名古屋城の本丸御殿:「美しき城」 vol.26 萩原さちこ

2016.07.25

rd850__nagoya-1

幕府の威光を示す、最高格式の本丸御殿

2016年(平成28)6月1日から、名古屋城本丸御殿の第2期公開がはじまりました。藩主の着座の間である表書院、玄関、中之口部屋、溜之間がよみがえった第1期工事から約3年。対面所や上台所、孔雀の間などが復元され、このたび公開されたのです。

現在は、将軍専用の上洛殿、黒木書院や奥御殿書院などの第3期工事が進められています。平成の名古屋城本丸御殿が完成するのはもう少し先で、全体公開は2018年(平成30)の予定です。

1634年(寛永11)に3代将軍徳川家光の上洛に合わせて増改築された本丸御殿は、城郭御殿建築史上、最高格式。現存する国宝の二条城二の丸御殿(京都府京都市)と並び、武家書院建築の双璧といわれます。

二条城は、徳川幕府の京での居城として築かれ、二の丸御殿は後水尾天皇の行幸を機に改築した御殿。名古屋城本丸御殿も二条城二の丸御殿も、豪華であるだけでなく御殿を構成する殿舎の種類や棟数も全国屈指で、徳川幕府の威光を示す傑作といえます。

名古屋城本丸御殿は、1615年(慶長15)に完成しました。完成年に行われた初代尾張藩主・徳川義直の婚儀の折、徳川家康は本丸御殿に宿泊し、ここから大坂の陣へと出陣したといわれています。その後、2代将軍秀忠、2代将軍家光が京で将軍宣下を受ける際も、上洛の途中に本丸御殿に宿泊。

家光が上洛する前年の1633年(寛永10)に増改築されており、完成した本丸御殿が現在の復元工事の完成モデルとなります。1610年代(慶長期)と1633年(寛永期)の2時期の様式を併せ持つのも特徴です。

rd850__nagoya-2 rd850__nagoya-3 rd850__nagoya-4
狩野派による最高峰の障壁画

部屋ごとに異なる題材で描かれた本丸御殿の襖絵や天井板絵は、狩野貞信や狩野探幽など当時最高峰とされた狩野派の絵師達に手がけられました。とくに探幽は当時33歳ともっとも油の乗った時期にあり、作品は1300点ほどあったといわれています。

江戸時代初期の狩野派の絵は、山水・人物・花鳥・走獣、また墨画・淡彩・濃彩の順に格が下がるのが法則です。本丸御殿でも、入口付近の玄関は勇猛な豹虎図、表書院の各部屋は花鳥画で飾られ、奥の対面所には名所人物図が描かれています。

新築された上洛殿は、山水が描かれていたであろう既存の書院より格上げすべく、すべて墨画を基本として部分的に着彩。一方で、将軍御座所内で完結を狙うためか、三之間から上段之間までを花鳥から人物としています。

装飾や構造からも、その一端がうかがえます。謁見の部屋である表書院も、藩主が着座する上段の間は、床・棚・付書院・帳台構といった正式な座敷飾りを揃え、格式高い折上の小組格天井。そして、一段低いところに次の間(一之間、二之間、三之間)が設けられます。

次ページ《新たな命を吹き込む「復元模写」とは》

Area