「美しき城」 vol.53

津和野城の城下町:城郭キュレーター 萩原さちこ

2017.02.06

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日本遺産に認定された「津和野百景図」

秀峰・青野山と城山に囲まれ、赤茶色の石州瓦が葺かれた商家、武家屋敷、藩校などの歴史的建造物が点在する津和野の城下町。年間100万人以上が訪れる、全国有数の観光地として知られます。江戸時代を通じて繁栄し、現在でも津和野大橋北側の殿町という通り名とともに風情を残します。

掘割に鯉が泳ぐ殿町通りは、花菖蒲に彩られる初夏、雪化粧の冬など、どの季節に訪れても情緒があります。森鴎外や西周などの人材を輩出したのが、藩校養老館。亀井氏11代にわたり家老を務めた多胡家の武家屋敷門が多胡家家老門で、酒造など古い店が建ち並ぶのは本町通り。歴代藩主の菩提寺・永明寺には森鴎外の墓もあります。

2015(平成27)年、江戸時代の藩内のようすを100枚の絵と解説でまとめた「津和野百景図」が日本遺産第1号に認定されました。津和野の名所、自然、伝統芸能、風俗や人々の暮らしぶりが生き生きと描かれたものです。第1図に登場するのが、三本松城(津和野城)。津和野百景図に描かれた風景をたどりながら津和野の町を歩くのが、新しい津和野の歩き方になるかもしれません。

rd1700_tsuwano-2rd1700_tsuwano-3rd1700_tsuwano-4 (1)山陰の小京都と呼ばれる理由

津和野城は、城下を見下ろす367メートルの霊亀山に築かれ、鎌倉時代からの変遷を経て現在の姿となります。

津和野に京文化が色濃く残り「山陰の小京都」と呼ばれるのは、南北朝時代まで14代にわたり城主を務めた吉見氏に関係します。吉見氏は南北朝時代に入ると、周防(現在の山口県東南半分)・長門(山口県西半分)の守護職・大内氏と主従関係を結び、戦乱の世を生き抜いていきます。10代の隆頼と11代の正頼は、大内氏から妻を娶って大内氏との絆を深めています。つまり、京文化を好んで取り入れた大内氏の影響を強く受けているのです。弥栄神社に伝わる古典芸能神事、鷺舞(さざまい)も、もとは京都の八坂神社祇園会に伝えられたもの。京都から山口へ、山口から津和野へと伝えられました。

 

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