「坐漁荘」の総支配人代理・井戸伸治氏「坐漁荘」の総支配人代理・井戸伸治氏

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旅館の矜持 THE RYOKAN COLLECTIONの世界

2026.7.31

50年の老舗に加わった和モダンのヴィラとメゾネット。
日本文化に滞在する「坐漁荘」の総支配人代理・井戸伸治氏

本館脇の庭園にて。生い茂る樹木と年月を感じさせる苔が素晴らしい。

「ザ・リョカンコレクション」に加盟する旅館の女将や支配人を紹介する連載「旅館の矜持」。今回は静岡県の伊豆・浮山温泉郷にある「ABBA RESORTS IZU – 坐漁荘」の井戸伸治・総支配人代理兼総料理長を紹介する。






富士箱根伊豆国立公園内の手つかずの自然のただなか、瀟洒な建築が点在する伊豆高原の別荘地の一画に「ABBA RESORTS IZU – 坐漁荘」はある。約6000坪もの敷地を擁し、50年以上の歴史を連綿と紡いできた老舗旅館である。
国立公園の中に位置するだけあって、敷地内には樹木が生い茂り、緑は目映いほどだ。それはちょっとした小山のようであり、広大な庭園には清流や滝がしぶきを上げ、色とりどりの錦鯉が戯れる。濡れそぼった苔が風情を醸し出している。

 

 

以下、井戸伸治・総支配人代理に話を聞いた。






坐漁荘の天井が高い新築のファミリーメゾネット 坐漁荘の天井が高い新築のファミリーメゾネット

新築のファミリーメゾネットは天井が高く気持ちが良い。万葉集を意匠にした装飾がここかしこに配されている。






 

新オーナーが推進させたハイブリッド戦略

 

 

「本館である東館につらなる南館に、ファミリーメゾネットとヴィラを合わせて6室を増築したばかりです。それぞれの客室が『万葉集』にある柿本人麻呂の和歌や与謝蕪村の俳句をテーマにしておりまして、それらの世界観をインテリアや色彩などに織り込みました。これらの客室は7月7日から稼働しています」






新築された6つの和モダンな客室は、いずれも日本文化を体現した落ち着きのある空間となっている。

そもそも井戸総支配人代理は今から28年前に、副料理長として「坐漁荘」に入社した。当時は創業者でもある先代のオーナーが所有する旅館だった。当時から伊豆半島では頭一つ抜き出た本格的な会席料理を供する高級料理旅館として、その名を馳せていた。

 

 

大きな転機は2012年に訪れる。







「現在の外国人オーナーの手に渡りました。経営譲渡の話は2008年ぐらいから始まっていたのです。しかし、譲渡が成立する1年前の2011年3月に、東日本大震災が起きまして、当旅館も先行きは、存続すらまったく分からないような状況に陥りました。

この話は立ち消えになるかもしれないなと思っていたのですが、当初の計画通り、現オーナーは事業を引き継いでくれたのです。『旅館というのは世界の中でも日本にしかない文化なのだから、そういうものを衰退させないでやって行きましょう』というのがオーナーの気持ちでした。当時、私は料理長をしておりましたが、本当にありがたくて、感謝しかなかったですね」

 

 

もちろん、不安がないわけではなかった。

 

 

「とは言え、外国人オーナーですから、日本旅館がどのように変わって行くのだろうかという不安はありました。ところが、オーナーが最初に宣言したのは、『日本文化の継承』だったのです」






坐漁荘のプール付きのヴィラ 坐漁荘のプール付きのヴィラ

プール付きのヴィラ。周囲はまるでウブドの杜のようだ。






建物に関しては、残す部分は残し、刷新する部分もあった。

 

 

「運営方針としては、伝統的な和風旅館の良さは残しつつ、現代の顧客ニーズに対応するハイブリッド戦略を採用しました。本館の歴史的価値は最小限の改装で維持しつつ、プライベートプールの付きのヴィラや、ペット同伴可能な客室、メゾネットタイプの客室も作りました」

 

 

ヴィラ棟は16室もあり、本館から少し離れた大自然の中に点在し、とりわけプライベート感に優れている。バリ島のウブド辺りにあるヴィラを思い起こさせるものだ(他に新築されたヴィラ2棟は本館の横にある)。ヴィラに限らず、すべての部屋に温泉の露天風呂が完備している点もゲストにとっては非常に嬉しいポイントだ。






坐漁荘の類を見ない部屋付きの露天風呂 坐漁荘の類を見ない部屋付きの露天風呂

部屋付き露天風呂の類を見ない開放感。






魅力的な3つのレストラン

 

 

この宿の第一の魅力が、施設を囲む大自然であるとすれば、二番目の核となる魅力は多彩な食事にある。新オーナーは食事には大幅に手を入れた。

 

 

「食事のスタイルは従来の部屋食からレストラン食にしました。会席料理は継続して、コンテンンポラリーフレンチと鉄板焼きを導入しました。このことによって、富裕層や旅慣れたお客様、連泊するお客様が増えました」






坐漁荘で供される刺身 坐漁荘で供される刺身

この日のお造りはすべて地魚で、金目鯛やアオリイカ等。やはり格別に美味しい。






伊豆は食材の宝庫でもある。

 

 

「和食は50年以上にわたる会席料理の伝統を現在も継承しています。私は総料理長も兼任しておりますので、献立は私が考えています。今は旅館全体の仕事で忙殺されていますが、腕が鈍るといけないので、時々は厨房に立ったりしています。
何と言ってもありがたいのは、伊豆の食材の豊富さです。それは地産地消を基本にできるほどなのです。

 

 

まず、伊東市場や静岡県内から仕入れる新鮮な魚介類、特に金目鯛、クロムツ、伊勢海老、カサゴ、赤ハタ、アオリイカ等です。特に伊東市場は車で30分の距離ですから、そこから来た魚は鮮度が抜群です。冬季には浜名湖産の天然トラフグのプランもあります。実は浜名湖は、天然トラフグに関して、日本でもトップクラスの水揚げ量なんですよ。

 

 

それと、地元農家と連携した野菜です。少し離れても三島野菜で、ミニ大根、ニンジン、ラディッシュ、ジャガイモ、玉ねぎ、トマト、ルッコラ、原木シイタケなど、厳選して使用しています。
実は私の自宅は近くの山の中にあるので、週に2、3回は近所の農家さんから野菜を仕入れて、朝の出勤の時に私が運んだりしています(笑)」






低温調理された坐漁荘の黒毛和牛 低温調理された坐漁荘の黒毛和牛

低温調理された黒毛和牛。茄子、ミニ人参、コリンキー、シャドークイーン等々、付け合わせの野菜が主役に匹敵するほどの味だ。






晩の会席メニューには牛肉も出るが、肉はどうなのか?

 

 

「牛肉は以前は静岡のものを使っていましたが、仕入れが安定しないので、今は宮崎の黒毛和牛に落ち着いています。和食の料理人は肉焼きを教わることはないんですね。ですから、当館では低温調理をしてみたり、牛肉や合鴨の研究も熱心にやっています。
それから、フレンチで使っている地元の天城シャモは、肉質がプリプリで素晴らしいです。鹿肉も美味しいので、それを使うことに注力しようとしています」

 

和食、フレンチ、鉄板焼きの3つのレストランはいずれもが美味しく、評判はすこぶる上々である。2017年には、世界的な「ワールド・ブティック・アワード」の和食・洋食の料理部門で受賞もしている。

 

 

「あの時は、フレンチのシェフと私で、ロンドンの授賞式に行ってきました。
献立は、和食が2カ月に一回、フレンチは季節ごとに変えています。和食、フレンチともに、3連泊されるお客様で和食やフレンチや鉄板焼きだけを選ばれても、献立を替えて対応できます。ベジタリアンやヴィ―ガンにももちろん対応しております」

 

 

伊豆のど真ん中で、これほど食に特化した旅館も珍しい。地域との関係も深い。

 

 

「『地域と共に栄える』ことがオーナーの考え方でもあり、運営方針でもありますから、食材の仕入れ先は地元の生産者や市場が中心となります。いわば、地域経済との共存共栄を目指しております」

 






坐漁荘の朝食 坐漁荘の朝食

フレンチレストランでの朝食。地元の温野菜と自家製のトーストが驚きの美味しさだ。






厨房での優れた教育方針

 

 

「厨房の現場というのは、師匠が若手を仕込むに当たっては、『見て覚えろ』というのが慣例でした。非常に厳しいのが当たり前で、ややもすると、激しい𠮟責や手が出ることも珍しくなかったのが料理の現場です。私は副料理長としてここに来たのですが、料理長である大将は、当時の静岡県の調理師会の会長をやっておられるような有名な方でした。その方の考えは慣例とはまったく違っていて、『僕らが若い時に受けたような指導をしちゃダメだよ』とよく言われました。『若手は宝だよ』というのが彼の考え方の根本にあったのです。

 

 

勿論、怒る時は怒るのですが、『納得のいくような怒り方をしなさいよ』と言われていました。当時としては、非常に珍しいことでしたね。その精神は今でも受け継がれていて、丁寧な指導はこの宿の伝統になっています。その結果、人材の確保も安定していますし、なにしろ、組織力が上がりますね」

 

 

調理師学校との連携も強化している最中だ。業界では、料理の修業先や就職先として、「坐漁荘なら間違いない」というのが定説になっているとのことだ。

 

 

 






坐漁荘のエントランス 坐漁荘のエントランス

地域随一の風格を感じさせるエントランスにて。






稀有な着物や刀剣と日本文化体験

 


最後に触れておきたいのは、宿の三番目の魅力についてである。それは日本文化の体験であり、触れ合いである。

 

 

「オーナーが日本文化に深い敬愛を寄せる人物であることはすべに述べましたが、それはある意味、日本人以上とも言えるほどです。彼は元々、途轍もない着物のコレクションを持ち、また、博物館レベルと評される刀剣のもの凄いコレクターだったのです。
着物は玄関を入ったすぐにところに季節ごとに展示していますし、刀剣はいつでも見学が可能な刀剣ギャラリーに陳列してあります」

 

 

着物のごく一部を紹介すると、手描き友禅の逸品である訪問着「京友禅」疋田染(ひったぞめ)鬘帯(かずらおび)、「京都西陣織」で全て手織りの袋帯、世界的に活躍した加賀友禅の巨匠・由水十久(ゆうすいとく)の訪問着などである。

刀剣の一部を紹介すれば、人間国宝天田昭次刀匠が生涯をかけた集大成といえる作品です。天田刀匠の最後を飾る精華といえる作品など、三十振り余りが所蔵されている(展示はその一部)。

坐漁荘に陳列されている刀 坐漁荘に陳列されている刀

「平成二十三年秋吉日 現代・新潟」

刀/刃長:39.4(一尺三寸)、反り:0.4cm 脇差/刃長:75.0cm(二尺四寸七分半)、反り:2.0cm






また、希望があれば、お茶や香り袋づくりなどの文化体験もできる。

 

「日本人がちょっと忘れつつある文化――刀剣であり着物であり、茶道や香道に触れられるのがこの宿の良さだと思っています」

 

現在の宿泊客の構成は、日本人6割、インバウンド4割。価格帯は1名8万~20万となっている。

 

「幾度かの増改築を経て、宿のハードウェアとしては完成に近づいたのではないかと思っています。今ある最優先課題は人材育成です。それによって、サービスの品質の段階をさらに上げて行くことです。そのためにはスタッフが意識を一つにして、常に勉強をしながら上を追い求めていくことが大事ですね」

 






坐漁荘のいろり 坐漁荘のいろり

ロビーにある囲炉裏にて。背後の庭園に広がる苔が美しい。






 

井戸伸治(いどしんじ)

静岡県伊東市出身。20代前半、「東京パレスホテル」内「和田倉」及び他店にて修業。1999年、「坐漁荘」副料理長として入社後、2007年、料理長。2014年、リニューアル期に総料理長に就任。2025年より総支配人代理を兼任、現在に至る。

構成/執筆:石橋俊澄
Toshizumi Ishibashi

「クレア・トラベラー」「クレア」の元編集長。現在、フリーのエディター兼ライターであり、Premium Japan編集部コントリビューティングエディターとして活動している。

photo by Toshityuki Furuya


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