プラチナボーイの繭と白生地。

Style

Living in Japanese Senses

希少な蚕から作る、自分だけのきもの

2019.12.27

銀座もとじがプロデュース。
私だけのきものを作る「プラチナボーイ物語」とは

プラチナボーイの繭と白生地。

現代の暮らしにふさわしい和装の魅力を伝え、男女を問わず幅広い世代にファンを持つ店、銀座もとじ。きものをよく知る人にも、これからという人にも、きものとその素材である絹の魅力をより深く知ってもらうための画期的な取り組みを行っている。それが「プラチナボーイ物語」だ。

希少な蚕「プラチナボーイ」
雄の糸だけから作られる夢の絹

「プラチナボーイ」とは、極上の純国産の蚕(かいこ)の種を指す。「ボーイ」と名付けられているのは、雄だけの蚕の品種だから。卵を生まない雄の蚕が吐く糸は、細く長い。そのためシワになりにくい質感を持ち、まとった時には軽やかで、上品な光沢としなやかなドレープ感を表現できるのだ。

絹織物の元となる繭 絹織物の元となる繭
絹織物の元となる繭は、自然からの至高の贈り物だ。養蚕農家や作り手の多くの手間と技が結集し、匠の創意と感性が加わってきものが誕生する。店内には繭も飾れらている。 絹織物の元となる繭は、自然からの至高の贈り物だ。養蚕農家や作り手の多くの手間と技が結集し、匠の創意と感性が加わってきものが誕生する。店内には繭も飾れらている。

絹織物の元となる繭は、自然からの至高の贈り物だ。養蚕農家や作り手の多くの手間と技が結集し、匠の創意と感性が加わってきものが誕生する。店内には繭も飾れらている。

かつて日本は蚕糸業で繁栄し、近代化に大きな役割を果たし、日本を豊かにしてきた。しかし今、きものに使われる絹のほとんどは輸入に頼られ、純国産の絹の国内受給率は1%ほどにまでなっている。良質な純国産絹製品の生産を増やそうと、大日本蚕糸会が主導し研究が重ねられ、37年間の月日を費やして誕生したのが、雄の蚕だけが孵化する国産蚕種、プラチナボーイだ。2007年春、こうして生まれた「夢の糸」をはじめて商品化したのが、きものに独自の哲学と美学を持つ「銀座もとじ」の代表取締役社長、泉二弘明だった。


“お蚕さんからきものになるまで”
着る人が参加し、現場で製作過程を見て知る、
体験型プロジェクト

この絹の魅力を最大限に表現するひとつの手段が、きものを着る人がみずから蚕の飼育に参加し、最後に、好みに染めて装うという消費者参加型のプロジェクト「プラチナボーイ物語」だ。自分が関わって出来上がった白生地の反物を、江戸小紋から友禅染めまで、多彩な染めを選び、きものが完成するまでを体験するツアーを含めた、銀座もとじ独自のプロジェクトだ。

 

「プラチナボーイ物語」のツアースケジュールは、5~6月頃に養蚕農家で春繭の養蚕体験をし(茨城県)、9月頃に座繰り体験と製糸見学(群馬県)、11~12月にちりめん織元見学、八丁撚糸体験(滋賀県)をし、翌年3月頃に白生地が完成して参加者に一度、渡される。その後、好みの染めを決め、再び預かり、きものを仕立てるという流れ。今後はさらに、染めの現場を訪ねる行程も加えるなど、いっそうきものづくりの現場と匠の技に触れる工夫がなされる予定だ。

泉二啓太 泉二啓太

良い糸ができるよう養蚕農家に思いを託す泉二啓太。桑畑に出て刈り取りも体験する。

実施に蚕に触れる萩原輝美。 実施に蚕に触れる萩原輝美。

養蚕農家では、蚕にも触れることができる。萩原が指に乗せるのは、実際に自分のきものとなるプラチナボーイ。

碓氷製糸場 碓氷製糸場

ツアーの第2回目は、碓氷製糸場を見学。


ほぼ一年間にわたり、蚕に餌をやり、繭が糸になる段階や、生地に織り上げられる過程に参加し、見学・体験をしながら自分だけのきものを作る。そこに、1枚のきものに映し出される感動や喜びも生まれる。「プラチナボーイ物語」を体験したファッションディレクターの萩原輝美を迎え、銀座もとじ の泉二啓太とともに、きものとプラチナボーイの魅力を語り合った。

自分好みに染めた「プラチナボーイ」のきものをまとったファッションディレクター萩原輝美と、このプロジェクトを主に担う銀座もとじ 二代目の泉二啓太。 自分好みに染めた「プラチナボーイ」のきものをまとったファッションディレクター萩原輝美と、このプロジェクトを主に担う銀座もとじ 二代目の泉二啓太。

自分好みに染めた「プラチナボーイ」のきものをまとったファッションディレクター萩原輝美と、このプロジェクトを主に担う銀座もとじ 二代目の泉二啓太。

お蚕様からはじまり、着る人がいて完結する。
物語のある「きもの創作」を体験して

萩原:私が「プラチナボーイ物語」ツアーに参加したのは2015年。きもの雑誌の連載を持っていたこともあり、ジャーナリストとして、きもの好きの一人として参加しました。それから4年、今日のきものは、このツアーから生まれた1枚です。

 

泉二:今、日本のきものは、ほとんど輸入の絹からできています。昭和初期には日本に221万戸あった養蚕農家も今はたった350戸ほどになり、製糸工場も激減しています。こうした状況も背景にあって、「夢の蚕」である雄の蚕が研究開発されました。雄の蚕の繭が優れていることは昔から知られていて、数十年前から研究されている方もいました。

 

蚕と絹織物は、日本の近代化を支えた重要な産業です。そういった背景にも思いを馳せ、1枚のきものが出来上がるまでの工程を知っていただくことで、日本の絹と、きものに込められた手技のすばらしさを知っていただければ、という思いで始めました。

 

萩原:「プラチナボーイ物語」の反物には、蚕種の開発者、養蚕農家、製糸、製織、染め手、そして最後に、きものの持ち主となるお客様の名前までも記された証書がつけられていますね。蚕から始まり、着る人があって物語が完成する、究極のオートクチュールですね。

 

泉二:顔の見えるものづくりをし、安心してまとっていただくためです。私自身、小学校5年生の時、「きものって何からできているの?」と父(銀座もとじ創業者)に聞いた覚えがあります。その時、父は2週間にわたって店を閉め、店で蚕を飼い、2日に一度、桑の葉を群馬県から運び、飼育して、私の通っていた泰明小学校の生徒にも見てもらう、という思い切ったことをしてくれました。きものが何からでき、どのようにきものになるのか、まず知っていただければと思います。

 

萩原:素敵なお話ですね。

きものの履歴を記した証書。蚕種の開発者、養蚕農家、製糸工場、織り手、染め手、最後にきものの持ち主の名が記されている。多くの匠のリレーよって1枚のきものが出来上がることを物語る証だ。 きものの履歴を記した証書。蚕種の開発者、養蚕農家、製糸工場、織り手、染め手、最後にきものの持ち主の名が記されている。多くの匠のリレーよって1枚のきものが出来上がることを物語る証だ。

きものの履歴を記した証書。蚕種の開発者、養蚕農家、製糸工場、織り手、染め手、最後にきものの持ち主の名が記されている。多くの匠のリレーよって1枚のきものが出来上がることを物語る証だ。

きらめきを放つプラチナボーイの白生地。ここから自由に自分好みのきものを作る楽しみが広がる。 きらめきを放つプラチナボーイの白生地。ここから自由に自分好みのきものを作る楽しみが広がる。

きらめきを放つプラチナボーイの白生地。ここから自由に自分好みのきものを作る楽しみが広がる。

プラチナボーイに友禅染めを施した帯地。他の絹とは違う、輝きとツヤ、しなやかさがある。 プラチナボーイに友禅染めを施した帯地。他の絹とは違う、輝きとツヤ、しなやかさがある。

プラチナボーイに友禅染めを施した帯地。他の絹とは違う、輝きとツヤ、しなやかさがある。

萩原:養蚕や絹織物に関わる人々と仕事を訪ねるツアーは、大人の社会見学のようで楽しかったですね。2年越しでこうしてきものが出来上がる、その待つ時間も心浮き立つものでした。蚕という虫の状態から眺めて、育てていただき、こうしてきものになる。その長い時間と技を職人さんたちと共有でき、一層思い入れのある一点となりました。まさに今の時代に必要な、本当の意味でのサステナビリティ(持続可能)なものづくりです。

 

泉二:嬉しいですね。大量生産大量消費ではない、きものの裏側にある物語を感じていただければ何よりです。伝統工芸は失われたら終わりです。現在、手仕事にたずさわる方は少なくなっている現状があります。だからこそ、作り手に実際に会い、触れることで、伝統工芸を考えるきっかけになってほしいという思いをツアーに込めています。作り手の方々にも光を当てることによって、後継者育成にも繋がると考えています。若い職人さんがちゃんと暮らしていかれる環境を作るためにも、あと10年が勝負、と思ってやっています。

白を基調にした上品な着こなしで。自分の好みで染めたきものは、プラチナボーイの個性である輝きとしなやかさを生かし、ごく淡いラヴェンダー色の縞に染めている。帯は京都の千藤のもの。 白を基調にした上品な着こなしで。自分の好みで染めたきものは、プラチナボーイの個性である輝きとしなやかさを生かし、ごく淡いラヴェンダー色の縞に染めている。帯は京都の千藤のもの。

白を基調にした上品な着こなしで。自分の好みで染めたきものは、プラチナボーイの個性である輝きとしなやかさを生かし、ごく淡いラヴェンダー色の縞に染めている。帯は京都の千藤のもの。

萩原:銀座もとじに来れば、きものの織りと染めのさまざまな伝統、今の職人さんによる斬新な感覚の表現に至るまで、知ることができます。これからきものを着る若い世代にもアピールしていますね。「プラチナボーイ物語」も、新鮮な発見と未知の体験の中で、自分だけのきものを作る大きな楽しみのある、貴重な取り組みだと感じます。

2019年、銀座もとじは創立40周年を迎えた。「プラチナボーイ物語」を長く続け、きもの文化を守りたいと語る泉二啓 2019年、銀座もとじは創立40周年を迎えた。「プラチナボーイ物語」を長く続け、きもの文化を守りたいと語る泉二啓

2019年、銀座もとじは創立40周年を迎えた。「プラチナボーイ物語」を長く続け、きもの文化を守りたいと語る泉二啓

泉二:きものはまさに着る工芸品です。1年かけたツアーのあと、皆で集って、仕立てたきものをまとっていただき、各地への訪問を振り返りながら楽しむ、同窓会のような機会も作りたいですね。

 

萩原:皆でプラチナボーイをまとって、ツアーの思い出を語り合う集い、ぜひ実現したいですね。他の方がどのような着物にされたか拝見するのも興味深く、楽しみです。それが参考になって、また作りたくなるでしょうね。今日は興味深いお話を下さり、ありがとうございました。


 

(敬称略)

萩原輝美 Hagiwara Terumi
ファッション・ディレクター
毎シーズン、ミラノ、パリなど世界のデザイナーコレクション、オートクチュールを取材。ファッション雑誌に記事、コラムを寄稿する。大学、専門学校の各種セミナー講師、デザインコンテスト審査員を務める。エレガンスをリアルに落とし込むファッション提案に定評がある。きものにも関心を広げ、ファッションと同じように日常にとり入れる企画、提案をしている。

 

泉二啓太 Motoji Keita
銀座もとじ2代目
ロンドンの大学でファッションを学び、帰国。2009年に銀座もとじに入社。オリジナル商品の開発から、お客様が着物づくりの工程を体験できる「プラチナボーイ物語」の企画立案を手掛けるなど、常に新しい試みにチャレンジしている。全国各地の作り手を訪れ、自分の目で見て聞いて感じたことを若い層にも広げようとさまざまな取り組みを行っている。

「銀座もとじ 和織 和染」
「和織」は、紬と織の専門店として日本全国の「特徴のある紬、重要無形文化財指定の逸品も取り揃える。現代のライフスタイルと町並みに合う紬を提案。
「和染」は、染めの専門店として現在にふさわしい色柄でありながら気品を持つ、洗練された染めのきものを提案。プラチナボーイの取り扱いは「和染」で。

「プラチナボーイ物語」の詳細に関しては以下のサイトへ。
https://www.motoji.co.jp/challenge/platinumboy/

◆銀座もとじ「創業40周年記念作品展 ―繋がり―」開催

人間国宝 森口邦彦作 プラチナボーイ訪問着「たちのぼる」 人間国宝 森口邦彦作 プラチナボーイ訪問着「たちのぼる」

人間国宝 森口邦彦作 プラチナボーイ訪問着「たちのぼる」

きものを通じて人と人を繋げ、日本の素晴らしい手仕事の数々を伝えてきた銀座もとじ。創業40周年を記念し 「創業40周年記念作品展 ―繋がり―」を開催する。「プラチナボーイ」や「銀座の柳」を素材として、作家や各産地の総力を結集。総数160点の作品を一堂に展示する、現代に受け継がれる至高のきものの集大成だ。
銀座もとじ 和織・和染、男のきもの、大島紬 各店にて、2020年1月17日(金)~19日(日)まで。

 

東京都中央区銀座4-8-12
03-3538-7878(和織) Tel.03-3535-3888(和染)
www.motoji.co.jp

Text by Misuzu Yamagishi
Photography by Ahlum Kim

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