「菊之丞日記~良きことを聞く~」の今回は、8月18日から25日にかけて、渋谷のセルリアンタワー能楽堂で開催された「逸青会」の公演レポートと、そのリハーサルの様子をお届けします。
豪華ゲストによる過去作品の再演。15周年ならではの新たな試み
「逸青会」は尾上菊之丞さんと茂山逸平さんが、日本舞踊と狂言とがコラボレーションをすることで生じる新たな可能性を目指して始めた二人会です。
15周年を迎える今年は、ほぼ1週間の連続公演を開催し、毎回恒例の新作披露に加え、これまで積み重ねてきた逸青会の作品の中から、選りすぐりの作品をゲストが再演するという、15周年記念ならではの新たな趣向も織り交ぜての公演となりました。
お二人の父である尾上墨雪さん、茂山七五三さんという大御所はもとより、 松本幸四郎さんをはじめ、尾上松也さん、中村壱太郎さん、尾上右近さん、中村鷹之資さん、中村莟玉さんという、歌舞伎界の錚々たる面々に加え、能楽界からは茂山千五郎さん、谷本健吾さん、坂口貴信さんなど多くの豪華ゲストが参加、さらに、菊之丞さんのお子さんの以知子さんと嘉人くん、逸平さんのお子さんの慶和くんも出演するという、15周年記念公演にふさわしい華やかな出演者陣となりました。
「橋弁慶」の牛若丸に、息子の嘉人くんが登場
リハーサルにお伺いしたのは8月17日、幕開け前日でした。
舞台では、24日と25日に上演が予定されている「橋弁慶」の稽古が行われていました。弁慶は菊之丞さん、そして牛若丸は息子の嘉人が務めます。伺った際は嘉人くんが、本番と同じ衣裳をつけての、最終稽古の真っ最中でした。
謡曲「橋弁慶」を題材にした長唄の「橋弁慶」は、一般的に伝わっている牛若丸と弁慶の物語とは逆で、辻斬りを行っている牛若丸を退治しようとした弁慶が、最後には牛若丸に負けて降参し、主従の誓いを結ぶという筋立てです。
「橋弁慶」の本番舞台の様子。弁慶を打ち負かす牛若丸の眼差しが、なんとも凛々しい。
橋懸りから、嘉人くんが登場してきました。被衣(かつぎ)を被っています。舞台で大長刀を手に待ち構えるお父さんの菊之丞さん。牛若丸と弁慶の立ち廻りが始まります。大長刀をひらりひらりとかわす動きには、可愛さの中にすでに優美さが感じられます。高らかに鳴る足拍子も様になっています。
通し稽古は滞りなく進みましたが、牛若丸が弁慶を見事打ち伏せ、本舞台から橋掛りへ戻る段になり、菊之丞さんから声がかかりました。「その方向じゃないよ。もっと真ん中へ向かって」シテ柱の近くに向かって歩を進める嘉人くんに、もっと橋懸りの中央付近に向けて歩いた方がよいとの指示です。
無理もありません。これまで、自宅のお稽古場で2か月近くお稽古を続けてきたものの、本番の舞台であるセルリアンタワー能楽堂では今日が始めて。歩く方向は実際の舞台に出てみないと分からないのも致し方ないことかもしれません。その一方で、ほんのわずかな方向の違いを、きちんと指摘する菊之丞さんの、芸に対する姿勢の厳しさを垣間見た思いでした。
「獅子頭が結構重いので、それを持ちながら踊るのがなかなか大変です」と、以知子さん。本番では、そんな素振りも見せず優雅に舞った。
お稽古後の嘉人くんにお話を聞く機会がありました。その場にはお姉さんの以知子さんも同席。以知子さんは、菊之丞さんと共演で、「連獅子」を舞う予定です。「橋弁慶」と「連獅子」は、二人とも初役です。
「舞台に出る前は緊張しているけど、舞台で緊張してると振りを思い出せなくなるので、緊張しないようにしてます。能舞台は、ドンと踏むといい音がするだけでなく、振動もすごいので、それが気持ちいい」と、はきはき答える嘉人くん。とても7歳とは思えません。
以知子さんは中学1年生、学校のクラブ活動はテニスです。
「普段は週に2~3回のお稽古ですが、公演が近づくと毎日なので、この夏休みもクラブ活動にはなかなか参加できません。でも、踊りの稽古は小さい時から続けているので、自分のなかでも大切なものとして気持ちが入っています。テニスは楽しみかもしれません」
お稽古始めは以知子さんも嘉人くんも、なんと2歳から。言葉を覚える前からお稽古が始まるそうです。
「レゴを組み立てて、プログラミングで動かすんだ」
7歳の男の子らしく幼く無邪気に笑う嘉人くんを、優しく見つめる以知子さん。なんとも微笑ましい姉弟ですが、二人からは舞踊家として歩んでいく気構えも十分に伝わってきました。
出番間近。緊張する嘉人くんの背中に、優しく手を添える菊之丞さん。揚幕が上り、「橋弁慶」の本番が始まる。
お稽古の合間を縫って姉弟にインタビュー。稽古の時の真剣な表情と打って変わり、屈託のない笑顔がこぼれる。写真はインタビュー後にスマートフォンで撮影させていただいたもの。
「くだらないことを、くだらなくならないようにやる」
稽古日には、菊之丞さんと逸平さんにお話を伺うこともできました。
「いつものことですが、新作の『御札』の完成形はまだ完全には見えていません。これからまだまだ、練り込んでいかなければ。一方で、ゲストの方々に演じていただく旧作の方は、ほぼ仕上がっています。旧作の稽古を終えると一区切りしたような気になってしまい、なかなか自分たちの方にまで手がまわらなくて……」
と菊之丞さん。逸平さんもすかさず、
「ほかの方が演じている旧作を見ていると、改めていい作品だなぁと、自画自賛しています。セリフ、衣装、振りはすべて同じなのに演じ手が違うと、またガラリと雰囲気が違う作品になり、それが面白いですね。そして何よりも稽古場に雰囲気が楽しいです。我々だけでなく、誰もが楽しんでくれて、それを見ているだけでも幸せです」
15年続いた秘訣を尋ねると、菊之丞さんが答えてくれました。
「はずしてはいけない部分ははずさない。そこに気を付けて、あとは気負うことなく、他愛もないことを大真面目にやってきた、ということに尽きるかもしれませんね。10周年で演じた『鏡の松』で、一区切りついたような気がし、そこから先どうしようかと、少し迷っていたとき、逸平さんが『くだらないことを、くだらなくならないようにやりましょう』と言ってくれたので、それで踏ん切りがついたような気がします。そして作曲の藤舎貴生さんをはじめ、長唄や囃子方のメンバーが15年間ほぼ同じ、というのもとても心強く、それも長続きしている要素のひとつだと思います」
「くだらないことを、くだらなくならないようにやる」。それはじつは、困難なことに違いありません。でも、その困難なことを気負わずに飄飄と続けていることが、逸青会の最大の魅力かもしれません。
「いたりきたり」で、源氏の亡者を楽しそうに演じる松本幸四郎さん
19日の夜の部は、尾上菊之丞さんと尾上京さんによる舞踊「吉原雀」、松本幸四郎さんがゲスト出演する逸青会作品の再演「いたりきたり」、そして尾上菊之丞さんと茂山逸平さんが登場する新作の「御礼」という公演プログラムです。
清元「吉原雀」では、廓に鳥を売りに来た男女によって、廓の風俗や遊女の様子が描かれます。尾上菊之丞さんと尾上京さんの息のあった踊りは、華やかななかにもしっとりとした風情と落ち着きが感じられ、会場には凛とした空気が漂っています。
吉原に鳥を売りに来た夫婦として、息のあった踊りを見せる尾上菊之丞さんと尾上京さん。
この空気が一転、爆笑に次ぐ爆笑で、会場全体が笑いの渦に包まれたのが、「いたりきたり」と新作の「御札」でした。
「いたりきたり」は旅僧、そして平家と源氏の亡者が登場。平家と源氏の亡者は旅僧に弔いを頼みますが、それぞれ思うことがあり、揚げ句の果てには旅僧の前で斬り合いを始める始末で、漫才のような二人の掛け合いや仕草の面白さが途方もなくおかしく、笑いが絶えません。
平家の亡者を演じるのは松本幸四郎さん。立ち廻りの間には、源氏の亡者を演じる茂山宗彦さんから、アドリブかもしれませんが「この長谷川平蔵め」と、松本幸四郎さんが昨今演じて話題を集めている「鬼平犯科帳」をもじったセリフが飛び出すなど、もう抱腹絶倒です。
かと思うと、舞台に白幕が広げられ、それをスクリーンとして、別撮りしてあった、尾上右近さん演じる義経や那須与一が登場する、これまた抱腹絶倒のムービー映像が流れるなど、奇想天外の展開がくり広げられていきます。
平家と源氏の亡者が終始コミカルなセリフ回しと動きをするのに対し、旅僧の坂口貴信さんは絶えず真面目に、能のシテ方独特の重々しい口調で対応。その対比もまたいっそう大きな笑いを呼んでいました。そして、松本幸四郎さんが楽しそうに、いきいきと平家の亡者を演じていたのがとても印象的でした。
源氏の亡者を演じる松本幸四郎さん。時にコミカルに、時に歌舞伎俳優ならではの美しい立ち廻りで、舞台を圧倒した。
ただひとり旅僧だけが、常に生真面目なところが、また笑いを誘う。
能舞台ならではの空間を活用した、新作「御礼」
新作の「御札」は、結婚を前に悩める男・太郎が、和尚から心障りを取り除く「お札」を貰い、それを家に貼って七日間のお籠りをしているところに、結婚相手の花子が訪ねてくるものの、「お札」のために家に入ることができない、というストーリーです。
合計7日間の公演の前半3日間は「前編」として菊之丞さんが花子を逸平さんが太郎を演じ、後半4日間は役を入れ替えるという趣向です。8月19日の公演は「前編」でした。
「お札」が貼られるのは、シテ柱、目付柱、脇柱の3本。つまり本舞台が家の中になります。和尚(菊之丞さんの二役)から貰った御札を貼って、さあ安心とばかりに太郎が家で寝ていると……。
最初に訪れるのは、なんと宅急便屋さんに扮した松本幸四郎さん。家に入ることはできませんが、橋懸りでの幸四郎さんの、ほぼ全編アドリブの愉快なセリフで会場は爆笑。
そしていよいよ花子がやってきます。花子も当然入ることはできませんが、ここで面白いのは、寝ている間に、太郎の「裏」があたかも幽体離脱したかのように、太郎の「表」から離れ、家野の外に出てしまう、という筋立てが施されているということ。「裏」の太郎となっている逸平さんもキザハシから外に出てウロウロしています。(「表」の太郎は、逸平さんんと同じ衣裳を纏った吹替で、逸平さんの長男・慶和くんが舞台の中央で熟睡中)
二人とも舞台の内には入ることができず、端ギリギリのところをつたい歩きし、目付柱を抱えるようにして白洲の方ヘ身を乗り出したりしています。その動きが滑稽で、そこに一人の人間の裏面と表面が同時に存在しているという奇妙な状況と、「裏」の太郎が思わず口に出してしまう「もっと遊んでいたい」というホンネのセリフが加わり、なんとも言えない可笑しみが溢れます。
作劇は、落語作家のくまざわあかねさん。能舞台という特殊な演劇空間の構造をうまく活用した、斬新にして可笑しく、それでいながら古典芸能のエッセンスも大切にした、逸青会の15周年に相応しい作品となりました。
お札の効能のため。家の中に入ることができず、目付柱の周囲をウロウロ歩く二人。その滑稽さが可笑しい。
公演終了後は恒例の撮影タイム。伝統芸能の舞台にはあまり見られない、このフランクさも「逸青会」の魅力のひとつ。
狂言と日本舞踊。それぞれがお互いにリスペクトしながらも、慮り過ぎないところが長続きした秘訣のひとつと、かつて菊之丞さんは語っていた。
8月18日の初日から25日の千秋楽まで、中日の水曜日を除き7日間の公演も無事終了。3月には京都公演も予定されているそうです。この舞台が、京都という土地でどんな受け止められ方をするのか、それがまた楽しみです。
千秋楽の舞台も無事終え、尾上墨雪さんと茂山七五三さんを中心に、出演者全員で記念撮影。
尾上菊之丞 Kikunojo Onoe
■尾上流四代家元 三代目尾上菊之丞 (おのえ きくのじょう)
1976年生まれ。2歳から父に師事し5歳で初舞台、2011年尾上流四代家元を継承し、三代目尾上菊之丞を襲名。自身のリサイタル「尾上菊之丞の会」、狂言師茂山逸平氏との「逸青会」を主催。新作の創作にも力を注ぎ、様々な作品を発表。新作歌舞伎や花街舞踊、宝塚歌劇団、OSK日本歌劇団やアイススケート「氷艶」「Luxe」など様々なジャンルの演出・振付を手掛ける。
京都芸術大学非常勤講師/公益社団法人日本舞踊協会理事
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Text by Masao Sakurai(Office Clover)
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