知られざる北斎〜beyond the border〜《第5話》 熱狂する海外、見向きもしない日本

2017.11.25

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モネの家

パリ・サンラザール駅からノルマンディー地方に向かう二階建ての郊外列車に乗って約45分。バスに乗り換えて約30分。のどかなフランスの里山風景を愛でているうちに人口約500人の小さな村、ジヴェルニーに着く。町で唯一の産業はクロード・モネ財団が運営する「モネの家」であり、世界中の絵画ファンを魅了する『睡蓮』が描かれた印象派の聖地だ。

ピンク色の可愛くも巨大な家の各部屋には、約200枚もの浮世絵(現在はレプリカ)が! そのことは有名でも、ここにもまた浮世絵と印象派を結んだ明治の画商、林忠正の足跡が刻まれていることは、多くの観光客も知らないようだ。

「ここにも忠正印がありますね」

この日通訳として頼んだパリ在住のゆいさんが、目を輝かせて壁にかかる作品を指さす。

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二階の真ん中の部屋に飾られている北斎の「あさ顔、ひる顔」の左下には、小さく赤い「林忠正」の印が押されている。

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その他には「わか井をやぢ」という少し大ぶりの印鑑もある。各部屋の壁を飾る夥しい数の浮世絵の中にこの二つの印鑑を探していくと、歌麿、写楽、春信、広重、国定等、描き手を選ばず多くの作品に押されている。

これらは全て1878年パリ万博の通訳兼事務員として海を渡り、その後約30年に渡ってパリで画商として活動した林忠正が、「品質を保証する」という意味で押した印鑑だ。「わか井をやぢ」というのは当初林が就職した起立工商会の上司で、のち86年からは共同経営者となる若井謙三郎のもの。90年に独立した林は、以降自らの眼鏡に叶った浮世絵にはこの印鑑を押した。通常なら作品に対する冒涜とも言えるが、この頃既にパリの美術界で日本美術の第一人者として頭角を著していた林のお墨付きは、パリのジャポニズム愛好者にとっては安心の証だったという。

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晩年のモネ

モネもまた、林から何枚もの浮世絵を購入したか、もしくは初期の頃には自分の作品と物々交換していた画家の一人だったのだ。

モネと浮世絵の出会いは1862年のこと。ル・アーブルの港に着く日本からの荷物の中からか同時期のオランダ旅行中に色刷りの版画を発見し、以降虜になったという。

だがこの時期、モネだけでなく多くの芸術家が、様々な時と場所で「日本美術」と出会い、大きな衝撃を受けている。

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モネの家に飾られた浮世絵の数々

日本を追放されたオランダの医師シーボルトが、多くの日本美術(のみならず日常品も)をヨーロッパに持ち帰ったのは1829年のこと。のち彼は「ニッポン」という3冊の書物にこのコレクションをまとめている。すでに書いたように、陶器の絵付け師ブラックモンが日本から来た陶器の包み紙に「北斎漫画」を発見したと言われるのは1856年。のちに『歌麿』『北斎』という本を記す作家エドモン・ド・ゴンクールが『観音寺の画帳』を手に入れ、日本の版画芸術に開眼したのは1852年。共和主義者だったテオドル・デュレ(コニャック業者)が、パリ・コミューンの処刑から逃れて東洋を旅したのは71年。後にデュレは、そこで「低俗な本や平凡な版画を手に入れた」と書いている。(「日本画帳と絵本」1900年)

1867年の明治維新以後の日本にはたくさんの「錦絵屋」があり、店頭には刷り上がったばかりの錦絵が、「紐のついた竹挟みにたくさん吊らされていた」(「林忠正」木々康子著)。それらは女性や子供たちが部屋を飾ったり、好みの歌舞伎役者のブロマイドを身近に持ったりするために購入するもので、大人の男性は見向きもしなかった。その頃は錦絵初期の清長や歌麿のような優美な作風は廃れ、江戸後期には多彩な作風で人気だった北斎ですら、いまの感覚で言うならば500円程度で売り買いされる「大衆の嗜好品」だったのだ。

開国直後、外国から浮世絵の買い注文が入った当時の錦絵屋はこんな状況だった。

「その辺の古本屋から北斎、広重などの風景もの、豊国、国貞らの相撲絵と役者絵を言い値といっても二束三文で買い込んで、手数なことなと送荷した」

つまりパリを中心とする海外の芸術家の熱狂とは裏腹に、国内では浮世絵は誰も見向きもしないものだった。

この状況下にあって、パリにいた日本人美術商は林ただ一人。正確に言えば78年の渡仏時には美術には無縁の通訳だったが、万博を経験する中で美術に目覚め、次第にその道を歩きだしていた。

ジャポニズム=日本熱が加熱した80年代後半、林は自らの店をパリ市内に持つ。そこからジヴェルニーのモネとの関係が示すような活躍が、何事にも情熱を傾ける林の真骨頂だった。

 

《第6話へ続く》

「知られざる北斎~beyond the border~ 葛飾北斎とゴッホを結びつけた日本人①」はこちらから>>
「知られざる北斎~beyond the border~ 葛飾北斎とゴッホを結びつけた日本人②」はこちらから>>
「知られざる北斎~beyond the border~西欧諸国に吹き荒れるジャポニズム① 」はこちらから>>
「知られざる北斎~beyond the border~西欧諸国に吹き荒れるジャポニズム②」はこちらから>>

〈プロフィール〉

神山典士(こうやま のりお)

ノンフィクション作家。1960年生まれ、埼玉県出身。1996年「ライオンの夢、コンデ・コマ=前田光世伝」にてデビューし、小学館・第3回ノンフィクション大賞優秀賞を獲得。扱うテーマは芸術活動、スポーツ、ビジネス、食文化・・・と多岐にわたる。
2012年「ピアノはともだち、奇跡のピアニスト辻井伸行」で全国読書感想文コンクール課題図書選出。2014年、「週刊文春」2月13日号にて、同誌取材班とともにスクープ記事「全聾の作曲家はペテン師だった!ゴーストライター懺悔実名告白」を発表。社会的な反響を呼び、同記事は第45回大宅壮一ノンフィクション賞・雑誌部門を受賞した。