小諸城の地形と石垣:「美しき城」 vol.37 萩原さちこ

2016.10.10

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ジェットコースターのように急降下する地形

小諸城の魅力は大きく2つ。ひとつは、独特の地形です。小諸インターを降りた途端、小諸市街地に向かってジェットコースターに乗っているかのようにぐんぐん降下。小諸は谷底の街という感じです。これは地域特有の田切り地形というもので、約1万1000〜1万4000年前に浅間山から噴出した小諸火砕流の堆積地が、千曲川の浸食によって河岸段丘化した場所に城が築かれています。

西は千曲川の下刻により不安定化した斜面が地滑りして形成された滑落がけに臨み、南北は開析谷により幾重にも区切られた天然の要害です。城下町より主郭部の標高が100メートル近く低いことから「穴城」と呼ばれますが、たまたま1か所が一段階低くなっているのではなく、とても複雑な自然地形をしているのです。

小諸の町を歩いていると、この地域全体が起伏に富んだ地形であることがわかります。よくここに城をつくったなという気もしてきます。大地をかち割ったかのような巨大な空堀には、思わず目を見張るほど。そのため、石づくりの近世城郭なのにどこか中世の山城のような雰囲気があります。三の門前のガクンと下がっているところが、ちょうど開析谷の谷底にあたります。

rd850_komoro-3 rd850_komoro-4武田、織田、豊臣、徳川へと受け継がれた城

小諸城の起源は平安時代ともいわれますが、原型がつくられたのは戦国時代です。1554(天文23)年に武田信玄が手中に収めると30年間武田氏の支配下となり、重臣の山本勘助と馬場信房が命を受けて改変。前身の鍋蓋城と乙女城を取り込んで改修したとされます。武田氏が滅亡すると織田信長、徳川家康の支配下に置かれます。 近世の姿に改修したのは、1590(天正18)年に天下統一を果たした豊臣秀吉の家臣、仙石秀久です。5万石で小諸に入り、現在の小諸城と城下町をつくり上げました。徳川の時代になると32年間務めた仙石氏に代わり、3代将軍徳川家光の弟である忠長の支配下となり城代が置かれました。重要な城であるため、歴代藩主はおもに徳川譜代大名が務めています。

 

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