日々自然に身をゆだね
植物のペースでくらす
塩津植物研究所の朝は掃除から始まる。6時頃に起床すると、まずは自宅を掃除して身支度を済ませ、そのままの流れで仕事に入る。「植物にとって最も大事なのは風通しがいいことで、それは人も同じ。掃除は好きだし、毎朝欠かしませんね」。そう語るのは塩津久実子だ。
どこまでが家事で、どこからが仕事といった区分はない。植物とともにくらすことを選んだ2人にとって、植物のペースで生きるのは自然なことだからだ。
事務や接客、植物の手入れなどその日の仕事を進めてゆき、10時に1度目の水やりをスタート。2万株すべてにたっぷりと鉢の底まで水を行き渡らせるため、1時間以上を要する。
2度目の水やりは15時だ。夏の炎天下ともなると、日差しで水が熱されてしまうのでは……という心配は無用。「何年も何年も毎日この時間に水をやっていると、植物が覚えるんです。ちゃんと適応してくれるので煮えませんよ」。塩津丈洋の答えは明快だ。
春から秋まで、日に2度それぞれ1時間の水やりは休業日でも欠かせない。
ビニールハウスの一角に設けた作業台が剪定道具の定位置。
秋には紅葉するイワシデの剪定作業。繊細かつスピーディなハサミ捌きの合間に丈洋は「僕、好きな木なんですよ」とポツリ。
種、苗、完成品から治療まで。
盆栽を総合的に扱う
盆栽づくりの流れを知るべく、ビニールハウスを順に案内してもらった。まずは株。種から発芽させて育てる実生苗(みしょうなえ)と、株の一部を挿床(さしどこ)に挿して発根させる挿し木(さしぎ)が常時5~10種ほど並び、いまはクロマツ、ナギ、クルミなどを生育している。
「毎年いろいろやってみて研究しています。1つだけ発芽したりすると、何がよかったのか検証しなければなりません。今のところ抜群に勝率が高いのは黒松ですね」。
片隅にある一群は入院中の鉢たち。全国から持ち込まれた、病気や発育不良の草木を治療して、日陰のやさしい環境で休ませている。葉のない木に目を留めると「このケヤキはもう大丈夫。すぐ芽が出ますよ」と、心強い言葉をかけてくれた。
ビニールハウスはそれぞれ異なる使い方をしている。順に見て回ることも可能。
次に訪れたのは鉢が並ぶハウス。
「わざとごちゃ混ぜに陳列しています(笑)」というだけあり、大小さまざまな鉢が混在する。アンティークに新作、島根産に愛知産、色とりどりの鉢が並ぶようすはまるで雑貨店のようだ。手に取って選べるうえ、価格は鉢の裏に直接記入してある明朗会計ぶりにも安心できる。
作家ものを中心に揃えた鉢は500円ほどから、数千円〜数万円のものまで揃う。どんな苗を植えるか相談しながら選んでも。
そして完成品の盆栽。ほんの5cmほどのミニチュアのようなセッカヒノキから、いわゆる盆栽らしいどっしりとした見事な枝ぶりの松まで、じっくり見ているだけでも盆栽の幅広さに驚嘆させられる。
「一般的に人気が高い紅葉や松ばかりではなく、あまり鑑賞価値が認知されていない木も扱っています。特別な木ではなく身近な植物を楽しんでもらいたいので、基本は日本の風土に合った日本の草木。500円の苗と500円の鉢でも十分ですよ」。
かつては山採りと呼ばれる自然の木も流通していたが、現在は環境の問題から多くの地域で禁止されている。最後列に鎮座する樹齢130年のも大作などはそうした経緯を有するのだが、詳しいことがわからない作品もある。
というのも、故人の遺族からの盆栽引き取り依頼が増えているためだ。「捨て方がわからない、捨てるに忍びない、というお声がほとんどです。でも中には見事な作品もありますから、そういう場合は金額を提示して買い取らせていただきます」。
最近は作者本人が終活として持ち込むこともある。まだ生きている木が第二の人生を歩む手伝いも、いまや塩津植物研究所の大切な仕事のひとつとなった。
コロナ禍以降は変則的だが、東京などでも年に1、2回は盆栽の展覧会を実施している。完成品は3000円から、数万円のものまでを取り揃える。
初心者には、まずは落葉樹を薦めている。「木として強く、四季が感じられて、葉が落ちるため剪定もしやすい」のがその理由だ。
失敗しないポイントは「小さすぎないものを選ぶこと」。鉢が小さいと根が少ない、つまり枯れやすい。ほとんどの初心者は乾燥で枯らしてしまうので、土の容量が大きく乾燥しにくい方が扱いやすいのだという。
とはいえ、向き不向きは人それぞれ。住む場所や鉢を置く場所によって温度も日当たりも異なるため一概にどれが簡単とは言えない。
「盆栽が初めての方にはお住いの環境からヒアリングして、適した植物を提案しています。長く楽しんでいただくには、ハイタッチな接客が不可欠。ですから営業日はなるべく他の用事を入れずに、いつでも時間を取れる状態でお客さまをお待ちしています」。
生き物を売ることへの真摯な姿勢はゆるぎがない。
2人が引き出した個性から
宝石を見つけるのはそのひと自身
さて、盆栽が面白いのはここからだ。
いかに草木の良さを知ったといっても、自然のまま育てたのでは鑑賞に値しない。人の手でつくるからこそ盆栽は楽しく、愛おしい。
「数年毎の定期的な植え替えは行いますが、
「植物の健康を維持するために 定期的な薬剤散布は行っています。土の配合も 樹種によって変えています」と久実子。
2人のテーマは「どうすれば人と植物が一緒に健康でいられるか」を考えることにある。
「いま世界中で環境問題が取り沙汰されていますが、自然破壊と言われても大きすぎて、正直ピンと来ないですよね。でも鉢の中の世界なら身近に感じられます。そこに造形、すなわちデザインの要素が加わったものが盆栽だと思っています」。
丈洋の論に続き、針金をかけた苗を見せながら「ほら、かわいいでしょ」と、久実子が話す。
「こうやって草木たちが持っている個性を出してあげるのが私たちの役目なんです。ある日誰かが2万分の1を見つけて持って帰る、その日のために。いつもらわれてもいいように」。
盆栽の真髄を丈洋が締めくくった。「石ころの中に宝石を見出すのはお客さま自身。正解はありません」。
「掌にあるようで果てしなく広がる。盆栽は人とかかわるためのツールでもあります」と2人。
ところで海外で働く夢は? そう久実子に尋ねると「あ、それはもういいです」と破顔一笑。
「私はたぶん“探求”がしたかったんですよ。たまたま英語がとっつきやすかっただけで。植物は終わりがないし、追いかけ続けてゆけますから」。
では植物以外の何かに目が向くこともあるのだろうか。問いの答えを丈洋が引き取る。
「そのテーマについてはよく2人で話すんです。そうなればお互い止めないし、応援しますよ。たとえば陶芸とか」。
「ま、そんな気配はないけどね(笑)」。
「今んとこね(笑)」。
笑い合う2人の間からは、お互いへの信頼と草木への一途な想いが溢れる。“草木の駆け込み寺”を目指し、塩津植物研究所は歩み続ける。
(敬称略)
塩津植物研究所
奈良県橿原市十市町993-1
0744-48-0845
営業時間/9:00~17:00
定休日/水曜・木曜
Text by Aki Fujita
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