち三つが翁面だ。この面だけ箱があり、「摩陀羅神面」と墨書されている。 権殿に飾られた摩陀羅神面(またらじんめん)。談山神社には九つの面が伝わり、そのうち三つが翁面だ。この面だけ箱があり、「摩陀羅神面」と墨書されている。

権殿に飾られた摩陀羅神面(またらじんめん)。談山神社には九つの面が伝わり、そのうち三つが翁面だ。この面だけ箱があり、「摩陀羅神面」と墨書されている。


ここから西に向かうと、約5kmで石舞台古墳や高松塚古墳のある明日香村に出る。自動車ならほんの10分ほど。いにしえの人々がたどった街道に思いを馳せる道筋でもある。南の方向には桜の名所・吉野がある。

 

実は、この場所は能楽と深い関わりを持っている。

 

現在の能楽を担う観世(かんぜ)流、宝生(ほうしょう)流、金春(こんぱる)流、金剛(こんごう)流は「大和猿楽(やまとさるがく)四座」と呼ばれ、大和地方が発祥の地である(喜多(きた)流は、江戸時代に金剛流から分かれたので、この中には入っていない)。多武峰には大和猿楽が参勤していた。

談山神社で発見された摩陀羅神面は、通常の翁面よりも大きく、頬の肉付きが強調されている。 談山神社で発見された摩陀羅神面は、通常の翁面よりも大きく、頬の肉付きが強調されている。

談山神社で発見された摩陀羅神面は、通常の翁面よりも大きく、頬の肉付きが強調されている。

談山神社では、室町時代に「八講猿楽(はっこうさるがく)」という神事が行われていて、興福寺の薪能、春日大社の若宮祭と同様に重要な行事とされていた。多武峰で行われた「八講猿楽」では、本物の馬や甲冑(かっちゅう)を使う派手な能も上演された。この演出を「多武峰様(とうのみねよう)」と呼び、京都の御所でも演じられた記録があるという。また、新作能を上演するならわしがあった場所でもある。

 

結崎(ゆうざき)座(観世流の古名)には、「近畿近辺にいるにも関わらず、多武峰の催しに欠勤したものは座を追放する」という決まりがあったほどで、この行事がいかに重要であったかがわかる。これは、能の大成者・世阿弥とその父・観阿弥の時代のことだが、その後、16世紀半ばごろには廃絶されてしまったという。

蹴鞠の庭に、能舞台の準備が整った。移動式能舞台の設計は、いけばな作家の辻雄貴。 蹴鞠の庭に、能舞台の準備が整った。移動式能舞台の設計は、いけばな作家の辻雄貴。

蹴鞠の庭に、能舞台の準備が整った。移動式能舞台の設計は、いけばな作家の辻雄貴。


梅原猛と「摩陀羅神面」の出合い、
そして、二十六世観世宗家の「奉納 翁」が
多武峰談山能を開催するきっかけとなる

しかし、その痕跡は現代にも残っていた。談山神社には、仏教の修行をする場所であった常行堂(現在は権殿と呼ぶ)がある。廃仏毀釈前には阿弥陀三尊像が安置されていたが、その背後に「後戸(うしろど)」と呼ばれる空間があり、そこには「摩多陀羅神面(またらじんめん)」があった。この面は大ぶりの翁面で、他の翁面とは別に箱が誂えられていた。平成22(2010)年に哲学者・梅原猛がこの面と出合い、その翌年の権殿の修理が完成したときに、二十六世観世宗家・観世清和が「奉納 翁」を行ったことが、その後の多武峰談山能を開催するきっかけとなった。

談山神社に伝えられた鼓胴。桜材で造られ、内側の「知らせ(作者が槍ガンナなどで付ける印)」から女内蔵折居の作とわかった 談山神社に伝えられた鼓胴。桜材で造られ、内側の「知らせ(作者が槍ガンナなどで付ける印)」から女内蔵折居の作とわかった

談山神社に伝えられた鼓胴。桜材で造られ、内側の「知らせ(作者が槍ガンナなどで付ける印)」から女内蔵折居の作とわかった

桜井は、小鼓の故郷でもある。談山神社にも伝わってきた鼓胴がある。安土桃山時代の名人・女内蔵折居(めくらおりい)が作ったものだ。桜井という土地の名前のとおり、あたりに多いサクラを使っている。この鼓胴には塗りが施されていないが、なぜこの状態で神社に残されていたかはわかっていない。

発起人の一人である、能楽小鼓方大倉源次郎。2018年に人間国宝に指定された。「桜井は小鼓の故郷。多武峰談山能には大きなご縁を感じます」。 発起人の一人である、能楽小鼓方大倉源次郎。2018年に人間国宝に指定された。「桜井は小鼓の故郷。多武峰談山能には大きなご縁を感じます」。

発起人の一人である、能楽小鼓方大倉源次郎。2018年に人間国宝に指定された。「桜井は小鼓の故郷。多武峰談山能には大きなご縁を感じます」。

「多武峰談山能」の発起人の一人である能楽小鼓方・大倉源次郎は、「初めてこの鼓胴を拝見したのは、梅原猛先生が摩多羅神面を美術館から取り寄せていらっしゃったときでした。同時に持ち出された鼓胴には驚きました。鼓胴の内側を見て、女内蔵折居の作とわかったからです」と、出会いの驚きを語った。談山神社に近い下居(おりい)村では、鎌倉時代から鼓胴が作られていたという。能を生んだ場所は、小鼓の故郷でもあった。

(敬称略)

寒の戻りのために例年より遅く満開を迎えた桜の花の下で、多武峰談山能が始まる。 寒の戻りのために例年より遅く満開を迎えた桜の花の下で、多武峰談山能が始まる。

寒の戻りのために例年より遅く満開を迎えた桜の花の下で、多武峰談山能が始まる。

談山神社 Tanzan Jinja

奈良県桜井市多武峰319
近鉄大阪線・JR桜井線桜井駅下車
桜井駅南口より談山神社または多武峰行きバスで約25分
タクシーで約20分
http://www.tanzan.or.jp

 

 

奈良・談山神社で、能の至宝を観る(後編)につづく

 

Photography by Hiroaki Ishii
Text by Akiko Ishizuka

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