立体感あるたて縞が特徴の小倉織の風呂敷。プリントではないので裏表の差がなく、初心者でも結びやすい。ギフトや海外の方へのお土産にも最適。六八風呂敷 68cm×68cm 4,320円(税込)立体感あるたて縞が特徴の小倉織の風呂敷。プリントではないので裏表の差がなく、初心者でも結びやすい。ギフトや海外の方へのお土産にも最適。六八風呂敷 68cm×68cm 4,320円(税込)

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柴田裕介がプロデュースする日本工芸の美意識と奥ゆき

2020.7.30

5. 現代の技術とセンスで蘇った「小倉織」。「小倉縞縞」築城弥央の新たな視点

立体感あるたて縞が特徴の小倉織の風呂敷。プリントではないので裏表の差がなく、初心者でも結びやすい。ギフトや海外の方へのお土産にも最適。六八風呂敷 68cm×68cm 4,320円(税込)

小倉織とは、豊前小倉(現北九州市)の特産であり、色の濃淡による立体的なたて縞が魅力の、地厚で丈夫な木綿の織物。江戸時代には武士の袴や帯として愛用され、昭和初期には350年続いた伝統が途絶えたという。築城弥央の叔母にあたり、地元出身の染織家・築城則子によって1984年に復元。築城弥央が発信する「縞縞」は、伝統ある小倉織の特徴を継承した広巾の布。小倉織の特長である丈夫で美しいたて縞を活かし、現代のデザインを生かして新たな歴史をスタートさせたブランドが「縞縞SHIMA-SHIMA」だ。

 

文・築城弥央

 

私は福岡県北九州市小倉に生まれ育ち、地域の伝統織物である「小倉織(こくらおり)」に携わる仕事をはじめて12年になります。布は昔から私にとって身近なものでした。母は、東京六本木の「NUNO」というテキスタイルブランドのフランチャイズを営み、伯母は染織家で、機織りの「トントン」と響く音は日常の中で自然な音でした。が、ほとんど無関心の十代の私がいました。

縞は経(たて)糸の並びで柄が決まる。たて縞が特徴の「小倉織」にとって重要な過程。 縞は経(たて)糸の並びで柄が決まる。たて縞が特徴の「小倉織」にとって重要な過程。

縞は経(たて)糸の並びで柄が決まる。たて縞が特徴の「小倉織」にとって重要な過程。

大学時代に留学して台湾に住むことになり、世界各国からの留学生と交流することで、初めて文化の違いに気づかされ、自国を意識するようになりました。台湾で知り合った原住民族出身の友人に誘われ、原住民が暮らす台湾東部で寝泊りをした時のことです。高い建物など見当たらない大自然の中、水平線に沈む太陽。美しい色彩の民族衣装を身に纏い、笑顔で民族曲を歌う原住民の友人とその仲間たち。釈迦頭という名産の果物を枝から採り、そのまま私の手に渡してくれた時の事は今でも鮮明に覚えています。

 

そこにしかないもの、その大事さを初めて意識しました。台湾で、土地固有の伝統と文化を知るのと同時に、日本の文化、身近であった織物により一層興味を持つこととなりました。


美しい色彩の民族衣装。 美しい色彩の民族衣装。

美しい色彩の民族衣装。

「小倉織」は地厚で丈夫、なめらか、たて縞に特色のある、木綿の織物です。武士の袴として愛用され、明治時代は男子のバンカラな学生服として人気を博しましたが、昭和初期に途絶えてしまいました。その後、約50年の空白を経て、1984年に私の伯母である染織家築城則子が、手織りで復元・再生し、日本伝統工芸展などで発表しています。そして2007年、機械織による小倉織ブランド「小倉縞縞」を母と私で立ち上げました。140㎝の広幅の布は伝統を継承しつつ、より現代的な汎用品として、ファッション、インテリアなど他分野への用途も広がっています。

小倉 縞縞 井筒屋店(小倉井筒屋本館6F)。 小倉 縞縞 井筒屋店(小倉井筒屋本館6F)。

小倉 縞縞 井筒屋店(小倉井筒屋本館6F)。

新しい時代の小倉織は日本だけでなく、世界でも受け入れられるものになってほしい、そうした想いから、ヨーロッパの見本市に出展をはじめ、アジアへもつながりができてきました。イタリア、フランス、台湾、シンガポールなど、各国のショップやエージェント達とのコミュニケーションを通して、少しずつ小倉織の進む道がより鮮明になりました。シンガポールでは、株式会社HULSの柴田裕介さんとの企画で当地のプラナカン文化をイメージした小倉織の生地開発も行い、文化の融合という新たな視点で両国の伝統を発信することができました。

 

そして2019年7月、小倉織物製造株式会社を設立。小倉の地に製造業としての基盤を復活させることが出来ました。小倉織は高密度故に縞柄にしかならず、織り進めるのにもかなりの力が必要な頑固な織物ではありますが、時代と共に新たな価値を加え、さらに進化した小倉織を創っていきます。

機械織により実現した広巾の小倉織。 機械織により実現した広巾の小倉織。

機械織により実現した広巾の小倉織。

私自身は、つくり手ではありませんが、工芸制作のマネージメントを通して、ものづくりを支える仕事をしていきたいと思っています。そして今では、一歳半の男児の母となり、想像をはるかに超えた未知なる体験の中、生きることの意味を教えられる日々です。

 

木綿から糸が紡がれ、たて糸とよこ糸が交わることで織物となり、伝統が育まれてきました。私もまた、現代に生き、未来へ向かう一本の糸です。細い糸ですが、先人への感謝を忘れず、多くの出会いをよこ糸に、新たに続く道を、鮮やかに織りなしていきたいと願うばかりです。

築城弥央 Mio Tsuiki小倉織物製造株式会社 代表取締役社長1980年生まれ、福岡県北九州市出身。伯母である手織りの染織家築城則子の小倉織復元、再生と共に育つ。大学在学中に台湾へ留学し、台湾日系企業へ就職。海外で暮らす中で改めて日本文化、特に伝統工芸の奥深さ、底力を感じ、帰国後、母と共に機械織による小倉織ブランド「小倉縞縞」を立ち上げる。その後約10年間企画・営業・販売・生産管理を経験する中で、多様なオーダーに応じられる製造工場の必要性を感じ、2018年7月小倉織物製造株式会社設立。プライベートでは1児の母。 築城弥央 Mio Tsuiki小倉織物製造株式会社 代表取締役社長1980年生まれ、福岡県北九州市出身。伯母である手織りの染織家築城則子の小倉織復元、再生と共に育つ。大学在学中に台湾へ留学し、台湾日系企業へ就職。海外で暮らす中で改めて日本文化、特に伝統工芸の奥深さ、底力を感じ、帰国後、母と共に機械織による小倉織ブランド「小倉縞縞」を立ち上げる。その後約10年間企画・営業・販売・生産管理を経験する中で、多様なオーダーに応じられる製造工場の必要性を感じ、2018年7月小倉織物製造株式会社設立。プライベートでは1児の母。

Profile

築城弥央 Mio Tsuiki

小倉織物製造株式会社 代表取締役社長

 

1980年生まれ、福岡県北九州市出身。伯母である手織りの染織家築城則子の小倉織復元、再生と共に育つ。大学在学中に台湾へ留学し、台湾日系企業へ就職。海外で暮らす中で改めて日本文化、特に伝統工芸の奥深さ、底力を感じ、帰国後、母と共に機械織による小倉織ブランド「小倉縞縞」を立ち上げる。その後約10年間企画・営業・販売・生産管理を経験する中で、多様なオーダーに応じられる製造工場の必要性を感じ、2018年7月小倉織物製造株式会社設立。プライベートでは1児の母。

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