京都と滋賀の県境の山中で、黙々と石に向かう彫刻家がいる。樂雅臣さん。黒御影石、大理石、溶結凝灰岩……。二十数年にわたって、樂さんが彫ってきた石はさまざまだが、石を彫り、そこから生み出そうとする形に込めた思いは、変わることはない。京都で450年以上続く樂焼の家に生まれ育ち、家に流れる空気を幼いころから肌身で感じ、それを蓄積しつつも、石彫という新たな創作の道に踏み出した樂さん。日本だけでなく海外でも注目を集めている樂さんの創作活動と、斬新な作品の数々は、「PREMIUM JAPAN AWARD 2026」を受賞するにふさわしい。
勾玉のような、アンモナイトのような、不思議な生命体のような……。作品「輪廻」に込められた思いとは……。
あとわずかなところで閉じることができず、その中心部に小さな穴を残したまま終焉を迎える曲線。研磨された部分とコントラストをなす、荒々しく割り削がれた断面。形は勾玉のようであり、アンモナイトのようであり、不思議な生命体のようでもある。彫刻家、樂雅臣さんが20代の頃に集中的に手掛けた一連の作品に共通して冠される作品名は「輪廻」。円環を目指し、なお伸長しようとする曲線は、永遠に続く円運動、まさに「輪廻」を思わせる。
右/輪廻「烏帽子」2009 H975 W300 D150mm 左/輪廻「扇」2010 H500 W500 D100mm ©Imura Art Gallery
ジンバブエブラック。太古からの歴史を凝縮した、圧倒的な存在感を持つ石。
作品の素材は石。「ジンバブエブラック」という名称が物語るように、アフリカのジンバブエを原産地とする。美術大学に進んだ雅臣さんが、石彫場で出会ったのがこの石だった。
「何かを表現したいという思いを抱いて美大に進みましたが、何をどう表現したいかは自分でもわからず、彫刻をやろうと決めていたわけでもありませんでした。ところが、最初に出会った素材が、まるで歯車がかちりと噛み合ったかのように、何かを表現したいという自分の思いと重なったのです。石が持つ、太古からの時間を凝縮した圧倒的な存在感に惹かれました。割る、彫る、磨く。素材としての石とさまざまな工程で向き合っていると、その存在感をひしひしと感じるのです」
ジンバブエブラックは黒御影石の一種で、世界中で最も生産量が多いとされているが、実は最も彫刻しづらい石でもあった。
「石として粘りがあるのです。硬ければ硬いなりに彫りやすいのですが、なまじ粘りがあるので、割ったり砕いたりすることが容易ではありません。彫刻するにはとても厄介な石です。そもそも石彫は、彫る道具を自分で作ることから始まり、作業そのものも膨大な時間を必要とする、どちらかといえば面倒なことが山積みで、美大でも積極的に取り組む人が少ない分野です」
終わりがないからこそ、次の作品にとりかかることができる
そんな厄介な石に、どうして雅臣さんは向き合っているのだろうか?
「彫刻家は、本当は彫りきらなければならないのでしょうが、ジンバブエブラックはどこまで彫っても終わりがないように思えるのです。終わりがないからこそ、次の作品に取りかかることができます。『輪廻』シリーズは20代半ばから幾つも作っていますが、完璧に完成した、と思える作品はなく、まだどこか手を入れることが求められているような気がします」
学生時代に初めて製作した作品「創造のはじまり」。ペリカンが嘴(くちばし)で池の水をつつく姿を目にし、イザナギとイナザミの神が矛(ほこ)で大海をかき混ぜ、その滴る雫から日本の島々を造ったという「国生みの神話」を連想して作製。頭部の部分はあえて作らず、嘴の部分のみとして抽象化をはかった。
どこまでも深い黒。ジンバブエブラックに宿る、この「黒」という色も雅臣さんが素材として惹かれた大きな理由のひとつだ。
「インドや中国などでも黒御影石は産出されますが、これらの石は磨くとシャープで無機質なテクスチャーが目立つようになってしまいます。ところが、ジンバブエブラックの表面は、磨くと雲母のような濃淡が現れ、それは重ね合わせた和紙にも似た有機的な表情となります。僕自身はその独特な表情を大切にしたいと思っています」
450年以上続く、樂焼の伝統の家に生まれて
そしてもうひとつ、雅臣さん自身も「大きな理由のひとつでした」と語るのが、生まれ育った樂家の存在だ。
茶の湯の大成者である千利休に従い、赤樂茶碗、黒樂茶碗を造った長次郎を初代とし、16世紀後半から京都で脈々と樂焼きの伝統を守り続けている樂家。現在では、雅臣さんの兄が十六代樂吉左衞門として樂家を継ぎ、雅臣さんの父は、吉左衞門の名を十六代に手渡した後、樂直入を名乗り自在な作陶活動を行っている。
「幼いころから、焼物に使う粘土を父から与えられ、兄弟でいろいろなものを作っていたので、ものを作ることは大好きでした。また、父は加茂川から採ってきた石を砕き、それを釉薬として黒樂茶碗を焼いていました。家には石がいつもありましたし、そんな父の姿を見て育ったからでしょうか、石という存在は身近なものに感じられ、焼きあがった茶碗を見ても、僕は、ああ石が変化したんだなぁと思っているところがあります。焼物の材料となる土も、もとはといえば岩石が砕けて細かくなったものですから」
樂家が代々焼き続けてきた黒樂茶碗の黒と、雅臣さんが手がける「輪廻」の漆黒の黒。両者の黒は、深いところでつながっている。
「 山奥ですから、冬場にはかなり雪が降ります。除雪作業に追われていると、石を彫っているより雪を掘っている時間の方が多いくらいです」と、冗談めかして笑う雅臣さん。物腰はどこまでも軽やかだ。
歯車がかちりと嚙み合った瞬間
雅臣さんは、中学高校時代はあまり学校へ行くことができず、でも閉じこもりというわけではなく、父のアトリエのあった京都の山奥で多くの時間を過ごした。芽吹き、生い茂り、実を結び、やがて枯れていく木々。そうした自然に囲まれて過ごす時間は、生命が循環していく自然の摂理を、漠然とではあるが雅臣さんの心に植え付けた。
幼い頃から石が身近な存在だった雅臣さんが、心の奥底に抱いていた生命の循環。美大で最初に出会った、太古の時間を凝縮するかのような石を前にし、抱き続けてきた生命の循環を彫り出そうとしたこと、雅臣さんの言葉でいえば「歯車がかちりと噛み合った」ことは、偶然ではなく必然の流れだったといえよう。
「中学高校と出席簿が真っ赤だった僕が、大学では朝から晩まで学校にいる、熱心な生徒となりました。夜中までいたことも数多くありました」
20代で「輪廻」シリーズを主に手掛けた雅臣さんは、30代では、鳥の嘴(くちばし)をモチーフとし、透過性のある大理石を用いた「Stone Box」シリーズを発表。そして40代を迎えた3年ほど前から「石器」シリーズに着手している。「石器」シリーズは、文字通り「器」だ。素材となる石は「溶結凝灰岩」。「神武岩」とも呼ばれるこの石を彫り、磨き、焼く。高温で焼くことによって、石に歪みが生じ、それが味わい深い景色となる。
Stone box「ぬけがら」2023 H90W275D80mm Stone boxシリーズは、幸せを運ぶものとして捉えた鳥の嘴をモチーフとし、「輪廻」と同じく、生命の循環を表現。箱の中に何が入っているかは見る人の創造力に委ねられる。©ZENBI
「『輪廻』も『Stone Box』も自然の摂理をテーマとしています。新たなシリーズでも自然、とりわけ自然と人間のつながりを表現したいと考えて思い至ったのが、石を高温で焼くことによって焼成される器です。石を焼く、というと少し奇異に聞こえるかもしれませんが、地球の内部では絶えず石が焼かれてマグマとなって対流しています。ですので、焼かれた石も、循環していく自然の姿の一部です。また、人間は縄文時代のころから、手に入れた自然の恵みを、木の葉や石の上に乗せて食べてきました。そこには感謝という気持ちが働いていたはずで、それがやがて器となります。おそらく未来永劫、器というものは形を変えながらも存在し、それはまさしく自然と人間とのつながりを物語るものです」
「石器」2024 H95W120D120mm。素材は「溶結凝灰岩」。高温で焼くことによって歪みが生じ、それが器に表情豊かな景色をもたらす。
こうして誕生した「石器」は、樂家が代々作り続けてきた樂茶碗のフォルムを彷彿とさせる。
「樂家で育ってきた僕ですから、器となればやはり、幼い頃から親しんできた樂茶碗の形状に自ずとなり、同時に450年続く樂茶碗へのオマージュも込めています」
雅臣さんは、「今回は器という形になりましたが、それは結果としてそうなっただけであり、石と向き合っている、という姿勢は変えていませせん」とも語る。この20年間、雅臣さんが手がける作品の姿形や、用いる石は異なってきたが、自然の摂理とそれを取り巻く循環を表現しようとする確固たる意志は変わることがない。
石彫は、後戻りすることができない作業の連続
石を彫刻する。それはどんな作業なのだろうか。
「あと戻りできない作業です。原石を割る、鑿を入れる、研磨する。いずれも一度その作業を行うと、それ以前には戻ることはできません。最初に描いたデッサンをもとに、手に入れた石のこのあたりをガツンとやれば、思い描いた形に割れるだろうと割ってみるのですが、思い通りに割れることばかりではありません。逆に、思い描いた形状よりも面白い形となって割れることもあり、そんな時はやはり自然を相手にしているのだなあ、とつくづく思います。また、割ることによって生じた断面を「割肌」と言いますが、その表情が素晴らしく、それはまさに自然そのもの。『輪廻』シリーズでは、『割肌』の表情を生かしつつ、他の部分は耐水ペーパーを用いて手磨きで仕上げていきました」
石彫は時間のかかる作業の積み重ね。コツコツと丁寧に丹念に、鑿(のみ)を入れていく。
工房の作業スペースには、さまざまな石材が積み重ねられている。
樂家の一員として、今もなお楽焼の窯焚きに加わる
樂家では、年に幾度か樂焼の窯が焚かれる。450年以上前からの手法を守るその窯焚きは、高温となる狭い窯場のなかで長時間の作業が続く重労働だ。窯焚きは樂家当代の指揮のもと何人ものスタッフが加わり作業が行われる。雅臣さんも、この窯焚きには今でも必ず加わる。また、樂家では「吉左衞門」の名を継がない男子が結婚する際には、養子となって「樂」の姓から離れる、というのが家訓だった。しかし、雅臣さんに限っては、父の判断でこれまでの習いを破り、結婚後も「樂」姓のままである。
「樂家の茶碗造りは、『手捏(てづくね)』と呼ばれる手法で、轆轤(ろくろ)を使わず両手だけで成形していきます。そして最後は箆(へら)を用いて、削っていきます。一度削ってしまうと後戻りできません。そういった意味では樂茶碗は彫刻の要素が多分にあり、幼いころから家で行われている作業を見て育った僕が、彫刻の道に進んだもの自然の成り行きだったかもしれません」
雅臣さんが樂茶碗を手掛けることはないが、雅臣さんの作品には、樂家に受け継がれてきた、ものを作ることに対する哲学が注がれている。
京都の街中から車で1時間。山中の工房の敷地に置かれた作品の数々。
雅臣さんは、京都の街中から車で1時間ほど北に向かった場所に、工房を構えている。材料となる巨大な石を置く場所が必要なうえに、作業は時に大きな音を伴うため、必然的に人里離れた山中となる。豊かな樹木に囲まれた広大な敷地には、雅臣さんのこれまでの足跡を物語るかのように、大小いくつもの作品が置かれている。
大きな直方体に切り出したジンバブエブラックを幾つも用いて出現させた、石室のような空間もある。それも作品のひとつだ。狭い開口部を除き、四方を石で囲まれたわずか2畳ほどの空間は、そこだけ時間の流れが止まっているかのような静謐にして神聖な気配に満ちている。一方で、天井は石で覆われていないので、見上げると石によって切り取られた空が思いのほか広く広がり、解放感も漂う。
写真中央は、直方体に切り出したジンバブエブラックを垂直に立てて構成した作品。石に囲まれた空間の中心部分には2畳ほどの空間が設けられ、「自由に自分と向き合う空間として使ってほしい」と雅臣さん。左右両脇に置かれているのも作品のひとつ。
石に囲まれた空間の中心部分に「輪廻」を置く。黒とグレーのモノトーンの世界に、天空から、柔らかな光が零れてくる。石と石との間に生じた、ほんのわずかな隙間から微かに見える木々の緑も印象的。
雅臣さんは、京都市内の自宅から毎朝1時間かけてこの工房に通い、夕方には自宅に戻るという生活を続けている。工房の裏手には、やがて琵琶湖に注ぐ美しい渓流が流れている。「春から夏にかけてはヤマメが。夏はアユが釣れます。お昼休みにほんの30分と思って川へ入ると、気が付くと1時も2時間も過ぎていることもあります」
雅臣さんは飄々と、そして屈託なく笑みを浮かべる。
作品がモニュメントのように並ぶ、石の公園を作ることができれば……。
入手した石をストーンサークルのように並べ、ひとつの作品とした。「こんな具合に、石をモニュメントのように置いた公園のようなものを作ってみたいです」と雅臣さん。
「将来的には石の公園みたいなものを作ることができれば、と考えています。僕の作品がモニュメントみたいにところどころに置いてあり、そこを自由に歩きまわり、自然と人間や、石と人間の関係を感じることができる、広場のような空間です」
樂雅臣さん、43歳。確固たる意志を持って石と向き合いながらも、気負いというものは微塵も感じさせず、むしろおおらかにして、しなやかだ。このしなやかさを備えているからこそ、石という強靭な存在から、自然の摂理を彫りだすことができるのではないだろうか。生い茂る樹木に囲まれた工房の庭で、ふとそんなことを思った。
深い山間を縫うように流れる渓谷沿いに設けられた工房。この工房へ、毎日車で1時間ほどかけて、京都市内から通う。
樂 雅臣(らく まさおみ)
1983年京都生まれ。東京造形大学院美術研究領域造形研究科修了。2018年京都市芸術新人賞受賞。2008年に開催した、みゆき画廊での初個展「白の鳥 〜有形無形の流転〜」以来、石川県立美術館、 美術館「えき」KYOTO、Pierre Marie Giraud (ベルギー)、賀茂別雷神社をはじめとして国内外で数多くの個展を開催。アートフェアバーゼル、TEFAFマーストリヒト出展、ヴェネツィア・ビエンナーレにあわせ開催されるPalazzo Fortunyでの特別展「PROPORTIO」(2015)・「INTUITION」(2017)にノミネート出品するなど、海外でも広く活躍する。
Photos by Makoto Ito
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