「美しき城」 vol.55

払田柵の全貌:城郭キュレーター 萩原さちこ

2017.02.20

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謎めいた古代城柵

払田柵は、今から1200年ほど前、平安時代のはじめにつくられた古代城柵です。「城柵(柵)」とは、律令国家が東北地方を統治するために置いた政治・軍事拠点のこと。払田柵は9世紀初頭に創建され、10世紀後半まで存続したと考えられています。規模や威容は多賀城や秋田城に匹敵しますが、当時の名称も明らかではなく、謎めいた遺跡です。

秋田県南東部にあり、横手盆地北部の沖積地に浮島状に並ぶ、標高65メートルの真山と標高54メートルの長森の低い丘陵を中心とした低地に位置します。北の矢島川(烏川)と南の丸子川、2つの河川に挟まれる立地です。政庁に立つと、南には標高2,237メートルの鳥海山をはじめとする山形県境の山々がのぞめ、東には岩手県境を介して連なる奥羽山脈が迫ります。 

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2つの丘陵を取り囲む広大な敷地

払田柵は、外郭と外柵から構成されます。外郭は、長森丘陵とその北側の低地が範囲。東西765メートル、南北320メートル、面積約163,000平方メートルです。外柵は外郭を除く、真山丘陵と長森丘陵を囲む範囲です。東西1,370メートル、南北780メートル、面積は約875,000平方メートルに及びます。それぞれ、東西南北4か所に門がありました。

柵木塀が外柵に立て並べられていたことから、「柵」と呼ばれます。柵木は30センチ角の秋田杉で、地上高は3.6メートルだったことが判明しています。柵木塀には東西南北の四方に八脚門がつきます。南門(外柵南門)は、ほかの律令国家施設と同じように表門と見なされます。

外郭の中央部には、政庁が存在しました。行政と軍事を司る正殿や脇殿などの建物が一定の配置で建造されていました。外郭南門の両脇には、威厳を誇示するかのように石塁が積まれていたことがわかっています。

 

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