福井県若狭地方は、古代から平安時代にかけて、朝廷に海産物を献上する「御食国(みけつくに)」と称されるほど、海の幸が豊かな土地。その伝統は今も続き、若狭地方には食通が遠方からでも足を運ぶ食事処が何軒も暖簾を掲げている。た。
そんな若狭の小浜で、ユニークなスタイルと美食で話題となっている宿が「若狭佳日(わかさかじつ)」だ。ブランド魚として知られる「若狭ふぐ」と、福井の冬ならではの「越前がに」を満喫するコースを味わうために、冬のある日、「若狭佳日」に足を運んでみた。
老舗旅館をホテルスタイルにリニューアルしてスタート
若狭湾の静かな入り江に面した阿納地区。宿の目の前には美しい遠浅の海が広がり、夏には格好の海水浴場となる。
福井県小浜市阿納(あのう)地区は、北前船の船宿として栄えた歴史ある集落。若狭湾の静かな入り江に面した長閑な集落には、海水浴客向けの旅館が何軒も建ち並んでいる。近年、日本海の魚をふんだんに用いた料理や家族的なもてなしを守りつつも、空間をモダンにリニューアルした、従来のイメージを覆すような旅館が登場し、若い世代の宿泊客が増えてきた。
そのシンボルとも言えるのが「若狭佳日」だ。阿納地区を代表する老舗旅館をホテルスタイルにリニューアルし2023年8月にオープン。「本館」「離れ」「別館」と、異なる3つの棟に設けられた全13室の客室は、随所にモダンな意匠が取り入れられ、それぞれタイプが異なる。
部屋から眺める美しいリアス海岸の景色に時を忘れる
「離れ」に入る3室はすべてスイートルームに相当し、ワンフロアに1室と贅沢な造り。かつて旅館の大浴場として使われていた4階の「グランスイート」からは、窓の外に広がる若狭湾と、湾を囲む山々を一望のもとに見渡すことができる。
複雑に入り組んだリアス海岸ならではの山並みと、静かに波打つ穏やかな海面を見ていると、時が過ぎるのも忘れてしまうほど。また、床の一部に掘りごたつのような段差が設けられ、そこがソファースペースとなっている。聞けば、大浴場の浴槽だった部分をそのまま使用しているとのこと。ソファーに身を沈めると、確かに湯舟に浸かりながら海を眺めているような気分になる」。
「離れ」4階の「グランスイート」は、大浴場だったスペースをリニューアル。浴槽だった段差をそのままソファスペースに活用。
「離れ」2階の「スイート」。波を音を聞きながら半露天風呂に入る贅沢。朝は若狭湾ごしに昇る朝日を眺めることができる。
若狭湾の冷たい水で育った「若狭ふぐ」は、天然のトラフグに匹敵する味わい
朝夕の食事は本館の「ダイニング膳」で。国産の上質な木材が床や天井にふんだんに用いられた広々とした空間と、一歩外に出ればそのまま浜から海へと繋がる解放感が、食事の時間を一段と盛り上げてくれる。
冬はなんといっても、ふぐだ。とりわけ若狭には「若狭ふぐ」と命名されたブランドふぐがある。若狭湾は日本の最北のトラフグの養殖生産地として知られ、冬場の冷たい海で育ったふぐは、天然ふぐにも匹敵する味わい、と定評がある。
福井県はこの養殖ふぐを地域団体商標に登録し、「若狭ふぐ」を提供する宿を「若狭ふぐの宿」とする認定制度をスタートさせている。阿納地区はもともと旅館が名物をつくるために、トラフグの養殖を共同で行ってきた歴史があり、いわば「若狭ふぐ」の誕生を牽引してきた土地。そんな阿納地区で味わう「若狭ふぐ」は格別だ。
若狭湾で育ったトラフグは「若狭ふぐ」の名でブランド化。水温が低いために身が締まり、天然ものにひけをとらない美味しさとなる。
「若狭ふぐ」と「越前がに」の両方を味わう、極上のコースが誕生
また、冬の福井の海の幸ではずすことができないのは、やはり「越前がに」。北陸新幹線の敦賀延伸に伴い、東京から「越前がに」を求めて、福井へ足を運ぶ観光客が多くなった。そうした需要に対応するためにも、2024年の冬から、「若狭佳日」では、「ふぐとカニを一度に愉しむ旬の特別会席プラン」が新たに始まった。
このコースでは、「若狭ふぐ」のてっさ(薄造り)、てっちり鍋に、「越前がに」の刺身、焼き、蒸しが加わるという、福井の冬の味覚の二大巨頭を味わうというこのうえない贅沢さ。2名で若狭ふぐ一匹、越前がに800gサイズが提供されるのは嬉しい限り。
「若狭ふぐ」の薄造りのぷりぷりとした食感。その食感に浸っていると、淡泊ながらも奥深い滋味が次第に広がってくる。また、「越前がに」の旨みが凝縮された濃厚な味わいが、調理法によって少しづつ変わるのも、鮮烈な記憶となって残ります。
この、「ふぐとカニを一度に愉しむ旬の特別会席プラン」は2025年3月20日までの間で提供される。また、春から秋にかけては、若狭ならではのブランド魚「若狭ぐじ」を堪能するプランが登場する。
薄造りにすると、引き締まった身のぷりぷり感を、いっそう味わうことができる。
先附の「せいこ蟹(メスの越前がに)」は、小ぶりながらも見詰まりの良さと、濃厚な蟹味噌で知られる。12月31日までの期間限定で登場。
春から秋にかけでは、若狭ならではの「若狭ぐじ」が旬を迎える。「若狭ふぐ」だけでなく、この「若狭ぐじ」を目当てに足を運ぶゲストも多い。(Photo by Junko Ueda)
狭く入り組んだ路地が、独特の風情を醸し出す
「若狭佳日」は、客室がはいる「本館」「離れ」「別館」のほか、フロント機能を持つ「蔵」、そして唯一新築された「内外海(うちとみ)」の計5棟からなる。建物が細かく分かれているのは、宿泊業が盛んなこの地域では、多くの宿泊施設が客室棟の他に、別館や宴会場、大浴場などを別棟に増築していったためとのこと。細い路地に、入り組んで建てられたそれぞれの建物は、今や独特の風情すら醸し出している。
細い路地に面した「本館」玄関。旅人を迎える大きな暖簾が印象的だ。深緑色は若狭湾の海の色をイメージ。
「内外海(うちとみ)」の二つの浴室で、若狭の海の異なる表情に出合う
「内外海(うちとみ)」は、新たに設けられた外湯専用の棟。フロントで鍵を受け取ってモダンな構えの建物の2階にあがり、洗い場を抜けると、そこには印象的な景色が待ち構えている。
両サイドが壁となったスクエアで細長い空間の、一番奥だけが海に面した開口部となっている。細長い直方体の狭い底面が額縁となり、切り取られた景色を反対側から眺める、といった趣向だ。さらに、外から入る光が水面に反射し、それがさらに浴室内に揺らめき、幻想的な空間となっている。何かに包まれているような、それでいで海とも繋がっているような不思議な感覚に捉われる。そこには、一般的なインフィニティバスとは趣が異なる、非日常的な時間が流れている。1階は半露天風呂スタイルの浴室。朝と夜とで、男女が1階と2階と入れ替わるので、できれば両方の湯を味わいたい。
「内外海」の2階の浴室。細長くスクエアな空間の奥に、切り取られた若狭の海が浮かび上がる。不思議な浮遊感に包まれる。
阿納地区で営業していた旅館が資本を出しあって誕生した「若狭佳日」
「若狭佳日」を運営する「株式会社まちづくり小浜」の代表取締役を務める御子柴北斗さんに話を伺った。
「阿納地区では、昔ながらの旅館がリニューアルを遂げる一方で、地区を代表する老舗旅館が2020年に廃業することとなりました。その建物を再建したのが『若狭佳日』です」
「最大の特徴は、『若狭佳日』の立上げに際し、もともと阿納地区にある旅館15軒が、資本を出し合っていることです。また『若狭佳日』は料金を他の宿より高めに設定し、顧客のすみ分けをはかっています。そうすることで、競合するのではなく、すベての宿泊施設が力を合わせて、地域の魅力を底上げしていくことを目標としています。シンボリックな宿泊施設が誕生したことによって、インバウンドも含めた新たな客層が広がり、これまであった旅館にもその波及効果が及んでいます」
地域の宿泊施設が競い合うのではなく、一致団結のもとで集客をはかる。「若狭佳日」を中心とした阿納地区のこうした取り組みは、これからの観光スタイルのひとつの道標になるに違いない。
冬本番を迎え、「若狭ふぐ」だけでなく、「越前がに」や鰤など、日本海の魚はますますその美味しさを増していく。冬の若狭湾を眺め、湯に浸かり、海の幸に舌鼓を打つ。そんな贅沢な時間を「若狭佳日」はもたらしてくれる。
御子柴さんは、かつては農林水産省のキャリア官僚。小浜市に出向した際に、この土地の豊かさや人の温かさに触れ、農林水産省を退職し小浜に移住し、地域再生に取り組む「株式会社まちづくり小浜」を立ち上げた。(Photo by Junko Ueda)
Text by Masao Sakurai (OFFICE CLOVER)
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