奥井海生堂奥井海生堂

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PREMIUM JAPAN AWARD

PREMIUM JAPAN AWARD 2026

2026.9.30

和食と共に歩み続ける昆布商「奥井海生堂」。日本の「だし」文化を世界へ伝える

奥井海生堂が所有する最も古い平成元年香深産のヴィンテージ昆布。

椀物をひと口含んだときに広がる、澄んだ旨味。野菜を炊いたときに感じる、素材そのものの滋味深さ。日本料理のおいしさの根底には「だし」があり、そこには「旨味」がある。それを生み出すものの一つが昆布だ。
近年、海水温の上昇や磯焼けなどによって、「昆布が採れない」「良質な天然昆布が少なくなっている」という話を耳にすることが増えた。和食には欠かせない昆布は、料理の中で強く自己主張することなく、素材の持ち味を引き出し、味の輪郭を整える存在である。昆布を多くの料理人に提供し、さらには和食文化を守る御昆布司「奥井海生堂」。代表取締役の奥井隆さんは、日本の「だし文化」を世界へも伝えたいと考え、各国で講演を行うなど、和食文化の普及にも尽力している。これらの活動が評価され、「PREMIUM JAPAN AWARD 2026」を受賞した。

 

 

 


北海道から敦賀へ。昆布が辿った「海の道」





奥井海生堂は、明治4(1871)年の創業以来、150年以上にわたり昆布を扱い、大本山永平寺をはじめとする全国の僧堂や、京都を中心とした料理人たちへ上質なだし昆布を届けてきた。料理の世界では、知らない人はいないほどの昆布商である。
その四代目、代表取締役・奥井隆さんに話を伺うと、昆布と日本の食文化のつながりや、収穫後も昆布をおいしくするために重ねられてきた努力が見えてきた。



福井・敦賀の昆布商と聞くと、「敦賀ではいい昆布が採れるんですね」と言う人もいるという。しかし、昆布の国内生産量の約95%は北海道産である。
昆布のほとんどは北海道で育っているのに、なぜ敦賀に昆布商が根づいたのか。昆布の収穫地は遠く北海道である一方、かつて昆布の一大消費地だったのは、京都や大阪を中心とする関西だった。現在のように交通網が整っていなかった時代、千数百キロ離れた北海道から関西まで、大量の昆布を運ぶのは大仕事だった。



特に太平洋側の東北沿岸は気象条件が厳しく、海路で越えるのは容易ではない。そこで発達したのが、比較的海の穏やかな日本海側を通る交易路だった。当時、昆布やニシンなどを積んだ北海道からの北前船の重要な荷揚げ港となったのが、敦賀港であった。



引札 引札

奥井海生堂の引札。引札とは現在のチラシ広告にあたるもので、北前船の寄港地で配られたと思われる。




さらに、敦賀の背後には琵琶湖がある。港に揚げられた物資は陸路で琵琶湖の北岸、海津や今津へと運ばれ、「丸子船」と呼ばれる和船に積み替えられ、そこから大津、堅田などを経て京都へと届けられた。江戸時代の最盛期には、琵琶湖を約1,400艘もの丸子船が行き交っていたという。

こうした歴史的背景のもと、1871年、初代・奥井半吾さんが敦賀の地で昆布商・奥井海生堂を創業した。150年余の歴史は、まさにこの「昆布の道」の上にある。



「昆布は浜」。一枚を見極める専門店の目



昆布は、大きく四つの種類に分けられる。

北海道北部、宗谷岬周辺の利尻昆布。知床半島を中心とする羅臼昆布。えりも岬周辺の日高昆布。そして道南、恵山岬周辺で採れる山出し昆布。北海道を囲む海域ごとに、異なる昆布が自然に育つ。しかし奥井さんの話を聞いていると、「利尻昆布」「羅臼昆布」といった種類だけでは、その世界を十分に語れないことがわかる。



奥井さん 奥井さん

昆布蔵で昆布を確認する、四代目、奥井隆さん。




重要なのは「浜」なのだという。

「同じ利尻昆布であっても、どの島の、どの浜で採れたものなのかによって、幅や厚み、形、そしてだしの味わいまで異なります。函館では養殖昆布も増えていますが、奥井海生堂が長年、仕入れに力を注いできたのが、礼文島の香深(かふか)浜、船泊(ふなとまり)浜、利尻島の仙法志(せんほうし)浜、沓形(くつがた)浜など、名のある浜で採れる天然利尻昆布です」

 

とりわけ香深産は、奥井さんにとって特別な存在である。しかし環境問題などもあり、こうした良質な昆布が採れなくなっているのも事実だ。

「これほどの良質な昆布を多く持っているのは、弊社以外にないと思いますよ。香深の昆布をワインにたとえるなら、『ロマネ・コンティ』です」

ワイン好きの奥井さんらしいたとえだが、昆布もワインと同様、産地のわずかな違いが品質を左右することを言い当てているのだろう。




敦賀の冬が生んだ「蔵囲昆布」




奥井海生堂を語るうえで欠かせないものが、「蔵囲(くらがこい)昆布」だ。その始まりにも、敦賀という土地が深く関わっている。



夏に北海道で収穫された昆布は、その日のうちに天日で一気に乾燥させ、端を整え、種類によっては幾重にも折りたたみ、出荷に適した荷姿に仕上げられる。そうして敦賀へ到着する頃には、季節は晩秋を迎えていた。

雪深い北陸では、冬になると大量の荷物を伴って旅をすることは難しい。そのため、敦賀に荷揚げされた昆布はそのまま蔵で冬を越し、春になってから京都や大阪へ運ばれることになる。これが「蔵囲昆布」の始まりとされている。

 

「父がよく言っていましたが、翌年『桜の花の散るころ』に昆布蔵を開けると、新昆布を蔵に入れた時と香りが違っていた」。

 

北海道から関西へ昆布を運ぶ流通事情と、雪深い敦賀の冬。その二つが重なった結果、時間が昆布をおいしくすることを、昔の人は発見したのである。




昆布蔵の入り口。




昆布蔵 昆布蔵

昆布蔵には産地が書かれた段ボールにむしろが掛けられて保管されている。



現在は北海道から新潟や福井まで船で運び、そこから敦賀までは陸送となっているが、奥井海生堂では、この蔵囲の技を今も受け継ぐための専用の昆布蔵をいくつか所有している。

 

秋に入ってきた上質な利尻昆布を、最低でも1年。長いものでは2年、3年と専用の昆布蔵で寝かせる。外気の影響を受けにくい蔵の中で、昆布をむしろに包み、光や風から守る。温度や湿度を管理しながら、静かに時間を重ねていく。

 

「2年も経つと、昆布が枯れて、ますます深い色を帯びてくる。風格が出てくるんですよ。昆布が生きているんです」と奥井さん。



昆布は乾物でありながら、決して変化を止めた食品ではない。湿気を吸い、匂いを吸い、置かれる環境によって状態を変えていく。
時間をかければ、どんな昆布でもおいしくなるわけではない。長期間の熟成に耐えられるのは、もともと力のある上質な昆布だけである。



蔵の奥に眠る、少し特別な昆布



そして奥井海生堂の蔵には、さらに長い年月を重ねた、特別な昆布が大切に保管されている。



ヴィンテージ昆布蔵 ヴィンテージ昆布蔵

昆布蔵の奥にはヴィンテージ昆布が保管されている。昆布蔵に一歩足を踏み入れた瞬間、昆布の香りに包まれる。



ここには年代物の昆布が静かに時を経ている。



もっとも古いものは、平成元年の礼文島・香深産。実に36年前のものだ。

ここまでのヴィンテージ昆布を所有している昆布商は、ほかにはないのではないだろう。しかし、これらの長期熟成の昆布は売り物ではない。

 

ワイン好きの奥井さんが、ワインの熟成のように昆布でも実験を続けているのである。長い時間を経ると昆布がどのように変化するのか。その変化を見続けてきた結果、今も残されている貴重なものだ。

そしてこの昆布蔵には、誰もが知る日本料理の名店とのつながりも刻まれている。日本の老舗料理店の味が、この蔵から始まっていることの証でもある。



ごく一部ではあるが誰もが知る料亭の名が連なっている。



良質な昆布が、料理人の味を支える



こうして時間をかけて昆布の価値を高めることは、商売として見れば決して効率的ではない。

 

現在、奥井海生堂が扱う昆布は、地元敦賀の3カ所と北海道の1カ所、計4カ所の倉庫で管理・保管されている。近代的な専用蔵では、温度や湿度などの環境を徹底的に調整しながら、昆布を守り続けている。

その年に収穫された昆布は、従来、9月中旬頃までに、漁協や流通関係者、消費地の問屋、浜の代表者などが加わる値決め委員会によって価格が決められてきた。大量に採れた昆布を売れ残らせないようにするための仕組みでもあった。

 

しかし近年は、徐々に入札へと切り替わっている。その背景には、生産量の減少がある。なかでも香深産のように料理人からの人気が高く、生産量の限られた天然昆布は、入札でも高値になりやすい。



高価な昆布を仕入れ、1年、2年、3年と販売せずに持ち続ける。その間も、蔵の整備や管理には費用がかかる。温度や湿度を見ながらカビを防ぎ、煙や異臭からも守らなければならない。

 

奥井さんによれば、昆布の仕入れは今も現金が基本だという。入札後、すぐに全額を支払う。それから数年間、現金化されない昆布を蔵で抱えることになる。奥井海生堂のような老舗であっても、資金繰りは決して楽ではないだろう。ましてや体力のない昆布商では、商売が立ち行かなくなる。

「在庫の昆布は、もうお金に見えてきます(笑)。しっかりとした仕入れ資金環境がなければ、何年も現金仕入れの昆布を寝かすという『蔵囲昆布』の伝統は守っては行けなくなります」

それでも続けるのは、「良質な昆布が欲しい」という料理人がいるからだと奥井さんは話す。

 

良い昆布を見極めて仕入れ、すぐに売らず、さらに良くなるまで待つ。時間を抱えることまで含めて、昆布商の仕事なのである。



時を経ることで昆布には風格が増し、だしは甘みを増していくと言う。



「料亭さんというのは、出汁屋なんですよ」



では、なぜそこまでして昆布に手をかけるのか。

答えは、日本料理における「だし」の存在にある。

「高級料亭って、高級食材を並べたら高級料亭になるわけじゃないんです。しっかりしただしを取って、芋ひとつをおいしく炊ける技術がないといけない」といわれている。

そして続けた。

「料亭さんというのは、出汁屋なんですよ」

昆布と鰹節から引いただしを、野菜や魚、豆など、さまざまな素材へ含ませておいしくする。



たとえば黒豆。

「豆を“煮る”とは言わないでしょう。“炊く”って言うんです。お米を炊くのと一緒で」

 

ただ火を通して柔らかくするのではない。素材の状態を見ながら、だしの旨味を内部へ静かに含ませていく。奥井さんは、それを「だしをインプットする」と表現する。料理が完成したとき、昆布そのものの姿はどこにもない。けれど、一椀、一皿のおいしさの根底には、確かに昆布がいる。自らが前へ出るのではなく、相手の持ち味を引き立てる。昆布という食材のあり方は、日本料理が大切にしてきた美意識とも、どこか重なって見える。



奥井さんは、長年付き合ってきた京都の料理人たちから学んだのは、料理の技だけではないと話す。

 

「京都の料理人たちは、商いで得たものを、店そのものを守るためにも注いできてるんです。畳を変え、襖を整え、庭を守る。一日たった一組のお客様だけを受け入れるお座敷の効率だけを考えれば、合理的とは言えないかもしれません。しかし、その積み重ねが料理と空間、季節、もてなしをひとつにし、世界の人々を魅了する日本の料亭文化を育ててきたんだと思います。それが日本の美意識です」

 

その日本料理の美学や料理人の努力をみてきたからこそ、昆布商を続けると奥井さんは語る。

一方で、昆布を使わない和食もある。

「たとえば日本のカレーも和食の一つだと思います。和食の定義はそんなに堅苦しいものではないんですよ」とも語る。



創業当時からある、奥井海生堂の神楽本店。気比神宮に程近い神楽通りにあり、商品の販売を行っている。



昆布を使った商品も数多く販売されている。羅臼昆布80g¥2,430円、羅臼利尻昆布昆布80g¥2,430、昆布とかつおの出汁パック10g×15包(大)¥2,592、太白おぼろ40g¥1,728、昆布おぼろ昆布40g¥972、とろろ昆布40g¥777。オンライン購入も可。



世界が驚いた、日本の「だし」。海外から学ぶ、日本文化の素晴らしさ



昨今、海外で昆布についての講習会を行ってほしいという依頼が増えているという。その背景には、日本のだし文化への関心の高まりがあるようだ。

「海藻でスープを作るなんていう食文化は、世界でも珍しいんですよ」

 

 

約20年前、奥井さんは日本政府の依頼を受け、パリで昆布について講演した。当時のフランスでは、海藻を食材として捉える文化はまだ一般的ではなかった。ところが実際に昆布だしを味わってもらうと、現地の料理人たちは強い関心を示した。彼らを驚かせたのは、その旨味だけではない。

「西洋料理のブイヨンが時間をかけて煮込むのに対し、日本のだしはごく短い時間で旨味を引き出す。日本のだしは簡単でいいですねっていうんです」

しかし、その一椀のだしが生まれるまでには、長い時間が流れている。

 

昆布は海で育ち、漁師が収穫し、その日のうちに天日で乾かす。昆布商が浜と品質を見極めて仕入れ、さらに1年、2年、3年と蔵で寝かせる。そうして何年もの時間を重ねた昆布が、料理人の手に渡り、だしとして役目を終える。

「昆布や鰹節を、だし素材に仕上げていくまでには、何年もの膨大な作業時間がかかります。そのすべては『一瞬でだしを引く』という仕事のためにあります。役目を終えた昆布や鰹節の、その潔さの中から生まれるからこそ『うま味だし』なんです。決して楽な調理作業ではなく、長い時間と手間の積み重ねがあってこそ、その一瞬の味が立ち上がるんだと思います」。



海外の料理人との出会いは、奥井さん自身にとっても、自らの仕事を見つめ直す契機になっていると話す。世界的な料理人たちが昆布に関心を持ち、その背景にある日本の文化まで知ろうとする。外から高く評価されて初めて、身近すぎて見えなくなっていた価値に気づくこともある。

 

「海外から遠回りして入ってくると、日本の若い人たちも考えてくれる。自分のやっていることはすごいことなんだなって、自覚できた幸せがありますよね」

 

世界的なシェフ、アラン・デュカスさんも、精進料理などへの関心から奥井海生堂を訪れ、昆布に触れている。

 

「日本を含めて世界の料理人が敦賀まで足を運び、昆布蔵を見てくれれば、私たちが昆布にどれほど手をかけ、そして大切にしているかを理解していただけると思います」

そう話す奥井さんの言葉からは、家業への深い愛情が伝わってくる。


大本山永平寺の作務衣を着る、奥井さん。


昆布が採れない時代に、何をつなぐのか



そしていま、昆布を取り巻く海そのものが変わり、昆布の未来に不安を抱く人も少なくない。海水温の上昇や磯焼けによって、昆布が育たない海域が増えている。しかし奥井さんは、「海には、海本来の力があると思っています。楽観視はできませんが、これからも海の力が昆布を育ててくれると私は思っています」と語る。

 

 

奥井さんが家業を受け継いだとき、ある取材を受けた。その取材のテーマは『消えゆく業界』だった。そんな時代を経て、今では世界の著名なシェフが昆布を求めて敦賀にまで足を運ぶ時代となった。

 

これからについて尋ねると、その答えは驚くほど静かだった。

 

「普段通りの、こういう伝統や歴史文化を、ずっと次の時代につなげていく。ただそれだけです」

 

新しいものを生み出すことだけが、未来をつくることではない。長い時間をかけて磨かれてきたものの価値を知り、必要な手間を惜しまず、次の世代へ手渡していく。昆布から取っただしは、完成した料理の中では目に見えない。けれど、それがなければ生まれない味がある。奥井海生堂が150年以上続けてきた仕事もまた、そんな昆布のだしによく似ている。

 

目立つことなく、けれど確かにそこにある。




Text by Yuko Taniguchi
Photos by Katsuo Takashima

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