家業を継ぐことを決意し、フレグランスの本場、フランス・グラースへと赴いた千夏子。学校を卒業し、スタージュ(研修)先の香料会社にいた、数少ない英語を解する彼、ジョフレと出会う。ジョフレはカンヌで生まれ、グラースで育った人。彼の祖母もグラースで栽培されるジャスミンやミモザの畑で働いていた。フレグランスの原料となるかぐわしい花々やハーブは、日常生活にも密接な関係にあった、とジョフレが説明する。
「たとえば子どもの頃、私がケガをしたときには、祖母は傷口にラベンダーをつけてくれました。治りが早くなるといわれているんです。風邪をひいたときは、ローズマリーとティムをブレンドして、沸かしたお湯を張った洗面器に浮かべ、タオルをかぶってその蒸気を吸うとノドや胸がすっきりします。伝統的なアロマセラピーが日常にありました」。南仏はイタリアに近く、気候も温暖で、人も同様に温かい、とジョフレはいつも話す。


ミモザの花が降るように咲く、南仏・グラースの春の風景。
ジョフレの経歴はユニークだ。会計を学ぶ学校を卒業後、プロテニスプレーヤーになる。フランス国内をはじめ、ヨーロッパ各地を転戦する日々を送っていた。プロテニスプレーヤーの何が大変かといえば、転戦費用。自力でまかなうのは並大抵のことではなかったという。その後、グラースの香料会社で働くこと13年、千夏子と出会い、結婚。日本へ渡ったのは2013年のことだった。翌2014年、千夏子のみでインセンス創りをはじめ、ジョフレが加わったのが2016年。ここから本格的に東京香堂をスタートさせる。
チューニングするように創り上げる
ふたりのインセンス
東京香堂では、まず香りの方向性やイメージをふたりで決めていく。香りの構想などを千夏子がジョフレに投げかけ、ジョフレは千夏子にアドバイスしながら進む。それはまるでチューニングをするような感覚だという。実際のインセンス創りはジョフレの役割だ。千夏子の生家は線香を扱う会社だが、製造は行っていなかったため、最初はまったくの手探り状態。材料の配合など、独学で学んだ。「ベースは木の粉ですが、木の粉といってもさまざま。お水のよしあしも影響すると感じています。立ち上げ当初は、サンプル作成用の小さな機械一台のみで、試行錯誤しながら創り上げていきました」。


調香を担当するのは千夏子。インスピレーションを香りへと移していく作業を根気強く続ける。


線香の原材料となる木の粉。さまざまな個性があり、それを見極めていく。


千夏子が子どもの頃を過ごした群馬の山中に、ふたりのアトリエを造った。静けさが心地よく、ジョフレはここが大好きだという。
西洋も東洋もひとつに
地球からいただく原料で美しいインセンスを創る
グラースでは、香水の奥深さに衝撃を受けた千夏子だったが、反面、インセンスのイメージが低いことにも胸を痛めた。「海外製の低価格のものが多く、なんとなくダーティなイメージがある、とジョフレもいいます。日本ではまた少し違いますが、雑貨のような扱いか、仏壇のイメージがメインの世界です。私はお香の新たな価値をクリエーションしたいと思いました」。


今、東京香堂のインセンスはコラボレーションを含めると全部で約30種類を数える。パッケージや付属されているお香立て、カードなどにはアーティストを起用。彼らのアートワークとふたりが創作したインセンスが融合して、新たな世界観を生み出している。安っぽくダーティなイメージはない。香りのある生活を取り入れたいと思わせるだけの、特別な価値がそこにはある。
もちろんふたりはインセンスの香りを生活の中で楽しんでいる。「朝、昼、晩と、香を焚きます。香りが時間の区切りをつけたり、気分まで変えてくれます」。季節が流れていく中で、香り方も、感じ方も変化するおもしろさ。さまざまに心に働きかけてくる香りを、それぞれの生活様式の中で気軽に楽しんでもらえたらうれしいと思う。


ジョフレが一番好きな香りというアークエンジェル。洗礼式に招待され、訪れた教会のステンドグラスから差しこむ光を見て着想した香り。ミルラやタイム、白檀の香りで表現した陽だまりの記憶。 ※Collaboration with彫金作家・秋濱克大、画家・大和田いずみ
最後に、千夏子の願う香りとは、を聞いた。「フランスで友人宅へ伺ったとき、リビングに香りの祭壇があったのです」。その家庭の故人が愛用していた香水瓶がいくつも飾られていた。「故人が愛用していた、使いかけの香水の数々です。その瓶を眺め、時には香りを聞き故人を偲び、香りから故人との思い出が、時を越えて鮮明に昨日のことのように思い出すのだと伺いました。香りと生活、時代毎の記憶と密接に結びついていることに感動したのです。私も人の心に寄り添う香りを地球から頂いた植物たちと共に、お香を通して、それが癒しとも祈りともなればと願っています。
これまで積極的に取材を受けてこなかったのは、彼らのインセンス自体がインビジブル(目に見えない)アートだという思いから。製品となったあとはインセンス自体がその香りで饒舌に語ってくれる。自分たちが前に出る必要はない、との考えからだった。しかし、自然とともに生き、そのリズムにあらがわないペースで香りを創っていきたいと願う東京香堂の、まさにアルチザンの精神に触れたなら、強く引き付けられずにはいられない。東京香堂のインセンスから放たれる、香りと情景と記憶が連鎖する時間に、今日も心をゆだねてみる。
(敬称略)


東京香堂 TOKYO KODO
東京で寺院専門のお線香販売会社 を営む家の3代目として生を受けた ペレス千夏子と、元プロテニスプレーヤーで、香料会社で働いていたペレス ジョフレ、ふたりのユニットであり、日本と西洋の伝統技術を融合させたインテリア・アロマ・インセンス・ブランド。フレグランスの本場 フランス・グラースで原料を調達。自然との共存をコンセプトに、できる限り上質な天然香料を用いたインセンス創りにこだわっている。
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