「ザ・リョカンコレクション」に加盟する旅館の女将や支配人を紹介する連載「旅館の矜持」。今回は香川県琴平町にある「琴平花壇」の三好りつ子女将を紹介する。
400年の歴史を有する旅館
香川県琴平町といえば、「こんぴらさん」の愛称で知られる神社・金刀比羅宮を擁する土地である。主祭神として祀られているのは、大物主神(おおものぬしのかみ)と崇徳天皇。琴平町は、江戸時代から連綿と続く‶こんぴら参り″とともにある町だ。
金刀比羅宮がある象頭山の麓に位置するのが「琴平花壇」である。
宿の3階のガーデンラウンジでは、眼下に琴平の街が広がり、遠方に雄大な讃岐富士(飯野山)を臨むことができる。
ガーデンラウンジから琴平の街並みを一望
三好女将に話を聞いた。
「旅館業の始まりは1627(寛永4)年と古いんです。金刀比羅宮の表参道沿いに旅籠屋の『備前屋』として創業しました。来年で400周年となります。創業から約280年後の1905年、16代目の三好源次郎が、日露戦争の戦勝記念として、『備前屋』の別邸の料理旅館として高台に建てたのが『琴平花壇』となります」
現在、敷地内には3つの客室棟と、当旅館の象徴とも呼ぶべき3つの離れである長生殿、泉亭、延寿閣の計6棟が立っている。とりわけこれらの離れは、多くの文人墨客が投宿したことで知られている。
中庭の全景。真ん中左が泉亭、右が延寿閣、
「延寿閣には文豪の森鴎外、泉亭には北原白秋、長生殿には高松宮殿下が宿泊されました。ほかにも、与謝野晶子・鉄幹夫妻、吉井勇、井伏鱒二らが宿泊なさっています。鴎外は陸軍の軍医総監をしていた時代のことですが、当館に三日間逗留されています。その時に詠んだ一首が、『松あおく もみじは赤に 琴平の 花壇に逢いし 人は忘れじ』です」
鴎外の小説『金毘羅』には、
<文学博士の小野翼君は、高松市で講演を済まして、一月十日に琴平まで来て、象頭山の入口にある琴平花壇に這入つた。>
と、冒頭で宿の描写が出てくる。
文化財的な価値のある3つの離れ
100年以上も前に建てられたこれらの離れの建築があまりにも素晴らしい。そして、三好源次郎が蒐集した美術品の数々がさらなる風格を添えている。
例えば長生殿の美術品だが……。
「三つの離れのうちでいちばん大きな長生殿は、茶室建築を取り入れた数寄屋造です。この離れだけは、源次郎が自身の出身地である多度津から移築したものなんです。入母屋造りの玄関を入ると、正面には琴塚英一のお軸、書院造りの客間の床の間には堀江頼直による『寒山拾得』の三副対、ほかにも多数の作品が飾られています」
「長生殿」の傘張り天井が残る浴室。
建築の細部も見事だ。
「浴室の天井は傘張り天井の様式ですが、空調の役割を果たす放射状になっています。漆塗りの床、お手洗いの天井は折り上げ格天井(ごうてんじょう)で、古い和式のトイレをあえてそのまま残しています。実際に使うシャワートイレは別室にあります。波打つガラス窓や照明も明治から大正にかけてのもので、いずれも今となっては稀少な設えです。こうした設えはとても風情があるのですが、壊れても直せないので、そこが悩ましいところでもあります」
こうした建築にはなかなかお目にかかれない。古材や旧設備に関しては、「残すもの」と「機能更新するもの」を選別していることがわかる。
「家屋の全体が歪んできて、ジャッキアップで歪みを補正したこともあるんですよ。言うならば、保存と改修のせめぎ合いです(苦笑)。とは言え、こうした建築は歴史的な文化財ですから、その価値はやはりこの宿の中核にあるものです。維持していくことの使命を感じています」
こうした古い日本建築を好むのは日本人ばかりかと思いきやさにあらず。
「欧米はもちろんですが、特にアジア圏の、台湾、香港、韓国の方々にも人気がございます。やはりインバウンド需要の増加は最も大きな変化です。従来は閑散期であった2月などでも、春節の時期を中心に高い稼働を維持できるようになってきています。また桜の時期である4月には海外顧客比率が4割に達しまして、年間を通じた稼働率の安定にとってインバウンドの影響を感じています。皆さん、インスタグラムなどをご覧になって、インターネットで直接にご予約いただくことが多いですね」
最も格式の高い離れ「長生殿」。数々の美術品が数寄屋造りの客室に風格を添える。
インターネット予約の普及は、新たなおもてなしの形をもたらしている。自室の露天風呂で温泉に浸かり、歴史ある庭園や琴平の町並みを眺めるひとときは、旅の大きな醍醐味だ。
「私どもの露天風呂付き客室13室は、一室一室が異なる個性を持っています。 最近は海外、特にアジア圏のお客様は非常に旅慣れていらっしゃって、事前にウェブサイトの写真を細部までチェックし、お好みの間取りを明確にイメージしてご予約くださいます。
だからこそ私どもも、ご期待を超える感動をお届けできるよう、事前のご要望を丁寧に汲み取り、最適なお部屋をご案内できるよう細心の配慮を重ねています」
臨床検査技師から旅館のお嫁に
琴平花壇は、1627年に表参道で創業した「備前屋」に端を発し、来年は400周年を迎える。女将がこの宿に来たのは結婚によってだった。
「私は生まれが北海道の帯広でして、地元の高校を卒業してから東京の医療系の専門学校で3年間学びました。卒業後はお茶の水の順天堂大学付属病院で臨床検査技師として、また、病理細胞検査士として勤務していました。細胞検査士とは、人体の細胞を顕微鏡で観察して悪性腫瘍かどうか確認していく仕事でした。
主人とは学生時代に知り合いまして、彼は旅館の長男でしたから、29歳で結婚してこちらに参りました。それから丸42年が経ちます。来た当初は学会に参加したり、また、県内の病院、検査センターからお誘いをいただいたりしましたが旅館との両立は難しく、旅館の仕事に専念することにしました」
旅館の仕事にはすんなり入り込めたのだろうか。
「旅館の仕事はやるつもりでお嫁に来ましたね。若かったし、真っ新(さら)でしたから、特に難しいとも思わずに飛び込んだ感じです。主人の両親は『備前屋』にいて、『琴平花壇』には主人の祖母がおりました。なので、女将の修行をやるというよりは裏方の事務の仕事をしていました。
旅館業のことが何も分からずにいましたので、お客様目線で旅館業を捉えられたのは良かったかもしれません。周囲をよく観察しながら、その都度、何が正解なのかを考えていきましたね。主人の祖母はもう高齢でしたし、私が裏方のせいもあって、あまり指導されるようなことはありませんでした。教えられたのは、『障子のサンを指で撫でて、ホコリのチェックをしなさい』と言われたことぐらいでしょうか(笑)」
「泉亭」の天蓋付きベッドの向こうで。窓外では庭の緑が映え、紅葉の季節は格段に美しいという。
歴史ある宿に訪れた、新たな転機
創業から長い歳月が流れる中、時代の変化に伴い難局に直面する時期もあった。
「地域に深く根ざしてきた琴平花壇だからこそ、伝統ある歴史をこれからも守り、未来へ繋いでいかなければならないという強い想いがございました。そうした中、ご縁に恵まれ、2007年にはホテルニューアワジグループの一員として、新たな歩みを始めることになりました。グループの木下社長は当時から本当に温かく伴走して支えてくださいました。何よりも『琴平花壇』という屋号をそのまま残してくださったことには感謝の念に堪えません。
これを契機に、それまでの歴史と伝統を何よりも大切に守りながら改装を行い、時代に求められる宿へと生まれ変わることとなりました。この新しい出発とあわせて、私は女将として本格的に旅館運営の表舞台に立つこととなりました」
2008年のグランドリニューアルでは何が変わったのか。
「私たちが大切にしてきた琴平花壇ならではの良さは残しながら、お客様が快適に過ごせるように新しく改装をいたしました。まず、宿の象徴でもある3棟の離れですが、その歴史ある建築と趣きはそのままに、今の時代に合う心地いいお部屋に生まれ変わっています。また、自慢の回遊式庭園を活かして客室を全面改装したほか、一部を日本庭園や琴平の町並み、そして遠くの阿讃山脈まで見渡せるゲストラウンジにいたしました。
温泉についても、琴平山の麓という立地を活かして、山の緑をすぐ近くに感じられる露天風呂を新しく作っています。ここから讃岐富士まで見渡せる素晴らしい景色を楽しんでいただいた後は、庭園にあるスパ棟で本格的なタイ古式マッサージやトリートメントをお受けいただけます。湯上がりの心地よさと極上のマッサージで心身共にリフレッシュし、旅の夜をゆっくり贅沢に楽しんでいただけたら嬉しいですね」
讃岐の旬が彩る前菜の一皿。これからはじまる美食への期待感が高まる。
食体験のアップデート
「ソフト面では、リニューアルを機にお料理が変わりました。それまでは宴席のように食べきれないほどの品数を最初にすべて並べるスタイルだったのですが、一番美味しい瞬間に召し上がっていただけるよう、温かいものは温かいうちに、冷たいものは冷たい状態で、厳選した品を一品ずつお出しする形に変えたのです。
主役となったのは、当時から『讃岐三畜』と呼ばれていた、讃岐平野で丹精に育てられる讃岐牛やコーチン、夢豚などですね。これらを軸に、自然豊かな瀬戸内海の新鮮な魚介や、地元の瑞々しいお野菜やお米など、地産の食材をふんだんに取り入れたコースをご用意しました。
それに伴ってお料理を丁寧にお客様へ説明するようになり、スタッフもおのずとサービスに熱心に取り組むようになりました。皆の意識が変わっていったことが何よりも大きな変化ですね」
その結果、顧客満足度も向上し、当然、インターネットでの口コミ評価も右肩上がりで、以前では難しかった若く意欲のある人材も集まるようになり、サービスの質は飛躍的に向上した。メインダイニング「けやき」での晩ご飯では、オリーブ牛を使った山菜鍋がとりわけ印象に残った。オリーブ牛はサシが少ないのに柔らかくてスッキリした味わいだ。肉がとても甘い。地元の讃岐米も甘味があって非常に美味しい。
「讃岐米というのはコシヒカリです。さらに山奥に入りますと、同じ讃岐米でももっと甘くなります。私どもは、山奥の米と平地の米をブレンドしてもらっています」
また関東の人間にとっては、いりこ出汁を使った赤出汁もじんわりと染みた。
格式高き「長生殿」の長い縁側にて。照明の一つ一つが古式ゆかしい。
地域連携で試みていることは……。
「当館の立地は、金刀比羅宮があってこそのものです。まさにそのお膝元です。
金刀比羅宮の大物主神は『海の守り神』として船会社関係者が毎年参拝に訪れますし、商売繁盛や万能の神として広く信仰を集めています。パワースポットとしても一般観光客にも人気が高いですね。やはり、785段の階段を登って御本宮まで行くのがいいです。上は空気が違いますね。
当館の裏道から山道を抜けますと、『四国こんぴら歌舞伎大芝居』が開催される旧金比羅大芝居金丸座まではダイレクトに行けます。この期間中は特に忙しくなります。ほかに当館の位置づけとしましては、ここを拠点にして、徳島県の祖谷(いや)渓谷や、瀬戸内国際芸術祭で賑わう直島や小豆島に向かうハブ地点としての役割も果たしています」
地域文化との連携はどうか。
「こんぴら観光まちづくり協会の一員として活動しています。
琴平町は江戸時代から盛んになったこんぴら参りと共に、地域の文化、商業、情報の中心として発展し、名所や旧跡、伝統芸能の歌舞伎、工芸、美術館、博物館などさまざまな文化、水辺などの自然環境にも恵まれています。このようなまち全体をミュージアムのように、文化、自然、食、歴史などの魅力を知り、楽しみ、親しんでいただくことを目的に活動しています。
旅館というものが『地域の文化の牽引役』を果たすという意味合いにおいては、当館と地域との連携はまだまだ不十分だと感じています。ちなみに、館内においては表参道にある伝統工芸の『一刀彫』の店が制作するオリジナルの達磨を館内に飾っておりますが。
今後はこんぴら観光まちづくり協会で発案している体験プログラムを実現させるように、会員として努力しながら、さらなる連携強化をしていければいいですね。旅館として地域に深く根差して、その土地の文化や魅力を発信する拠点としての役割をもっと果たしていければと考えております」
3階のガーデンラウンジにて。地元の一刀彫やガラス器も並ぶ。
三好りつ子(みよしりつこ)
北海道の帯広生まれ。地元の高校卒業後、東京の医療系専門学校で3年間学ぶ。順天堂大学付属病院で細胞診スクリーナーの臨床検査技師。「琴平花壇」の後継者と知り合い、29歳で結婚。以来、42年が経つ。本格的な女将業は2008年から。
構成/執筆:石橋俊澄
Toshizumi Ishibashi
「クレア・トラベラー」「クレア」の元編集長。現在、フリーのエディター兼ライターであり、Premium Japan編集部コントリビューティングエディターとして活動している。
photo by Toshiyuki Furuya
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