洲本城の景色と登り石垣 :「美しき城」 vol.24 萩原さちこ

2016.07.11

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紀淡海峡を見下ろす絶景の城

瀬戸内海最大の島、淡路島。自然と文化が融合し、神々が宿る神秘の島としても知られます。古事記、日本書紀によれば「国生み神話」に伝わる世界最初の島とされ、訪れるだけで悠久の彼方へと誘われるような感覚に陥ります。淡路島の中部西から南東に位置する洲本市の東端、標高133メートルの三熊山に築かれたのが洲本城です。三熊山は瀬戸内海国立公園に属し、紀淡海峡(紀州と淡路島間の海峡)を一望できる景勝地。どこまでも青く美しい大阪湾をのぞむこの地は、今でこそ穏やかな時間が流れるだけ。しかし戦国時代から江戸時代にかけては、淡路の国の拠点となった城があったのです。

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水軍の将が城主を務めた特別な城

現在残る石垣が築かれたのは、戦国時代です。1581年(天正9)に豊臣秀吉が淡路を平定すると、翌年に秀吉配下の仙石秀久、その3年後には脇坂安治が入り、それまでの洲本城は大改修されました。

脇坂安治は秀吉のもとで九州攻めや小田原城攻めにこの城から出陣し、秀吉が明の征服を目指した文禄・慶長の役にも水軍の将として渡海しています。脇坂安治を筆頭に、洲本城の歴代城主は水軍の将です。現在でも、南側の馬屋からは紀淡海峡が見下ろせます。右は明治政府により堡塁砲台が築かれた由良、左は友ヶ島。この地に立てば、洲本城が水軍基地として機能していたと想像がつきます。

東の丸東面にある高く長い石垣は、海に備えたものなのでしょう。城としての軍事的側面に加え、水軍基地としての機能を連想させます。大手(正面)は南に向き、紀淡海峡や大阪湾の海上を睨み、いざとなれば海峡を通って諸国に討って出る構えだったことがわかります。虎口(出入り口)の堅固さも見事で、とくに中心地となる本丸周辺は厳重に守られています。

本丸に建てられた天守は、昭和3年に展望台として建てられたもの。天守台と小天守台があり、その間には櫓台がありますから、2つの建物が櫓でつながれていたとみられます。

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