2023年6月、東京の「セイコーハウス銀座ホール」で「坂東玉三郎衣裳展 四季・自然・生命─時の移ろいと自然美─」と題する衣裳展が開催された。展示されたのは、いずれも坂東玉三郎さん自身が、衣裳を制作する職人と対話を重ね、長い時間をかけて作り上げてきた、思い出と思い入れのある歌舞伎衣裳ばかり。この衣裳展は海を渡り、英国の「オックスフォード大学付属アシュモリアン美術館」で2023年11月から2025年11月まで約2年間にわたり開催され、英国でも大きな話題を呼んだ。女方の第一人者である玉三郎さんが、自ら歌舞伎衣裳制作に携わり、その美しさを国内のみならず、海外へも広めている。「PREMIUM JAPAN AWARD 2026」の受賞は、その熱い思いに対する敬意の表れである。
2026年8月歌舞伎座「八月納涼歌舞伎」。夏の一夜を夢のような刹那へと誘った玉三郎さんの舞
2026年8月の歌舞伎座「八月納涼歌舞伎」の第三部は、坂東玉三郎さんによる地唄舞『雪』と『残月』だった。『雪』の舞台は後方に置かれた金屏風と、舞台袖両脇の燭台のみ。『残月』にいたっては朧月が天空に浮かぶだけ。極限まで削ぎ落とされた舞台空間で、玉三郎さんが舞う。舞うといっても、身体が移動する範囲は畳一畳ほど。にもかかわらず、ほんのわずかな首の傾きや目線の方向、微かな裾さばきの動きだけで、切ない恋の記憶が呼び起こされるような、溢れんばかりの情感が漂ってくる。
舞台は無限の広がりを見せつつ、その一方でしめやかに舞う玉三郎さんの神々しいまでの姿に空間のすべてが集約され、それが凛とした気配となって新たに空間へと放射されていく。衣裳はいずれも白。『雪』はちりめんで、『残月』は綸子だ。玉三郎さんのしなやかな動きに沿い、やはりしなやかに身体により沿う純白の衣裳が、夏の一夜を夢のような刹那へ誘う。
会場を訪れた誰もが目を見張った、豪華絢爛な歌舞伎衣裳
3年前、「セイコーハウス銀座ホール」での「坂東玉三郎衣裳展 四季・自然・生命─時の移ろいと自然美─」の会場に足を運んだ人は、間近で見る玉三郎さんの衣裳の豪華さと美しさ、そして斬新な意匠に誰もが目を見張った。
たとえば『助六所縁江戸桜』に登場する三浦屋揚巻が重ね着している裲襠(うちかけ)の1枚目。背中には、金糸の注連縄、鏡餅など「人日の節句(1月7日)」の飾り物が手刺繍で施され、なんと作り物の伊勢海老までも。斬新というかシュールというべきか、見る人の度肝を抜く意匠だ。それを脱ぐと、今度は「上巳の節句(3月3日)」の趣向が背中一杯に刺繍されている。そこでは枝垂れ桜の下に幔幕が張り巡らされ、火炎太鼓を打ち鳴らしながら花見の宴が催されている。
女方の最上位とされる「立女形」によって演じられる揚巻が、舞台に登場する際に重ね着している裲襠(うちかけ)の1枚目。金糸の注連縄、門松、鏡餅が手刺繍で施され、真ん中には大きな伊勢海老が鎮座する。(2001年6月歌舞伎座)©Takashi Kashihara
一枚目を脱ぐと、「上巳の節句」をモチーフとした、豪華絢爛たる意匠が現れる。満開の枝垂れ桜の下、幔幕が張り巡らされ、火炎太鼓を打ち鳴らしながら花見の宴が盛大に催されている。(2001年6月歌舞伎座)©Takashi Kashihara
近代の歌舞伎衣裳に取り入れた琳派の意匠
「背中に伊勢海老を背負うなんて、まさに、なんでもありの歌舞伎衣裳そのものですね。でも、この伊勢海老は、楽屋で仕度が整ってから背中に付けていただくので、私からは見えないのです。改めて見ると、なんとも凄いものを背負っているのだな、と驚きます」
また、『廓文章』の扇谷夕霧の衣裳は、枝垂れ柳に鷺が舞い、裾回りには流水が描かれている。
「これは琳派の影響を受けています。日本の美意識に脈々と息づいているのが琳派です。ここ百年ほどの歌舞伎衣裳の流れは、明治の先輩俳優方が伝統の琳派模様に、近代絵画の画風を取り入れたものです。六代目の歌右衛門さんや六代目の菊五郎さんは横山大観さんや東山魁夷さんに依頼して衣裳を考案してもらっていました」
「私は先輩方が作り上げてきたこうした近代の歌舞伎衣裳に、私なりの構想で琳派模様を取り入れています。自分で作り始めたのは30代の半ばくらいですが、唐織や刺繍を施した衣裳作りに多く関わったのは40代からです。先輩方が着ていらっしゃった衣裳は私には小さいので、私の寸法にしなければなりませんでした。それで少し大きめに染め直していただいたりすると、今度は他の方には大きすぎたりもします。それで、自分自身の衣裳を作るしかなかったのです。必要に迫られての衣裳作りでした」
伝統芸能の歌舞伎には予め決められた「型」があり、衣裳もこの役はこの衣裳という具合に、決まり事がある。長年受け継がれてきたこうした決まり事を守りながら、そこに玉三郎さんの美意識を時には大胆に反映させ、新たな歌舞伎衣装が生まれた。
『廓文章』で扇谷夕霧が纏う衣裳。凍てつく冬の夜、枝垂れ柳に雪が舞うなか鷺が水辺で佇む。冬の夜の寂しさを表す一方で、夕霧太夫の華やかさと儚さをも表現。演目の内容を玉三郎さんが独自に解釈し、琳派調に描いた。(2001年10月歌舞伎座)©Takashi Kashihara
歌舞伎は肉体表現そのもの。そして衣裳は皮膚
『雪』と『残月』の衣裳に関して、玉三郎さんは事前の記者会見で「衣裳はどちらの演目も白に落ち着きました」と語っている。仄暗い照明に溶け込みながらも、輪郭が際立つ「白」。幾重もの思慮を重ねての「白」の選択だったのだろう。玉三郎さんにとっての衣裳とは……。
「歌舞伎は肉体表現そのもので、衣裳までも含んだ肉体表現だと思います。いうなれば衣裳は皮膚にもなるのです。助六の揚巻でも、お客様が『この人は一日中この衣裳を着ている』と思ってくださるように着ることが大切です。軽い衣裳のように見えてしまったら、舞台は途端に貧弱なものになります。また、私は先輩の女形から『女形は裾の角まで神経を行き届かせなさい』と教育されてきました。それぐらい、衣裳の隅々にまで気を使わなければなりません。ただ、一度舞台に立つと、裾の様子は自分からは見えません。どのように裾を引いているかは、自分で分かっていなければなりません。そのためには、裾にどれくらい芯を入れればよいかを自分で把握しておく必要があるのです」
衣裳を「軸」で着る
それにしても、たとえば三浦屋揚巻の裲襠。ふんだんに刺繍が施された分厚い裲襠を重ね着し、おまけに背中に海老まで背負って重くないのだろうか?
「おそらく40㎏くらいあると思います。でも舞台に立つと不思議に重さを感じません。軸というか体の全体で着ている感覚なので、重さを感じないのです。でも、衣裳を風呂敷で包んで持つとずっしりと重いのです。ああ、こんな重いもの着ていたんだと思います。『鷺娘』でも、白無垢から娘、そして鷺の精と3枚の衣裳を重ね着しています。以前量ったら17㎏もあり、私自身もびっくりしました」
『雪』や『残月』で玉三郎さんが見せた、しなやかで揺蕩(たゆたう)ように舞いながらも、そこに漂う凛とした気品。そして『助六所縁江戸桜』や『鷺娘』での衣裳の重さを微塵も感じさせない動き。それは衣裳を「軸で着ている」感覚があるからこそ、表現できる次元に他ならない。
何度も職人のもとに足を運び、ようやく完成する衣裳
衣裳展を開催するにいたったきっかけのひとつは、玉三郎さんが抱き続けている危機感だった。
「歌舞伎の衣装はある意味では消耗品でもありますので、きちんと保存されることは稀なことです。そのあたりが、能装束とは異なるところです。私が何かを演じようとしても、その役の為の良い衣裳がない、という場合が続き、それならば自分で作るしかないと決心したのが、そもそもの始まりでした」
衣裳を作るにあたり、玉三郎さんはしばしば自ら職人のところに出向く。
「『雪』の衣裳は、京丹後のちりめん屋さんに足を運んで、どの色でどの重さのちりめんかを相談して幾度か試し織りをし、仕立屋さんとはどれくらい袖口や裾に綿を入れるかを話し合い、ようやくできあがってきたものです。」
歌舞伎衣裳の素晴らしさと、それを伝えることの大切さ
「先輩の俳優さん方が錚々たる画家にお願いすることができたのは、先輩方には絵を見る力がありましたし、画家の方々も依頼されているお芝居の内容を理解する力量と技があったからです。画家だけでなく無名の職人さんたちもそうでした。阿吽の呼吸で衣裳を作ることができたのです。ところが、今ではその双方の関係性が希薄になりつつあります。さらに、職人さんが少なくなってしまっているという問題もあります。地方の衣裳の倉庫や美術館には、昔の座元のところに有った、素晴らしい衣裳が残されていたりもしますが、現在は職人さん達が少ないので、それを手本として再現することが難しくなっています。衣裳だけではありません。歌舞伎の舞台には、さまざまな小道具が登場しますが、そうした小道具を作る職人さんも年々減ってきています。このように職人さんがどんどん減っている状況は、本当に危機的な問題だと思います」
「ですので、歌舞伎俳優も勉強しなければなりません。画家や職人さんまかせではなく、自分がこんな衣裳を着たいという思いを伝え、作り手と会話を重ねることで、はじめて良い衣裳ができてきます。私も画家や職人さんにきちんとした意思をお伝えできるよう、さまざまなことを学んできました。日本の美術だけでなく西洋の絵画や音楽なども吸収し、そこから得たものを衣裳作りに活かしてきました。長い時間をかけて作ったものはやはり素晴らしく、お客様が見れば、出来具合と、その創作過程を理解して楽しんで頂けます。それが役者として嬉しく、有難いたいことなのです」
こうして出来上がった、美術品ともいえる衣裳が展示されることで、少しでも多くの人が歌舞伎衣装の素晴らしさに触れ、それを伝えていくことの大切さに思い至ることを玉三郎さんは望んでいる。
『廓文章』の結末の場面で夕霧が羽織る裲襠。孔雀の胴体と羽根は豪華な金糸で表現され、裾回りは大輪の牡丹が咲き誇る。玉三郎さんは、過去の文献を繙き、それを参照しながら独自の解釈を加えて、この意匠を考案した。(2001年10月歌舞伎座)©Takashi Kashihara
『葵の上』で、源氏の正妻である葵の上の枕元に生霊となって現れる六条御息所が纏う衣裳。唐織という最高級の技法を用いて、藤と御所車が色鮮やかに織り上げられている。(2011年3月 御園座) ©Takashi Kashihara
坂東玉三郎 Bando Tamasaburo
1950年東京生まれ。1964年14代目守田勘弥の養子となり5代目坂東玉三郎を襲名。以来、歌舞伎界を代表する女方として数々の大役を演じる。2012年「歌舞伎女方」保持者として人間国宝に認定。歌舞伎俳優のみならず、俳優、映画監督、演出家として国内外で活躍する。
Photos by Takashi Okamoto
Location provided by Grand Hyatt Tokyo
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