カルチャー

『雨にゆれる女』で映画監督デビューした音楽家半野喜弘氏インタビュー《後編》

2016.11.17

rd850_main

最初のフレッシュな感覚をいかにキープするか

監督・脚本・編集・音楽。『雨にゆれる女』には、半野喜弘という名が4つの役割でクレジットされています。映像と音楽、どちらの要素が先にできあがったのでしょうか。

「音楽は最後です。編集を終えるまで、音楽のことは考えませんでした。特殊なシーンで効果として音楽をこう使おうというようなことは決めていたりもしますが、それ以外は一切白紙です」

音楽家出身だからといっても、映画作りではまず脚本があり、撮影を行ってそれに合わせて音楽を作るというものです。映画監督が音楽を依頼する時にできあいの曲をサンプルとして渡すことがよくありますが、半野監督はそれがいい結果をもたらすことはないと考えます。

「物事を作る時に一番大事なことって、ファーストインプレッションなんです。編集の段階で仮の音楽を入れて編集するというのは確かによくあるみたいですね。それで監督やプロデューサーが見て、このあたりでピアノを入れてほしいというように編集マンに指示する。でも、そんなことをすると音楽家がそこに音楽をつけた時に、監督の中ではファーストインプレッションが奪われているんですね。これってほんとはよくないと思うんです」

最初のフレッシュな感覚をいかにキープするかを考え、編集段階でもまったくの無音だったそうです。

「グリップした、つかめたという感覚があると、すごくいいものができる確率が高いですね。つかみきれずに手探りになっちゃうと、どうしても弱い。僕は脚本を書いて演出をして編集をしたわけですが、音楽を発想するところまでファーストインプレッションを残しておきたいと思いました」

rd850_sub2
青木崇高はある過去を背負った孤独な男を演じる

映画音楽は詐欺師みたいに騙す役

『雨にゆれる女』では、さまざまなスタイルの音楽が混ざりあっています。最初はオーケストラで、ヒップホップやフラメンコ・ギターも使われます。多様性を求めることには理由があります。

「楽器選びには、キャスティングに近いところがあるんですよ。ただ、音楽は主役じゃないんです。ずーっと主役で出ているのではなく、シーン、シーンで入ってくるキャストなんですね。だとしたら、そのシーンに合ったキャストを選ぶっていう、そういう感覚ですね」

映画にとって音楽が重要なのは確かですが、他の要素とは決定的な違いがあると半野監督は考えています。

「ドキュメンタリーではないフィクションの映画では、制作スタッフはフィクションの中にリアルを求めていくじゃないですか。役者はリアルに見えるように演技し、リアルな映像を撮影し、リアルな印象を与えるように編集される。最後にそのリアルをぶち壊すような非現実なものが音楽なんですよね。アクションシーンでドドドドドドという激しいリズムを入れたり、恋愛シーンで美しい旋律を流したりする。リアルを追求するなら、音楽を入れるのはおかしいですよね」

リアルではないけれど、音楽が入ることによってより感動的なシーンになることは確かです。人間の感覚をコントロールしますが、映画の中での音楽はウソなのだと半野監督は考えます。

「方法論から言うと、本当はウソを入れると感動的にならないはずなんです。なのに、ウソが感動を助長するとかウソが痛みを増幅させるとかということが起こります。映画っていう創作物が人の心を誘導できるのは、大きなウソが流れ込んでくることで、リアルがよりリアルになるというマジックが起きているわけじゃないですか。僕たちの仕事っていうのは、最後に世界にやってきて詐欺師みたいに騙す役なんですよ。ただ、本当にきれいなウソをつかないと、全部が壊れちゃう。詐欺師なんだから完璧に騙してくれよというのが、たぶん音楽家に求められることなんですね」

 

次ページ《自分はつくづく日本人なんだなと感じる》

KEY WORD

Area