「ふしきの」――2011年に創業し、日本で初めて、会席料理のコース全体を通して一皿ごとに日本酒を一種ずつ合わせ、酒器の形状による味わいの違いまで含めた「日本酒ペアリング」を提唱・実践してきた店である。季節の旬を器に移す日本料理、それに最も合う日本酒を温度を変えて、形状や季節感から選んだ酒器で合わせる。そんな三位一体の歓びを味わえる稀有な体験がここにはある。2011年の開業翌年に初めて一つ星を獲得し、以来、掲載を継続している。日本酒の真価が分かる――その噂が噂を呼び、連日、常連や海外の客で賑わう。そうした日本料理店のあり様が高く評価されて、「PREMIUM JAPAN AWARD 2026」を受賞した。夏の盛りの神楽坂に女将の宮下幸子さんを訪ねた。
創業の経緯と「日本酒ペアリング」
2011年9月、当時32歳だった創業者である宮下祐輔氏が、会社員として働く傍ら立ち上げたのが「ふしきの」である。
以下、女将の宮下幸子氏が話す。
「当時、西洋料理とワインを合わせる『マリアージュ』は行われていましたが、会席料理のコース一品一品に日本酒を合わせる専門の店はありませんでした。日本酒でマリアージュと言うと違和感ががあり、『日本酒ペアリング』と名付け、日本酒との食べ合わせをコース全体を通して提供するという発想をしたのが主人の宮下でした。
主人は会社員として働いていましたが、茶人であり、日本酒を含めた日本の伝統文化を非常に大切にしていました。器を集めておりましたから、『料理、日本酒、器』という三要素を掛け合わせることによって、それぞれの良さを更に楽しめる夢のような店が作れるのではないかという強い信念のもとで、自ら事業計画書を作成してこの店を立ち上げました」
それはまさに飲食業界を専門としていないがゆえに発想し得たものだ。今でこそ「日本酒のペアリング」を謳う店は増えたが、新しい道を拓くのはいつも、既成概念に捕らわれない独自の視点と思想を持った〝変人”なのである。
そもそも「ふしきの」の由来からして、そのことを物語っている。
「店名は千利休居士が珍しい竹の花入れを見て『不思議のものなり』と感嘆した故事や、禅語の『不識』に通じる言葉です。お客様に思いがけないもの、日本酒ペアリングのように、今までにないものを提供するという、店を立ち上げた当時の理念を象徴したものです」
創業者が設計し発注した有田焼の酒器。左の酒器だとより濃醇さを感じる。右の平盃だと酸味をより感じやすく、重ための酒も軽やかになる。真ん中はその中間の味わいだ。
日本酒のポテンシャルを最大限に引き出す
三要素をもう少し詳しく掘り下げる。
「当店の核心部分は、創業者が考案した『日本料理・日本酒・器』を三位一体で愉しむコンセプトにあります。私どもにとって重要なのは、有名な銘柄であるかどうかではありません。『すべての日本酒は等しく美味しい』のです。
大事なことは、日本酒のポテンシャルの引き出し方と提供の仕方。どのようなお酒でもそれぞれの魅力を持っています。ですから、いかに個々の日本酒が持つその特徴を引き出すか、料理と合わせるかを常に考えています」
具体的にはどうなのか。
「日本酒には料理の旨味に寄り添い、余韻を豊かにする合わせ方があります。この特性を最大限に活かすために、料理との相性はもちろん、提供温度を調整し、そして器の形状がもたらす味わいの変化を大切にしています。
例えば、同じ酒でも器の形状によって濃醇さや甘みが強く感じられたり、逆に酸が立って軽やかに感じられたりと、味わいは大きく変わります」
温度で言えば、日本酒は、冷酒から常温、燗酒まで、幅広い温度帯で楽しめる。出し手が調整できる幅が広いお酒なのだ。
そして、日本料理と日本酒のペアリングに関して、ここ以上の極みに達している店はない。一片の疑念もなく、そう断言できる。
日本酒文化をこよなく愛した創業者は、そうした日本酒に関する知見を、セミナー等を通じて啓蒙にこれ努めた。
「お燗も重要な要素なのですが、口内が温かい方が旨味を感じやすいという要素がありまして、温かいお椀には必ず燗酒を合わせております。全体の流れの緩急まで計算して、最適な温度と酒器を選定します」
この手法は、まさに先駆的な試みであり、その結果、料理と日本酒のコンビネーションにおいて、最適化された奥深い食体験を創出している。
店での食体験は、まさに驚愕の連続と言ってもいい。というか、自分は日本酒について何も知り得ていなかったことを痛感する。「これは旨いとか不味い」とか言っていたのは、ほぼ無意味であったことを知るだろう。
酒器は平安時代末期のもの、古唐津から現代まで。惜しげもなく日常使いしている。
器への情熱とギャラリーの役割
さらに、この店の会席料理の流れで興味深いのは、最後に抹茶を必ず出すことだ。
「主人は茶人でもありました。茶懐石ではお食事と共にお酒もありながら、最後のお抹茶をいかに美味しく飲ませるかに重きを置きます。そうした懐石の流れも汲んでおります」
では、酒器を替えるのはどうしてなのだろうか。
「器一つ取っても、個々に物語性があります。一方で、お酒の名前には、漢詩や禅語が出典元になっているものがあります。そこから読み解いたり、季節感やお好みの味わいも考えながら、器を合わせていくところに面白味を感じています」
「ふしきの」は、創業当初から店内に器の展示販売を行うギャラリーを併設し、器文化の発信に力を入れている。そのような日本料理屋は、日本ではここだけなのではないか。そして、そのコレクションは圧巻だ。
店の一隅にあるギャラリー。人気作家のもとへ直接足を運び、選んだ作品が並ぶ。展示作品は購入できる。
「店内に置いてある器は、平安末期の古陶磁から安土桃山時代~江戸初期の古唐津、さらには人間国宝や気鋭の現代作家の作品までと、多岐にわたります。これらの貴重な器を日常の営業で惜しみなく使用し、お客様に食事を通じてその魅力に触れていただいています。お食事をしながら器をご紹介したり、ギャラリーでは別途、作品を展示・販売しており、お気に召した作品はその場で購入していただけます」
極めてユニークなシステムと言えよう。
一部を紹介すれば、京都金閣寺の古材から作られた酒器や、木を一切使わず漆の樹液だけで10年から15年かけて作られる「芯漆(しんしつ)」と呼ばれる漆器など、物語性豊かな作品が並ぶ。
この取り組みは、作家に継続的な制作活動の機会を提供し、日本の器文化の継承に貢献している。
「店での体験をきっかけに器のコレクターになられたり、茶道を始められたり、さらには自らギャラリーを立ち上げられたお客様もいらっしゃいます」
その影響力たるや極めて甚大なのである。
創業者の理念継承と店の現在
2011年9月の創業から10年目、軌道に乗っていた店は、創業者である主人を突然、事故で失うという大きな試練に見舞われる。
「その時は、本当に途方に暮れました。しかし、この店をなくしてしまうのは余りにも惜しい。なので、『なくすのは一瞬。もがくだけもがいてみよう』と決めました。店に残ってくれた料理人たちも支えてくれました」
店はその理念と共に存続の道を歩み始めた。店の革新的なコンセプトは創業後1年足らずで評価され、ミシュランガイド2013年版で一つ星を獲得して以来、1年も途切れることなく星を維持している。
「現在では常連のお客様に加えて、アメリカ、ヨーロッパ、アジア、南米など、世界中からゲストがいらっしゃいます。
海外からのお客様には、単なる食事提供に留まらず、日本酒の背景にある里山文化や米文化、自然を敬う感覚や美意識といった日本の精神性を英語で伝えることを重視しております。
そうした店の在り方に興味を抱く大学生たちが文化伝達の担い手として、接客しながら外国のお客様に日本について意欲的に伝えています」
「カマスの焼き霜とイチジクの酢の物」に合わせた酒器は山崖松堂作。
料理と日本酒の具体的なペアリング
店のコンセプトを体現する料理と日本酒のペアリングを体験させてもらった。
一品目は「カマスの焼き霜とイチジクの酢の物」である。料理人であり日本酒を担当する武田幸大氏が話す。
「皮目をちょっと炙ったカマスの下に、焼きレンコンと舞茸とイチジクを配した、三杯酢のゼリーの酢の物です。酒器は漆だけを使って作った石川県輪島市の山崖松堂(やまぎししょうどう)作のものです。お酒は千葉県香取郡・寺田本家の代表銘柄の一つである墾を選びました。
この日本酒は熟成させることで、酸味が和らぎ旨味が増すのです。甘みがありますが、こちらはアミノ酸由来の旨味です。ちなみに今回出させて頂いたものは当店で抜栓して1年ほど熟成させております。乳酸のヨーグルトっぽさがあるので、酢の物には合いますね」
まず、「日本酒は低温保存するもの」という常識が覆される。熟成の末にもたらされる旨味は尋常一様のものではない。最初に旨味に襲われるが、やがて、辛味、甘味、酸味といった全方位での美味しさを感じる。
しかし大事なのは、あくまでもその酒と料理との合体でどうなるかだ。ペアリングとは、料理と酒の足し算ではなく掛け算なのだが、まさに口の中で大化けした。
「抜栓した後でまろやかに変化するようなお酒を、多く使っていますね」
ただし、すべてを常温で置いておくわけではないという。
「日本酒は、お酒ごとに適した保存温度や熟成のさせ方が違います。20℃以上で味わいがよい方向に変化するものもあれば、繊細さを保つためにマイナス5℃で管理するものもあります。さらに、燗の温度によっても味わいは変わります。一つひとつのお酒の変化を見ながら、その魅力を引き出していく。時には、予想していなかったおいしさに出会えることも、楽しさの一つです。
器にも、形のゆらぎや焼き上がりの表情を、その器ならではの魅力として楽しむ見方があります。お酒も器も、それぞれの違いに目を向け、個性を活かすところに面白さがあると思います」
「海老真丈と松茸のお椀」に合わせた酒器は辻村史朗作。
二品目は「海老真丈と松茸のお椀」である。
「海老真丈と松茸、その上にミョウガとユズを載せました。酒器は辻村史朗作のものです。合わせたお酒は、福岡県久留米市の「独楽蔵 沁(こまぐら しん)」、純米大吟醸です」
低温でゆっくりと熟成させた辛口の純米大吟醸は、口中から体に沁(し)みるようだ。熱々のお椀の出汁、海老と松茸に、輪郭の冴えた液体がよく馴染み、相乗的に美味しさが増してゆく。
「うなぎの白焼き」には骨董の古唐津を合わせた。
三品目の「うなぎの白焼き」である。
「白焼きに銀杏と丸十(さつまいも)を添えました。酒器は安土桃山時代の古唐津で、お酒は愛知県津島市の「長珍」を合わせました。
このお酒は日光による劣化を防ぐため新聞紙で包まれていますが、その丁寧な扱いに蔵の姿勢が表れています。かなり個性的な強めの酸が特徴です。その中にもしっかりとした複雑で厚みのある旨みがあります」
うなぎを噛み締めたところに酒を流し込むと、それぞれの旨味と旨味が掛け合わさってゆく。旨味の波状攻撃だ。
「ふしきの」では、お酒の選定だけでなく、提供方法にも深い意図がある。
例えば、しっかりとした造りの大吟醸はあえて常温で管理し、味わいの変化を促す。また、器も季節感を考慮し、涼しげなガラス器や温かみのある土物などを使い分ける。
これらの緻密な計算によって、料理と日本酒、そして器が一体となった「ふしきの」にしかない唯一無二とも言える食体験が創り出されている。
最後に宮下女将に、この度のアワード受賞についての感想を聞いた。
「私は宮下祐輔の世界観がとても好きです。料理も日本酒も器も、そしてそれらを生み出す人々や地域やその伝統も、全体の掛け合わせの妙で、互いが引き立て合い、様々な相乗効果を生み出していくという世界です。かなりマニアックなことをしていると思いますが、今回の賞で、宮下祐輔とふしきのが行なってきたことを評価してくださり、とても嬉しいです。これを機に、日本料理と日本酒と器の三位一体を、より楽しんで頂けるように、もっと精進したいと思います」
ふしきの
東京都新宿区神楽坂4-3-11 神楽坂つなしょうテラス2階
℡03-3269-4556
Photos:Toshiyuki Furuya
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