「アトリエ・ブランマント」総合ディレクター齋藤峰明さん連載 vol.7

生駒芳子さん(一般社団法人フュートラディション ワオ 代表理事)×齋藤峰明さん(アトリエ・ブランマント総合ディレクター)

2017.05.22

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いま一番いいものが、100年後に伝統になる

齋藤峰明さんがホストを務める対談連載の第7回目。今回のお相手は、齋藤さんと親交の深い、日本遺産プロデューサーの生駒芳子さんです。雑誌「VOGUE」や「ELLE」での副編集長を経て、2004年より「マリ・クレール日本版」の編集長に就任し、ファッションジャーナリストとして長く活躍されてきた生駒さん。数年前に日本の伝統工芸と運命的な出会いを果たし、新しい活動をスタートしたといいます。

ファッション、そしてインターナショナルな世界に身を置きながら、改めて日本の伝統工芸の魅力を発掘し、応援してきた生駒さんと齋藤さんに共通する伝統工芸への思いや、目指すビジョンをプレミアムジャパンの編集部にて伺いました。

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意図せずして起きた、伝統工芸との運命的な出会い

齋藤「今日は、ファッションやアートを切り口に日本の伝統工芸を紹介している生駒さんが、どういう思いでいまの活動をなさっているのかを伺えればと思います。きっかけはどんなことだったのでしょう?」

生駒「もともと私はファッション誌にいて、パリやミラノコレクションでたくさんのラグジュアリーブランドと向き合う日々を送っていました。『プラダを着た悪魔』の日本版といった感じ(笑)。そんななか、ファッションコンクールの審査員長を務めるため、2010年に金沢へ行くことに。その時、金沢市の方から、ファッションやインターナショナルのチャンネルを持った私に、伝統工芸の世界を見て欲しいというお話があり、加賀友禅や加賀繍(かがぬい)、加賀象嵌(ぞうがん)の工房を見て回ったのです」

齋藤「2010年といえば、7年前ですね」

生駒「はい。そこで行った工房の職人全員が、『未来がない、販路がない、何を作っていいかわからない、教えて下さい』と言っていました。こんなに美しく高いクオリティのものを作っているのに、この嘆きとのギャップは何?とショックを受けたんです」

齋藤「まさに、職人が何をしたらいいかわからないという状況ですね」

生駒「東京へ帰ると、たまたまフェンディの社長から連絡があり、日本でクラフトマンシップのプロモーションをしたいから日本のアーティストを紹介してほしいと言われたんです。金沢から帰ったタイミングですごいなと驚きつつ、1週間後には社長を連れて再び金沢へ行き、前に見て回った工房を紹介しました。すぐに話がまとまって、私のコーディネートで半年後には三越伊勢丹、松屋、梅田阪急でコラボイベントを行いました」

齋藤「なにか運命的なものを感じますね。イベントでは、具体的にはどのようなことを?」

生駒「フェンディの職人と工房のコラボレーションにより、第一弾は加賀象嵌で金属のチャームを、第二弾はバゲットバッグに加賀繍の刺繍を、第三弾は会津塗の漆で塗ったバックルを製作しました。大きな反響をいただき、日本の伝統工芸は名だたるブランドにも対等に扱われるほどの世界に通用するクオリティを持っている、と証明できたのです。それは私たちの足元には素晴らしいものがあるのに、ずっと外に目を向けていたんだと気付いた瞬間でもありました」

齋藤「長いキャリアのなかで、このタイミングで出会ったことにも意味を感じますね」

生駒「そうですね。考えてもいなかったことに直面し、自分のなかで科学変化が起きました。そして2011年の夏、東日本大震災のすぐ後でしたが、フェンディとのコラボで生まれた品々や色々な工芸品を集めて『Future Tradition WAO』という展覧会を開催しました。それまでファッションジャーナリストとして、ラグジュアリーブランドから学んだ方程式から、100年後に伝統になるもの=“フューチャートラディション”を作りたいと考えたんです」

齋藤「まさに、いま一番いいと確信できるものこそが、次の時代に残っていくということですね」

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職人にマーケットの需要を伝え、安定した流通網を作る

生駒「展示会を開催した2011年頃から、政府もようやく重い腰を上げ、文化を柱にしようとクール・ジャパンをスタートします。そういった追い風もあり、この活動を本格的にはじめました。今付けている時計も、昨年シチズンと京都の西陣織のコラボで生まれたもの。ブランドアドバイザーとして開発に携わりました。私はファッションから入っているので、女性が身につけるアイテムとしてバングルとクラッチバッグもセットで作りました。別シリーズで、漆の玉をつけたバージョンもあります」

齋藤「素敵な時計ですね。生駒さんは、まさに動くショーウィンドウですね!」

生駒「ショールームがないので、自分で身につけて歩いています(笑)。こうしたことも含めて、いまでは一過性のものではなく、ライフワークとして取り組んでいこうと思っています」

齋藤「とても素晴らしいと思います。いま生駒さんがなさっていることは本当に必要なことですから。職人がいても、ものが売れなければ仕事がなくなるし、そうすると職人もいなくなってしまう。これから職人になろうという若い人も雇えず、ますます数は減るばかりです。だから、次世代に残るような一番いいものを発表していただく。そして量産することだけがいいとは言いませんが、産業にお金がもたらされる形を作っていく必要もあります」

生駒「齋藤さんにお墨付きをいただけると大変うれしいです! けれど、いまは職人が何をしていいかわからないことが問題だと思っています」

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齋藤「京都もそうですが、伝統工芸は作る工程も流通も分業が基本なので、職人は実際に使う人の世界が見えていない。だからクール・ジャパンで工芸品を世界へ持って行こうといっても、海外とは生活習慣が違うから職人はどんなものを作ればいいかわからないんです」

生駒「構想から製作まですべてを職人がカバーするのは無理ですね。値段ひとつ付けるのも難しいはずです」

齋藤「だからこそ、我々のような海外のマーケットを知る人間が、インターナショナルな感覚やファッションの感覚を通してお手伝いをして行くべきなんです。例えば、箱だったら海外の人はこういう用途で使うから大きさはこれくらいがいいとか。他の国のものと同じように日本のものを見ることで、海外の人も素敵だなと思うものが作れるんだと思います。同時に、それらの商品が海外まで届く流通網を作ることも必要不可欠です」

生駒「齋藤さんがパリの拠点として『アトリエ・ブランマント』を作られたのは、まさしく販路から流通網を作るためなんですね」

齋藤「そうです。ものを作っていくらか売れても、結局は安定した流通網がなければ産地が活性化するには至りません。いまオープンしてちょうど1年経ち、売れそうなものを集めて紹介していますが、いずれは商品開発も行いたいと思っています。生駒さんのものもぜひ、展示させていただきたいですね」

生駒「ぜひ、よろしくお願いします。ただ、ひいき目のない海外の人たちにも良いと思ってもらって、安定的に流通させる流通網を作ることはとても大変なことですね」

齋藤「はい、だから全部成功させるのではなく、いくつか成功例を作れたらいいんだと思います。昔、島国の日本は遠いヨーロッパの市場へ販路を作るため、商社という機能が必要でした。けれどいまはインターネットがあるので英語さえできれば流通網は簡単に作れます。最近では、鯖江(メガネ関連産業で有名な富山県の都市)などのメーカーがインターネットを通して、自分たちでどんどん売り始めています」

生駒「能作(富山県高岡市の鋳物メーカー)などもそう。パリの素材見本市である『プルミエール・ヴィジョン』などへ自ら出向いて積極的に動いています。なにをやったらいいかわからない工房やメーカーとの差が大きく広がってきています」

齋藤「もちろん、まずは何を作るかも大事です。でも自分たちがやってきたことに固執してしまっているメーカーも多いんです。着物の生地メーカーで、織りは一流なのに代々使ってきた図案だけにこだわっていたり」

生駒「固執ですか、そうですね。捨てるところは捨て、守るところは守るということ。捨てるところを潔く捨てているメーカーは伸びていますね」

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日本人がもう一度自分たちの美意識に自信を持つために

生駒「私がこの7年間で感じたのは、日本の素晴らしい伝統工芸について一番よく知っているのは、日本人ではなく海外のラグジュアリーブランドであるということです」

齋藤「ルイ・ヴィトンのモノグラムも日本の家紋がルーツですね。パリの生地屋へ行くと、最高峰と言われるメーカーによって日本の家紋や柄が研究しつくされていることがわかります。とくに江戸小紋なんてとても多い。イタリアでも昔から壁紙の需要が高かったため、世界中の柄が集められていました」

生駒「日本以上に日本の柄について研究しているんですね。一方、日本の工芸産地の人たちは、みな自分の土地で作られたものに対して無関心で、自信がありません。有田焼の産地も、唐津焼の産地も、みな同じ。日本人自身が自分たちの作っているものや美意識に高い価値を置いていないんです」

齋藤「100年前の明治維新で日本は西洋文化を取り入れ、それが主流になり、もともとあった日本のものは“特別なもの”になりました。そして戦後、アメリカ文化が流入してそれはより明確になります。たとえば着物は結婚式に着るものだ、というように。着物と洋服の文化は分断されてしまいます。とある仕事で山本耀司さんが着物メーカーとコラボしたとき、その方が、うちは着物屋で耀司さんは洋服作っている人だから、ということを言ったら、耀司さんは怒ったんです。自分は洋服ではなく、服を作っているんだと」

生駒「三宅一生さんも、川久保玲さんも同じですね。彼らは『現代の着物』を作っていると言えると思います」

齋藤「戦後、空襲で街が全部なくなったところにアメリカの物質主義的文化が一気に入ってきて、日本はコツコツとやってきたものづくり文化から、大量生産の文化に一変しました。大量生産、大量消費が日本の高度成長期を支え、国を豊かにしたことは事実ですが、失ったものも多かった」

生駒「居住空間も、日本人は戦後、日本家屋から離れて真っ白な壁のマンションに移り住んだことで、それまで持っていた日本的なるものを押入れのなかに閉じ込めてしまった。パリでは、みな築400〜500年の建物に住んでいたり、街のなかにお城があったりと、営々と続いてきた歴史的空間やファッションのなかで生きています」

齋藤「フランスは、ルネサンス期にイタリアが入り、パリ万博でジャポニスムが入り、イギリスからはダンディズム様式が入り、アメリカからも影響も受けて……と、さまざまな国の文化を長い年月をかけて少しずつ受容してきました。フランス人の家に行くと、いろんな国の様式が上手にミックスされています。中国の家具も使ったりして。昔のものと今のもの、他の国にものを混ぜて取り入れることに慣れているんです」

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生駒「実はいま、迎賓館の使い方会議の委員をやっていて、先日赤坂離宮へ行きました。プチベルサイユといった感じで、とても圧倒されました。決して真似しただけではなく、作りや装飾も本当に見事で。明治・大正、戦前までは、日本人もうまくミックスできていたんだなと思いました。だから、日本人もできないことはないんだと思います」

齋藤「日本人のテイストがきちんと入っていますよね。日本は、そうして戦後に失ったものを取り戻そうと、また手作りのいいものを求めるようなったんです」

生駒「学んだこともあったけれど、寄り道をしてきたんですね。だから、もう一度フランス人が持っているような美意識や判断の軸を日本人が持つためにはどうすればいいのか、と考えていたんです」

齋藤「いま、生駒さんがやろうとしていることは大事なことです。日本人が自ら本当に美しいと言うものがあれば、海外でも同時に使い出す人が出てくる。そうするといまの日本人が自分たちの美意識にもう一度自信を持ち始め、日本の文化がインターナショナルなものになっていくんです」

生駒「はい、コツコツとやっていくつもりです。実はこの活動の発展版として、この秋にブランドを立ち上げる予定です。まだ名前は言えないのですが、7年間やってきた活動がひとつのしっかりした形になるようにと思っています」

齋藤「形にすることは大切です。そうしないと最終的なものは見えてこないので。色々なメーカーに頼んで作られるわけですよね」

生駒「そうですね。今度はすべてオリジナルで開発するつもりです。女性が活躍するいまの日本で、女性に自信を持って身につけていただけるものを作って、日本をPRしてもらえたらいいなと。なおかつ、職人も新しい仕事にチャレンジできるプロジェクトになるといいなと思っています」

齋藤「とても楽しみですね」

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撮影/岸本咲子 取材・文/井上真規子

 



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一般社団法人フュートラディション ワオ 代表理事

生駒芳子(いこま・よしこ)



東京外国語大学フランス語科卒業。雑誌「VOGUE」「ELLE」で副編集長を務め、2004年より「マリ・クレール日本版」編集長に就任。2008年11月に独立。ファッションジャーナリストとして、ファッションからアート、ライフスタイルに関わるさまざまなプロジェクトを立ち上げ、幅広い活動を行う。
2011年「一般社団法人フュートラディション ワオ」の代表理事となり、現在までファッションやアートを切り口に日本の伝統工芸を紹介する活動を行っている。クール・ジャパン審議会委員、WEF(Women’s Empowerment in Fashion)理事、NPO「サービスグラント」理事、JFW(東京ファッションウィーク)コミッティ委員、レクサス匠プロジェクトアドバイザー、日本遺産プロデューサーなどを歴任。

 

 

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シーナリーインターナショナル代表

齋藤 峰明(さいとう・みねあき)

1952年、静岡県生まれ。1971年に渡仏し、パリ第1(パンテオン・ソルボンヌ)大学卒業。その後フランス三越に入り、のち三越のパリ駐在所長に。 在職中に日本のデザイングッズを扱うパリのコンセプトショップ「SHIZUKA」を企画運営。
1992年、エルメスに入社。1998年にエルメスジャポン代表取締役社長に就任。同社をエルメス最大の海外支社へと成長させる。2008年から2015年までエルメスパリ本社副社長に就任。現在はシーナリーインターナショナル代表として、日本の伝統技術を生かした現代的な商品を提案するパリの「アトリエ・ブランマント」総合ディレクター、新感覚のフットウエア「イグアナアイ」の紹介ほか、日本企業の世界展開に向けてのブランド・コンサルティングなどを行う。
他にライカカメラジャパン取締役、株式会社ルミネ顧問、パリ商工会議所日仏経済交流委員会理事も兼務し、その活躍は多岐にわたる。




【「アトリエ・ブランマント」総合ディレクター齋藤峰明さん】一覧記事はこちら http://www.premium-j.jp/mineaki-saito/

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