きわめて斬新な試みで、未知の食の扉を開けるレストランが東京・飯田橋にある。2018年夏にオープンしたINUA(イヌア)だ。その料理を口にすると、深い森の中を散策し、やがて自分もその風景の一部に調和していくような、そんな感慨を覚える自然の滋味に彩られた皿が展開されている。日本の海、山、森、里。そこを吹く風に運ばれ、時空を越え、人と地球が響きあう抒情詩のような料理。その食が生まれる空間を訪ねた。
端正なエントランスを入ると、心地よい北欧風の内装のダイニング空間が広がっている。内装やオリジナルの椅子やテーブルは、コペンハーゲンを拠点するOEOスタジオが手掛けた。深澤直人がデザインした広島の老舗家具メーカー、マルニ木工のHIROSHIMAシリーズのアームチェアも、空間に違和感なく溶け込んでいる。Photography Jason Loucas
INUAの魅力を鮮明に表現する料理「プラムレザーとアロマティックフラワー」。プラムの果汁をシートにし、食べられる花やハーブなどをのせ、蜜蝋の上に置く。Photography Jason Loucas
nomaのDNAを引き継ぐ、
日本に魅せられたドイツ人シェフ
INUAのオープンは2018年6月。翌年2月には、フランスで新設された美食のアワード「ワールド・レストラン・アワーズ2019」の「今年の新店/Arrival of the Year」部門で世界一を獲得した。新鮮なコンセプトを持ち、レストラン業界の進化を率いる、2017年10月1日~2018年9月30日にオープンした店を対象にした賞だ。2019年11月26に発表された「ミシュランガイド2020」では、2つ星に輝いた。
INUAは、世界最高峰のレストランと讃えられてきたコペンハーゲンのnoma(ノーマ)出身のトーマス・フレベルがヘッドシェフを務めている。彼は、nomaが食のアワードで世界一に選ばれた際にもメニュー開発を担当したシェフで、「日本に恋をし、日本の食材をもっと知りたい」と来日した。2015年、マンダリンオリエンタル東京でのnomaのポップアップレストランの折に初めて日本の食文化に触れ、魅せられてのことだ。
ヘッドシェフを務めるトーマス・フレベル。ドイツ出身で、伝統的な郷土の食文化の中で育った。
ダイニング空間と別の、カウンターとソファあるエリア。軽やかで心地よい空気が流れている。
日本の食材と北欧の空気感が共鳴する場所
INUAのダイニング空間は広々とし、気取りのないノルディックスタイルの心地よさが漂う。ソファでくつろげるラウンジエリアでは待ち合わせでの食前酒、食後のデザートやお茶を楽しめる。このエリアのカウンターでは今後、アラカルト料理を楽しめる計画も進んでいる。ダイニング空間からはシェフが立ち働くオープンキッチンが見渡せ、ここも木肌の温もりが伝わる親しげな空気に包まれている。シェフやスタッフは欧州や南米など世界各地から集い、海外から来るゲストも多い。グローバルなのがまったく普通、という食空間だ。
多くのシェフが立ち働くオープンキッチン。親しげな雰囲気が漂い、ダイニング空間から眺めるのも楽しい。
日本国内を巡って産地を訪ね、食材を発掘する
INUAはレストランを開くにあたり、日本各地へ食のリサーチの旅を重ね、産地を訪ね、生産者に会い、その作物が生まれる風土を体感してきた。その旅では北海道のアイヌの村も訪ね、サケの燻製法、ブナの木から衣服を作る文化にも触れ、アイヌとイヌイットとのさまざまな共通点を感じたという。店名のINUAとは、「万物に宿る魂」であり、大自然に宿る生命の力や精神を意味する、イヌイットの神話に語源を持つ言葉だ。
日本国内を巡る中で、燻製、発酵、熟成という日本古来の料理法も学び、過去にさかのぼって今に活かすことを大切にしている。ワカメのしゃぶしゃぶといった食べ方や、昆虫を食べる食文化にも触れ、長野の林業の現場では、ウワミズ桜を口に含んでみたり、和歌山では花のような香りのする山ビワに出逢ったり。INUAにはリサーチと仕入れを専門に担うスタッフがいて、今も日本国内を巡り、さまざまな食材を再発見している。
金目鯛にハバネロ味噌の風味をつけて炭火で焼いた料理。手で食べられるよう紐を巻いて。手前は黒トリュフをベースにしたピューレをのせた花のタルト。Photography Jason Loucas
複雑さを経た、簡潔な料理
INUAの料理を一言で表すと、COMPLEX SIMPLICITY、複雑さを経て誕生する簡潔な料理だ。その複雑さは、気が遠くなるような時間や手間を経ている。日本各地からさまざまな食材が集められ、あらゆる食材の可能性を探り、独自の調味料を作ることから始まる。調味料の一例では、米麹オイル、桜の木のオイル、味噌ウォーター、松のだし、ローストした昆布の塩、焼酎の麹などがある。熟成、燻製、乾燥といった手法で、仕込みに数カ月かけるものも存在する。
レストラン階下にはテストキッチンがあり、テストされ、その成果で誕生した食品や調味料が並ぶ。豆腐にチーズの菌をまとわせ2週間熟成させ、カマンベールのようにしたもの。黒ニンニクを作るのと同じように、葉も皮もまるごとのパイナップルを14週間かけてキャラメル化させ真っ黒にしたもの。でもそれが美味しいか、風味豊かになるのかわからない。だからあらゆることを試している。
試された調味料の記録が窓ガラスに描かれ、独自のスパイスや調味料が並ぶテストキッチン。
無数のピースが集合し、レストランが出来上がる
こうした果てしない試みで出来上がった無数の調味料は、なるべくカラフルだといい、という。フレベルは物事をよくレゴに例える。レゴは組み立てると家になり、その家が何軒か建って道ができ、それがいずれ町になる。同様に各調味料がレゴのピースで、集まって料理になり、料理が何皿も集まってコースになる。そのレゴのピースを増やす目的で調味料が作られる。実験し、記録し、分析するテストキッチンは、ルネサンスやバロック時代の“ヴンダーカマー(驚異の部屋)”のようだ。博物学的なこの空間には、干したタコ、野生の鴨の骨、海藻の標本などが並ぶ。冷え冷えとではなく、わくわくするようなあたたかな空気に囲まれながら。
食材の可能性を探るためのテストキッチン。上右は熟成課程の麦麹。ケーキのようにカットして炭火で焼き、生の白エビをのせて鮨のように出すこともある。下はピクルスにした食材の数々。
その作物が育った風土を体感し、料理がはじまる。
これだけのことをしてなお、フレベルは、INUAの料理の創造性は「99%の失敗の上に成り立っている」と語る。「料理の出発点は、自分が食べたいもの、ワクワクするものを作ることです」。そのために、食材の冒険が始まる。ひとつの食材をどうやって食べたら一番良いのか思いを巡らせ、まずは山や海や野、その食材の育った土地や風土に身を置き、その体験から考えを巡らせ、発展させていくという。
INUAはディナーが中心でコースメニューのみ、十数品の皿が流れるように続く。そのテーブルへの料理の出し方も工夫に富む。一皿ずつ変化をつけ、ナイフ&フォークで、箸で、手で、自分で混ぜて食べるもの、氷らせたものを割って食べるもの…と、食べる人に楽しんでもらいたいという思いが徹底している。楽しみ、料理で幸せになる。INUAでは、その想いがすべてに通底している。後編ではフレベルの今の思い、育った背景やこれからのことを聞く。
INUAの料理の中でも最も印象的だったと語る人の多い、蜂の子をのせたご飯。Photography Jason Loucas
トーマス・フレベル Thomas Frebel
1983年生まれ、ドイツ・マクデブルク出身。2009年noma入店以来、リサーチ&開発のトップとしてレネ・レゼピの信頼を築き、東京、シドニー、メキシコでのポップアップ店舗でも腕をふるい、レゼピの右腕としてnomaをリード。2018年6月にINUAのヘッドシェフに就任。2019年2月「ワールド・レストラン・アワーズ2019」〈今年の新店部門〉にてINUAとして世界一を獲得。2019年10月20日より放送中のTBS日曜劇場「グランメゾン東京」(TBS系全国28局ネット毎週日曜日21:00~)の料理監修を務める。
https://inua.jp/
INUA
東京都千代田区富士見2-13-12 KADOKAWA富士見ビル9F
毎週火~土曜日18時~(ディナーのみ)
日曜ランチ月数回 不定期で開催
12名まで着席できるプライベートダイニングルームもある。プライベートパーティやイベントの相談も可能。
定休日 毎週日・月曜日
booking@inua.jp
予約に関する問い合わせ先:TEL 03-6683-7570 (受付時間 火~土曜日 11:00 – 16:00)
INUA 公式アカウント
Instagram inuajp
Twitter @INUA_JP
Facebook https://www.facebook.com/INUAjp/
Photography by Yuji Hori
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