植物に魅せられて
行き着いた先に盆栽があった
奈良県橿原市の古い住宅街。最寄駅から徒歩15分ほどの細く入り組んだ道の途中、ふと前庭を埋める小さな植物たちに目を奪われる。門柱に掲げられた文字は「塩津植物研究所」――ここは塩津丈洋と久実子の夫妻が営む店だ。盆栽そのものだけでなく、盆栽になる前の種木・鉢の販売、治療、植替えや剪定などの教室、店舗や個人宅の鉢飾、買取……と、草木にまつわるあらゆる仕事を請け負っている。
「目指すのは『草木ノ駆け込み寺』。花屋さんで花を買ってもその後の相談に行くことはあまりないですが、うちに来てもらえれば解決するという存在になりたい。もし僕の専門外でも他のプロを紹介しますし、植物のことで迷ったとき『あそこに行けば何とかなる』と思い出してもらいたいんです。そんな場所があってもいいんじゃないかな」と丈洋は語る。
盆栽の元気がないので生き返らせて欲しい。故人が大切にしていた盆栽を引き取って欲しい。そんな相談者が全国から訪れるのは、塩津夫妻が目標に近づいている何よりの証だ。


扉はなく、前庭との境に門柱だけが立つ店構え。入りやすさからつい立ち寄って植物に見入る人も少なくない。
名古屋芸術大学デザイン学部で建築を学びながら、好きな「木」にまつわる仕事を探したという丈洋。材木としての木に始まり、生花店、林業、農業に至るまで広く調べるうちに出合ったのが盆栽だった。
「盆栽には生き物と鑑賞物、どっちの魅力もある。面白いな、と思いました。卒業後すぐ東京の盆栽師に住み込みで弟子入りして、2010年に独立した時点ではまだ26歳。『20代で盆栽屋』というギャップが受けて、メディアに取り上げていただけるなど順調でした」。


完成品の盆栽は3000円前後から数万円。
塩津植物研究所は東京・世田谷のわずか5坪ほどの場所で幕を開けた。屋号の意味は、盆栽に留まらず草木のすべてに携わりたいという気持ちの表れだ。といっても店舗規模の関係上できることには限りがあり、ほどなくして東京都東久留米市の100坪ほどの店舗に移転拡大。少しずつ種木の生産なども開始した。


もとからあった果樹なども含めて、敷地内の至る所に植物が茂る。
久実子と出会ったのは、その頃に開催していた盆栽教室だ。
久実子は海外で働くために関西大学およびダブルスクールで英語を学んだ経歴をもつ。一旦就職した大阪の会社から転職を試みたがうまくいかず、熟考したところ意外と日本のことを知らない自分に気づいた。そこで工芸品の製造販売業である中川政七商店に職を得て、工芸を知るための一環として盆栽教室に参加したのだという。丈洋の盆栽に触れた久実子は「盆栽の概念を覆されました。こんな美しい文化があったのか、と衝撃を受けたんです」と、当時を述懐する。


木材に惹かれて建築を学んだが、生きている木を扱いたくなり盆栽に行き着いた丈洋。


貿易関係に携わる父の影響で海外に憧れたが、日本文化に興味が向き盆栽に行き着いた久実子。
やがて2人は結婚。折しも地代が高い東京に限界を感じていた丈洋は、久実子の祖父母が以前住んでいたという現店舗の場所を訪れて、奈良への移転を決意した。
「当時ここは荒地の一部を畑にしていたので野菜を採りに来たんですが、一目見ていい場所だと思いました。ここだ、奈良だ。この土地がいいと直感したんです。僕も和歌山出身ですから関西に戻ることを考えていたので、ほぼ即決でした」。
生え放題の雑草を刈り整地して、荒れ果てた倉庫を事務所に、離れを住居に。2人が「開墾しました」と笑う作業には、半年ほどを要した。
決め手になったのは「いい水が沸いている」井戸だ。有機分・ミネラル分の多い井戸水や雨水は植物がよく育つ。水路を確保して、ビニールハウスなどの設備を毎年少しずつ増やし、木を育てる。2017年4月のオープンから4年が経ついま、ようやくほとんどの設備が整った。現在敷地内には100種・2万株もの木が静かに息づいている。


扱うのは基本的に和の草木。広葉樹を中心に、種木から盆栽まで100種ほどが揃う。
手をかけることの価値。
草木も生活もていねいに
2人の生活は植物が中心となる。毎日10時と15時の水やりが欠かせないため、実質動けるのはその間だけ。遠出はもとより、買い物に出てもゆっくり過ごせる時間はない。
年間スケジュールも同様で、盆栽は春に植替えて、夏に剪定し、秋にようやく鑑賞のシーズンを迎えるので、草木が眠る冬だけが自分たちの時間だ。
「だから旅行はいつも冬(笑)。毎日の生活というよりも、植物のペースで生きているんです。僕らは10年先を見て種を植える。盆栽というと長年かけて育てるイメージがありますが、販売できるサイズになるまででも数年かかります」。


オープン当初に植えたシロシタン。4年かけてようやく販売できるサイズまで成長した。
ただ育てるだけではなく、針金を巻くなどして木をデザインするのが盆栽だ。その成長は遅く、何年もきめ細かく手をかけねばならない。「手がかかると愛着がわく。それが魅力になるんです。いい道具を長く使うことと同じですよ」と丈洋。
2人とも昔から人の手で作ったもの、作り手の顔が見えるものが好きだった。事務所で使っているチェストは、久実子の曾祖母が嫁入りに持参した箪笥。テーブルは祖父が自宅で私設塾を開いた際に使用していた元・縫製工場の台。
「100年前とかの家具ですから傷も汚れもあるけれど、丈夫だし手入れをすればまだまだ使えます。あるものは使う精神で」。そういって笑う久実子は、日々の暮らしにもていねいに取り組んでいる。


使ってきた人の姿が見えるようなアンティーク家具。研究所の雰囲気にしっくりはまっている。


事務所にさりげなく飾られた盆栽にも、
「梅干しを漬けたり、お味噌汁はちゃんとだしを取ったり。いまの時代って“くらし”がテーマになることが増えてきたと思うんです。忙しいからこそ、ほんのちょっと手間をかければ豊かな気持ちになれる。心地よく生活するための手間は惜しみたくないですね」。
3歳になった長男の楠(くす)を含め、家族3人が暮らすのは敷地内の離れ。わずかひと間の空間にはテレビも炊飯器もない。手をかけて、ゆっくりと日々を紡ぐ。植物とともに生きる現代的なスローライフが、ここにある。
後編では仕事内容や2人の思いについてさらに深く探る。
(敬称略)


極力家電製品を置かないひと間に3人が暮らす。天井を抜いて作ったロフトは物置に。
塩津植物研究所
奈良県橿原市十市町993-1
0744-48-0845
営業時間/9:00~17:00
定休日/水曜・木曜
Text by Aki Fujita
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