「カキツバタ」と「葵祭」【未生流笹岡家元 笹岡隆甫がいける五月の花、五月の京都】「カキツバタ」と「葵祭」【未生流笹岡家元 笹岡隆甫がいける五月の花、五月の京都】

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未生流笹岡家元 笹岡隆甫「月々の花、月々の京」

2024.5.22

「カキツバタ」と「葵祭」【未生流笹岡家元 笹岡隆甫がいける五月の花、五月の京都】

1919(大正8)年に創流され、西洋の花を用いた新しい「笹岡式盛花」を考案したことで知られる「未生流笹岡」。当代家元、笹岡隆甫さんは、伝統的な華道の表現だけでなくミュージカルや狂言など他ジャンルとのコラボレーションを試みるなど、幅広い分野での活動で注目を集めています。京都で暮らす笹岡さんが、月々の花と、その月の京都の風物詩を語る連載「月々の花、月々の京」、五月は「カキツバタ」と「葵祭」です。









カキツバタは未生流笹岡の「流花」

 

五月に見頃を迎えるカキツバタは、未生流笹岡の「流花」です。

 

さまざまな物資が枯渇し、花を育てるよりは食糧を栽培した方がよいとされた戦時中のこと。祖父の二代目家元勲甫は、そんな時代だからこそ、文化を守るのが大切と、自分で花を育てようと考えました。その時に選んだのが、いけるのが極めて難しいカキツバタだったのです。

 

畑を探しに城陽市に足を運んだ際、「家元がカキツバタを育てるのは難しいので、代わりに育てましょう」と提案してくださったのが、現在流派の名誉目代を務めてくださっている「杜若(とじゃく)園芸」の岩見さんでした。以来、5月だけでなく、四季咲きのカキツバタの入手が可能となりました。祖父は一年を通してさかんにこの花をいけばな展で使い、「カキツバタの笹岡」と称されるようになりました。






高貴な花、カキツバタはいけるのも難しい

 

いけばなでは、いけるのが難しい花材として「葉物の三難物」という言葉があります。ハラン、水仙、そしてカキツバタです。

カキツバタの場合、用いる葉を厳選しなければなりません。カキツバタの葉は、通常5枚程度が組み合わさって、ひとつの株を構成しています。その株をいったん分解し、ねじれのないフラットな葉を選びます。そうした葉は、100枚のなかで10枚あるかないか。

次に選び抜いた葉を5枚選んで、長さをととのえ、再構成します。手前の2枚はタメをつくるように曲線を作って、しならせます。残りの3枚はあまり手を加えず、手前の2枚を支えます。

5枚が微妙に支え合って一つの曲面を構成する、この組みあわせが難しく、初心者ですとこれだけでも2~3時間はゆうにかかってしまいます。

 

また、古書に「日月和して紫雲たなびく」という言葉があるように、太陽が東に、月が西に残る明け方の空にたなびく雲の色である紫は、日月和合の最上位の色とされています。中国の王朝や古代ローマでも、皇帝のみが着用できる禁色(きんじき)とされたことからも、紫がいかに高貴な色と目されてきたかがわかります。

 












カキツバタに向かう時は、常にも増して気が引き締まる思い

 

こうした最高位の花であるカキツバタを生ける際は、精進潔斎し、その場を清浄にせよと、伝えられています。

現代の世界では、実際に精進潔斎することはなかなか難しいですが、私自身も、カキツバタに向かうときは、常にも増して気が引き締まる思いです。

 

美しく、それでいながら凛と気高くいけられたカキツバタを見ると、苦しい時代にあえてこの花を選んだ祖父の想いが、少し理解できる気がします。

 




大田神社 カキツバタ 大田神社 カキツバタ

カキツバタが自生する上賀茂神社の境内は「大田の沢」と呼ばれ、

約2万5千株ものカキツバタが自生しています。©Akira Nakata

 


平安時代から愛されてきた花

 

京都では大田神社、平安神宮、醍醐の勧修寺(かじゅうじ)などが、カキツバタの名所として知られています。

 

丹精込めていけられたカキツバタもさることながら、群生したカキツバタが織りなす、一面の緑のなかにどこまでも続く紫の花の景色も見事です。

 

とくに、上賀茂神社の摂社である大田神社のカキツバタは見事で、国の天然記念物にも指定されています。大田神社のカキツバタは、平安時代の和歌に詠まれているほどで、いかに昔から、人々に愛されてきたかが分かります。






葵祭は、下鴨神社と上賀茂神社の例祭

 

5月の京都といえば、葵祭です。

葵祭は『源氏物語』にも登場する祭です。下鴨神社と上賀茂神社の例祭で、正式には「賀茂祭」といわれています。

5月に入るとさまざまな前祭が行われますが、そのハイライトが15日に行われる「路頭の儀」で、天皇の使者である勅使が下鴨、上賀茂の両神社に参向する儀式です。

当日は、検非違使、内蔵使、命婦などが、平安時代の装束をまとい、およそ500人、馬や牛も加わった1キロにも及ぶ行列となって進んでいきます。



葵祭 斎王代 葵祭 斎王代

御所から上賀茂神社に到着し、童女とともに境内を歩む斎王代。©Akira Nakata


「路頭の儀」の主役は、じつは「近衛使代」とも呼ばれる勅使代(実際の勅使は「路頭の儀」には加わりません)です。でも、注目を集めるのは、やはり「斎王代」です。斎王は平安時代には内親王が選ばれていましたが、現在では未婚の一般女性が代わりに選ばれるので、「斎王代」と呼ばれるようになりました。

 

今年の斎王代は、親しくさせていただいている壬生寺のお嬢様がおなりになったので、15日は御所に参内し、斎王代が十二単(じゅうにひとえ)を纏われるところを拝見するという、貴重な経験をさせていただきました。

 

十二単は30キロ近くあり、着付けるのにも1時間半以上かかります。雅やかな斎王代ですが、大変なご苦労もあるということを、改めて思い知りました。

 

花展が続き忙しかった4月に比べれば、5月はすこしほっとすることができる月です。日を追うごとに、鮮やかな緑となっていく樹々を眺めていると、自ずと心も安らいできます。





笹岡隆甫(ささおかりゅうほ)  笹岡隆甫(ささおかりゅうほ) 

photography by Takeshi Akizuki

笹岡隆甫 Sasaoka Ryuho

 

未生流笹岡家元。1974年京都生まれ。京都大学工学部建築学科卒業。2011年、未生流笹岡三代家元を継承。伊勢志摩で開催されたG7会場では装花を担当。舞台芸術としてのいけばなの可能性を追求し、国内外の公式行事でいけばなパフォーマンスを披露。京都ノートルダム女子大学と大正大学で客員教授を務める。近著の『いけばな』(新潮新書)をはじめ、著書も多数。



Text by Masao Sakurai(Office Clover)

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