「俺もワイン造ってるよ」
世界基準の醸造酒、ワイン造りを志した理由
“リアルさ”を追求するあまりコメ作りを始めた、名古屋の造り酒屋、萬乗醸造の十五代目当主・久野九平次。さらなるリアルさ追求のため、2013年から取り組んでいるプロジェクトがワインの本場、フランスにおけるワイン造りである。
日本酒の奥の深さを世界に広めるため、フランスの星付きレストランに精力的なビジネス攻勢をかけた久野。レストランのソムリエと話してみて、世界的に醸造酒の基軸はワインにあることに気付かされた。
「彼らと対等に話すには、『俺、ワインも造ってるよ』と言えるようにならねばと思い始めました」と久野は言う。
最も手っ取り早いのはすでにあるワイナリーを買い取ってしまうこと。そうすれば畑から醸造設備まで一気に手に入り、その年から醸造に臨める。しかし、久野はまったく異なるプロセスでワイン造りに挑戦することにした。日本酒の醸造経験は豊富だが、ワイン造りのノウハウは皆無の腹心、伊藤啓孝を単身フランスに送り込み、ワイン造りを学ばせることから始めたのだ。
久野のもとで日本酒造りを学んだ伊藤啓孝。ブルゴーニュでのワイン造りは、語学学校でフランス語を学ぶところから始まった。
「人が作り上げたものの上に乗っかってはブランドになれません。だからどうしてもゼロからストーリーを積み上げたかった」。
久野の命を受け、渡仏した伊藤は1979年の愛知県生まれ。同郷の酒蔵、萬乗醸造に就職し、15年間、日本酒造りを経験してきた。久野同様にワイン好きでもある。
ワイン造りを託され
ブルゴーニュで学ぶ日々
久野がワイン造りの場所として選んだのは、フランス屈指の銘醸地、ブルゴーニュ地方。世界で最も高価な赤ワイン、ロマネ・コンティが生まれ出ずる土地である。赤用のブドウ品種はピノ・ノワール。出来上がるワインもデリケートな風味だが、扱いにおいてもデリケートさが要求される、最も気難しい品種とされている。
伊藤は渡仏後、語学学校に通ってフランス語を学ぶことから始め、その後、ジュヴレ・シャンベルタン村の有名生産者、ドゥニ・モルテで修行した。
伊藤が久野から受けた社命は、ワイン造りの拠点探しとブドウ畑の入手。しかし、長いワイン造りの伝統を誇るブルゴーニュ。そう易々とよそ者、しかも異文化の東洋から来た日本人に場所を提供し、ブドウ畑を売るものなどいない。結局、ジュヴレ・シャンベルタンの隣のモレ・サン・ドニ村に、ワイナリーとしての建物を入手するまで、3年の時間を要した。久野は言う。
ブドウ畑に立つ、モレ・サン・ドニのサイネージ。
斜面から振り向けば広がるのは美しい村の風景。
「ちょうど私たちが進出した頃、ワインの世界ではお金持ちがワイナリーやブドウ畑を買い漁る、投機的な動きが活発になっていました。ですから私たちが警戒されたのも当然のことです。しかし、石の上にも3年の言葉どおり、3年経って、私たちがやろうとしていることが一過性のものではないことがわかっていただけました」。
久野が醸造所に定めたのはモレ・サン・ドニ村のど真ん中、通称グラン・クリュ街道と呼ばれる銘醸畑沿いの道路に面した建物で、2階の窓からは本来石垣に囲まれて見えない特級畑、クロ・ド・タールの様子が手に取るようにわかる。この建物にようやく「Domaine Kuheiji(ドメーヌ・クヘイジ)」の看板が掲げられた。
ドメーヌ・クヘイジの醸造所。
グラン・クリュ街道に面した3階建て。
2016年の秋から醸造可能となったにもかかわらず、その時にはまだブドウ畑の契約が済んでいなかった。そこでこの年は購入したブドウからワインを仕込むことになったが、2016年はブルゴーニュでも稀に見るほどの霜害と雹害に見舞われたヴィンテージ。ブドウの収穫量がべらぼうに少なく、多くの栽培農家がブドウを売り渋った。伊藤は農家に頭を下げまくり、なんとかオート・コート・ド・ニュイのピノ・ノワールを入手。初仕込みはわずか3樽だった。
名実ともに
ドメーヌ・クヘイジとなる
その翌年となる2017年。待望のブドウ畑を手に入れる。醸造所から斜面を下り、県道の向こうに位置する2.5ヘクタールの畑。アペラシオン(原産地呼称)はブルゴーニュ、コトー・ブルギニヨン、ブルゴーニュ・アリゴテで、グラン・クリュでもなく村名畑でさえないものの樹齢40年を超える古木。これで名実ともに「ドメーヌ・クヘイジ」としての準備は整った。
「日本酒とワインを並べると、このふたつはかけ離れたものに見えるかもしれませんが原理原則は同じ。米は種子がお酒になるけれど、ワインは実がお酒になる。違うところはそれだけです」と久野。だから伊藤も迷うことなく、ワインを仕上げられたのだと言う。
伊藤はなるべく人為的な介入を行わない、自然な醸造法をとる。ピノ・ノワールやガメイなどの黒ブドウは除梗せず、房のまま醸造。この方法なら発酵タンクに入れたブドウが自分の重みで潰れて自然に発酵し、その際に生じた炭酸ガスによって守られるので、醸造段階で酸化防止剤の亜硫酸を添加する必要がない。
収穫の様子。一房ごと、ていねいに手摘みしていく。
「最近のブルゴーニュ・ワインはコントロールが過ぎると感じていました。もちろん、失敗すればお酢になってしまうので、何もしないわけにはいきません。ただコントロールが過ぎると、どのワインも金太郎飴のように画一的なものになってしまいます」。
ドメーヌ・クヘイジのワインは意図的に自然に任せる余地を残し、その土地やヴィンテージの特徴が表現された香りや味わいを追求しているのだ。
ドメーヌ・クヘイジのワインのラインナップと、醸し人九平次。
写真左から、クヘイジルージュ2017、クヘイジブラン2017、黒田庄町田高2018(日本酒)、クヘイジジュヴレ・シャンベルタン2017、クヘイジブルゴーニュピノノワール2017。
実際に口にしてみると、赤ワインの「コトー・ブルギニヨン」はラズベリーや赤スグリなど、摘み立てたばかりの赤い果実のアロマがきれいに広がり、チャーミングな口当たり。白ワインの「ブルゴーニュ・アリゴテ」は白い花や柑橘の香りに、フレッシュでピュアな酸味が唾液をそそる。
田んぼでの稲作から一貫した日本酒造りとブドウ栽培からのワイン造り。このふたつは萬乗醸造にどのようなシナジーをもたらし、今後の日本酒やワイン造りに反映されていくのか。毎年、その進化を確かめずにはいられない、日本酒とワインである。
モレ・サン・ドニの晩秋の夕暮れ。色づいたブドウの葉が斜面を覆いつくす。久野と伊藤のワイン造りはまだ続く。
(敬称略)
久野九平治 Kuheiji Kuno
萬乗醸造 代表取締役 醸造家
1965年、名古屋市生まれ。萬乗醸造の十五代目。大学中退後、演劇活動を続けるが、父親の病気等をきっかけに家業を継ぐ。先代の機械的大量生産・下請けの仕事のスタイルから、少量生産、手造り農家的な仕事へと回帰。新銘柄『醸し人九平次』を立ち上げ、97年にリリース。積極的に海外進出を試みる。2010年からはコメ作り、2016年からはフランス・ブルゴーニュにてワイン醸造をスタートさせた。
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