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尾上菊之丞日記~よきことをきく~

2024.5.4

新橋の「東をどり」と先斗町の「鴨川をどり」。尾上菊之丞が語るふたつの違いとは

©先斗町歌舞会

こんにちは。尾上菊之丞です。年明けから少しの間、昨年末から忙しい日々で疲れた心身をリフレッシュすることができましたが、それも束の間、3月の後半からは先斗町の「鴨川をどり」の稽古が始まり、5月1日の開幕に向け、4月は20日間ほど京都に滞在する日々を過ごしておりました。

 

「鴨川をどり」は、例年通り一部が舞踊劇、二部が純舞踊という二部構成ですが、今年はNHKの大河ドラマ「光る君へ」にちなみ、『源氏物語』が題材となっています。

 

 

「東をどり」と「鴨川をどり」。東京と京都で100年以上続いた二つの踊りの会

 

 

今年の新橋「東(あずま)をどり」は5月24日から27日までの4日間、先斗町「鴨川をどり」は5月1日が初日、5月24日に千秋楽を迎えるということで、東をどりの初日と鴨川をどりの千秋楽とが同じ日に重なりました。

 

 

「東をどり」は今年が99回、来年で記念すべき100回を迎える予定です。1872(明治5)年に始まった「鴨川をどり」は今年で185回目と(一時期、春と秋の年2回公演を行っていました)、京都の五花街の中では最多の回数を誇ります。


鴨川をどりのサイト 鴨川をどりのサイト

先斗町・鴨川をどりの公式サイトより。華やかな雰囲気いっぱいです。©先斗町歌舞会


東をどり 東をどり

こちらは今年の第99回 東をどりのビジュアル。粋な芸者衆の表情にフォーカスされていて、色気を感じます。©東京新橋組合




東京・新橋と京都・先斗町。同じ「尾上流」でも、微妙な違いが

 

 

新橋の「東をどり」と先斗町の「鴨川をどり」。同じ尾上流の踊りでも、新橋と先斗町とでは微妙に異なるところもあります。(※新橋は花柳流、西川流、尾上流の3流派、先斗町は尾上流の1流派)

 

 

お稽古の内容は同じで、振りや所作に違いはないのですが、雰囲気というか空気感が、東と西ではやはり違うのです。違うと言えば東西で呼び方も異なります。新橋は「芸者・半玉(はんぎょく)」、先斗町は「芸妓(げいこ)・舞妓(まいこ)」と言います。それぞれが「芸者であること」「芸妓であること」に誇りを持っていますから、私自身も新橋で「芸妓」、先斗町で「芸者」とうっかり言ってしまわないよう気をつけています。

 

踊りを披露するお座敷も新橋ですと料亭、先斗町の場合はお茶屋さんという場合が多くなります。お座敷の広さも様々で、この「踊る空間」というのが、微妙な違いを生みだすのかもしれませんね。

 

では、どう違うのか。それを言葉にするのはとても難しいのですが、あえて言うならば、気質の違い、水の違いとでも言いましょうか。新橋は江戸前な雰囲気、先斗町は上方特有の柔らかさ。といっても個々の魅力は様々ですが……。そもそも、街の空気も、水も、お料理も、着物の好みも着付けも、東と西とでは何もかも違うわけですから、踊りだって違いがあって当然だと思います。もちろん、新橋と先斗町は同じ「尾上流」ですから共通言語もたくさんあり、芸に精進するという気構えは、どちらも同じです。


東をどり 東をどり

私が振り付けた舞踊「四君子」。舞台に花が咲いたような華やぎと新橋芸者のキリっとした粋があります。


鴨川をどりの舞妓 鴨川をどりの舞妓

先斗町の舞妓さんたちが舞台に立つと、舞台が明るくなるようです。京都ならではの美しさ。




新橋の芸者衆と先斗町の芸妓衆が、ひとつの舞台で競演

 

京都では、五つある花街の芸舞妓が一つの舞台で競演する「五花街合同公演」が平成6年から催されています。以前は他の街と同じ舞台に立つということはほとんどありませんでした。それ以上に、東京と京都の花街が競演することはなかなかありません。

 

そうしたなか、新橋の芸者衆と先斗町の芸妓衆がひとつの演目で競演するという特別な催しがありました。2019年に開催された「古典芸能を未来へ」という公演です。NHKが企画制作するこの公演は、家の藝が脈々と受け継がれていく古典芸能の世界独特の営みにフォーカスした公演で、その第一回に取り上げられたのが尾上流でした。

 

尾上流は1948年(昭和23年)に六代目尾上菊五郎が創流し、私の祖父、父と代々の菊之丞が家元を継承してきました。日本舞踊の流儀としては70年ほどですが、尾上家の藝は江戸時代、特に三代目尾上菊五郎の時代から流儀立ち上げの構想があった聞いていますから、200年以上受け継がれたものを今我々が継承しています。


2019年「古典芸能を未来へ」 2019年「古典芸能を未来へ」

2019年「古典芸能を未来へ」は、新橋の芸者衆と先斗町の芸妓衆、そして父・墨雪が共演した貴重な舞台。



近年はありがたいことに新世代も成長し、当代尾上菊五郎宗家を筆頭に、尾上菊之助さん、当時はまだ襲名前でしたが、尾上丑之助さんと尾上眞秀さんの三世代。私の方も父・尾上墨雪、私、娘の羽鳥以知子と三世代。更に尾上右近さんや姉の尾上紫、初代菊之丞の高弟など正に尾上家総出演の公演でした。

 

その公演で上演した長唄「雨の四季」で新橋尾上流の芸者と先斗町の芸妓、そして墨雪が共演しました。東西の芸者芸妓が競演することも稀ですが、更に父が一緒に舞台に立つというのもとても珍しいことでした。初めのうちは新橋連中と先斗町連中別々に稽古をして、公演間近になっていよいよ合同稽古となります。

 

そこにはいつもと違う緊張感がありました。やはりそれぞれの街を代表して出演していますので、背負うものがあるというか、協調と競い合いの調和というかとても充実した時間でした。10名ほどの群舞ですが、息を合わせながらもそれぞれの雰囲気の違いが出ていてとても良かったと思います。



プロの舞踊家の目から見ても叶わないと思わせる踊り手が存在

 

 

芸者・芸妓の主戦場は劇場の舞台ではなく、日々のお座敷です。お酒をいただいた上で踊ることもあれば、お遊びの延長で踊ることも少なくありません。そんなこともあるせいか、彼女たちは「私たちは踊りのプロではありません」と控えめに言いますが、そんなことはありません。我々プロを凌ぐような、素晴らしい踊り手が存在するのです。

 

なんといっても、彼女たちは本物なのです。芸だけではなく、立ち居振る舞いやお客様との接し方、その1つ1つが本物の芸者であり芸妓なのです。芸者の役を演じたり、芸妓らしい振り付けをしたりする私にとってはその本物の芸を見て吸収することはたくさんあるのです。不思議なもので、どんなに踊りの名手でも、芸者・芸妓らしく踊ることはとても難しいことなんです。

 

彼女たちの雰囲気、らしさを学ぶために、お座敷へ足を運ぶ舞踊家や俳優もいるくらいです。また、若手の舞踊家や俳優に色々と教えてくれたり、時には叱ってくれたりするお姉さん方もいます。大きいお姉さんたちは私たちが生まれる前からこの道に入り、私たちが憧れる名優や名手の芸を見ているわけですから、恐ろしい「眼」をお持ちです。





今年の「古典芸能を未来へ」は、神田松鯉師、神田伯山師の共演
そこに市川染五郎さんらと出演します

 

 

さきほど少しお話しした「古典芸能を未来へ」は、今年も明治座で開催されます。「至高の芸と継承者」というテーマのもと、江戸の庶民に愛されてきた講談を中心に、歌舞伎舞踊「浦島」と、父・墨雪が創作した舞踊「平家物語 与一の段」が上演されます。出演は「いま最もチケットが取れない」といわれる六代目・神田伯山師と、その師匠である人間国宝の三代目・神田松鯉師。「浦島」は板東巳之助さんが、「平家物語 与一の段」は私の他、市川染五郎さん、藤間紫さんで勤めます。どんな舞台になるか、今から楽しみです。


写真協力:東京新橋組合 第98回東をどり、先斗町歌舞会





尾上菊之丞 Kikunojo Onoe

 

1976年3月、日本舞踊尾上流三代家元・二代目尾上菊之丞(現墨雪)の長男として生まれる。2歳から父に師事し、1981年(5歳)国立劇場にて「松の緑」で初舞台。1990年(14歳)に尾上青楓の名を許される。2011年8月(34歳)、尾上流四代家元を継承すると同時に、三代目尾上菊之丞を襲名。流儀の舞踊会である「尾上会」「菊寿会」を主宰するとともに、「逸青会」(狂言師茂山逸平氏との二人会)や自身のリサイタルを主宰し、古典はもとより新作創りにも力を注ぎ、様々な作品を発表し続けている。また日本を代表する和太鼓奏者、林英哲氏をはじめとして様々なジャンルのアーティストとのコラボレーションにも積極的に挑戦している。

 

「菊之丞FAN CLUB」へのお問合せは、尾上流公式サイトをご覧ください。










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