ホテルのダイニングの魅力と、そこで努力を重ねる料理人にスポットを当てる企画の第二弾は「食のオークラ」と称される「The Okura Tokyo」を紹介する。日本の西洋料理を本格的なフランス料理へと導いたホテルオークラ総料理長小野正吉の真髄を守りながら、新たな「ヌーヴェル・エポック」をいかに進化させるのか、二人の料理長にオークラフレンチが目指すものについて聞いた。
新生「ヌーヴェル・エポック」が作り出すオークラフレンチとは?
ホテルオークラ東京は建替えを発表した時、世界のアーティストたちが「モダニズム建築の最高傑作を残してほしい」という多くの発信をしたことは記憶に新しいだろう。と同時に、あのホテルオークラ東京の建築や意匠、空間デザインをいかに継承されるのかを世界のメディアは注目した。
モダニズム建築の最高傑作と称された「ホテルオークラ東京」。
2019年、ホテルオークラ東京は「The Okura Tokyo」として新規開業を果たした。そこにはかつてのオークライズムが確かに継承された、新しいオークラの姿があり、私たちに安堵と感動を与えてくれた。そして開業とともに、オークラを代表するフレンチ料理レストラン「ラ・ベル・エポック」は、「ヌーヴェル・エポック」(ヌーヴェルとは新しいというフランス語の意)となって新たなオークラフレンチの歴史もスタートした。
アールデコ調のインテリアが印象的だった、ホテルオークラ東京別館12階の「ラ・ベル・エポック」の当時の様子。
あれから4年。「ヌーヴェル・エポック」はどのようになったのか。現在、「ヌーヴェル・エポック」を知る上で欠かせないシェフは二人いる。「ヌーヴェル・エポック」はじめThe Okura Tokyoの洋食部門の総指揮をとる洋食調理総料理長の池田順之(いけだよしゆき)シェフと、2022年3月「ヌーヴェル・エポック」新料理長に就任した池田進一(いけだしんいち)シェフである。
フランス料理界の天皇と呼ばれた「小野正吉」が築いたオークラフレンチ
“食のオークラ“と呼ばれる所以を語る上で忘れてはいけない伝説の料理人「小野ムッシュ」をまずは紹介しよう。
ホテルオークラ東京は、高度経済期を迎えた1962年、創業者である大倉喜七郎と社長の野田岩次郎によって「経営は米国式、料理は欧州式」の指針の下、創業を果たした日本を代表するホテルである。1973年には別館が完成し、日本に本格的なフレンチレストランがまだ少ない中、「ラ・ベル・エポック」を誕生させた。総料理長は、帝国ホテルの料理長・村上信夫と並んでフランス料理界の「天皇」と呼ばれた小野正吉(おのまさきち)である。帝国の村上とオークラの小野、そのどちらも、みなが敬意を込めてムッシュと呼んだ。日本のフランス料理の伝説的な料理人である。
ホテルオークラ東京創業当時の総料理長、小野正吉(中央左)。
現在の洋食調理総料理長の池田 順之シェフは、オークラが誇るレジェンド、小野正吉の下で修行経験を持つ。
「ひと言で言えば、小野ムッシュは料理の鬼です。調理場に入ってくると、空気が張り詰め皆の顔つきも変わリます。料理に関して一切の妥協はしない人なので、マイカップでの味チェックは本当に厳しいものでした」。
小野正吉の料理に対する姿勢やメモがびっしり書き込まれたレシピノートは今でも書籍になって語り継がれているほどだ。
「ヌーヴェル・エポック」をはじめ、洋食部門の総指揮をとっている、洋食調理総料理長の池田順之。
「ヌーヴェル・エポック」が直面した課題を乗り越えて
「ラ・ベル・エポック」は、さながらパリのグランメゾンを思わせる本格派フレンチレストランである。そしてムッシュ小野が創り上げた伝統のフレンチがよく似合った。しかし建て替えにともない「ヌーヴェル・エポック」としてリニューアルした際、池田総料理長には葛藤があった。
「アールヌーボー調の重厚感あるインテリアが印象的であった『ラ・ベル・エポック』に対して、『ヌーヴェル・エポック』は建築家谷口吉生が設計した洗練されたモダンな空間です。ここに、かつてのメニューは合わないかもしれない」。当時、そんな思いを抱いたことを語ってくれた。
そこで新たなメニューへの挑戦を行うことにしたが、コロナの影響に加えて「ラ・ベル・エポック」時代からの顧客から、これはオークラフレンチではないという声も届き、一度歩みを止めることになる。2022年3月に池田進一が新料理長に就任。そこで池田総料理長はオークラフレンチへの原点回帰を決断する。
オークラ ヘリテージウイングにはフランス料理「ヌーヴェル・エポック」、日本料理「山里」オークラ プレステージタワーには鉄板焼「さざんか」、中国料理「桃花林」、オールデイダイニング「オーキッド」がある。
朝食・ランチ・ディナーの提供を行なっている「ヌーヴェル・エポック」。
伝統には魅力を感じながらも、私たちは斬新さに心奪われてしまうのも事実である。世界のレストラン業界においても、新たな料理ジャンルとして、イノベーティブ・フュージョンがフーディーたちを賑やかせている。国籍を超えたクリエイティブでユニークなパフォーマンスは、多くの人々を惹きつける。さらにこれらの独創性はレストランの評価である、ベストレストラン50やミシュラン、ゴ・エ・ミヨなどの評価基準の一つにもなっている。
「ラ・ベル・エポック」時代から変わらず提供している、クレープシュゼット。
「これらの評価を意識するのであれば『ヌーヴェル・エポック』の料理は変えるべきだろうが、私たちが目指すところはそこではない。我々はオークラフレンチを貫き、小野ムッシュの信念を守り続けて王道のフランス料理を作り続けます」と、池田総料理長は言い切った。そして「こういうフランス料理レストランがあってもいいんじゃないですか」と微笑んだ。
「オークラフレンチには、小野ムッシュが大切にしてきた、コンソメやフォン ド ボー、フュメ ド ポワソンなどのソースのベースにもなるものがあります。これらは絶対に手間を惜しんではいけないし、変えてはいけないんです。これこそが“食のオークラ“の原点ですし、これらを丁寧に作ることで、間違いのない美味しさが生まれます」と、池田総料理長は思いを語る。
時代の変化と哲学の継承の葛藤と改革
「ヌーヴェル・エポック」新料理長の池田進一も、オークラフレンチを継承していきたいと考えているひとりだ。
「私が料理長に就任して池田総料理長に言われたことが、守るべきもの、変えてもいいものとは何かをよく考えろ、でした。この背景にはオークラフレンチとは何か? 愛し続けてくれた顧客の方々に喜んでもらえる料理とは? これを自分で考えてみろということだと思っています」。
2019年のThe Okura Tokyo開業当時の挑戦を踏まえて、「ヌーヴェル・エポック」はオークラフレンチとしての本来あるべき姿に軌道修正している。さらに池田は新料理長として、個性と料理の美学をいかに表現していくのか。新たな「ヌーヴェル・エポック」は今始動している。
「オークラには今まで蓄積した莫大なレシピがあります。それらを復活させながらも、現在の味わいに少しアレンジを加えたり、またレシピを掛け合わせたりすることで、オークラの財産を引き継ぎ、進化させることに取り組んでいます」と池田料理長は語る。
2022年3月に就任した「ヌーヴェル・エポック」の新料理長、池田進一。
池田料理長の生み出す料理によって、昔からの顧客たちが戻ってきていると聞く。特に一度食べたら忘れられない味わいが、池田が作るスープのダブルコンソメである。元々オークラのコンソメは人気メニューの一つであるが、そこへさらに島根県にある専用牧場で肥育された「オークラ牛」のひき肉を入れて煮込んでいくというダブルスープ。手間を二度かけることで雑味が消え、味わいが深くなる。また新たに低温調理技法も取り入れた。今まではオーブンだけで丁寧に焼き上げていた仔牛のローストを、低温調理で仕上げてからオーブンに入れるようにしたのだ。すると肉の旨味が凝縮されて驚くほど柔らかく仕上がるのである。新たな進化も成功の兆しだ。
盛り付けは料理人の個性と受け入れ、オークラルールは封印
池田総料理長によれば、小野ムッシュには守り続けている盛り付けのルールもある。
「ソースはたっぷり、そしてソースはプレートの縁にあるラインを超えてはいけない。当時これをずっと守続けていましたが、今はプレートの縁までソースを散らすなどの盛り付けが一般的になってきましたね。だから盛り付けに関しては料理長の個性と考えて任せています」。今の「ヌーヴェル・エポック」についても聞いてみた。
「いいんじゃないのかな。好きなようにやれと言ってるんで」と苦笑いをしながらも、その表情は満足げである。
澄み切った美しい、ダブルコンソメ。
肉の旨みをしっかり残しながら、柔らかく仕上がったメインディッシュのヨーロッパ産仔牛と春の芽吹きの野菜のココット焼き モリーユ茸のソース。
ホテルのレストランと街のレストランでは大きな違いがある。街のレストランはメニューにある料理を一方的に提供するが、ホテルのレストランは宿泊客の要望に柔軟性と対応力を持って対応していく。まるで自宅のキッチンのように寄り添い、さらに一流のサービスマンが快適な時間を提供する、これがホテルレストランなのだと二人は語る。
そして常に本物のフランス料理を提供するのが「ヌーヴェル・エポック」なのだと。もし本当に美味しいフランス料理を食べたいのなら、「ヌーヴェル・エポック」に行くべきである。きっと間違いのない美味しい料理と出合えるはずだ。
(敬称略)
The Okura Tokyo
東京都港区虎ノ門2丁目10−4
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