アンナ・ツィマアンナ・ツィマ

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Portraits

プラハからシブヤへ。アンナ・ツィマの軌跡(前編)

2021.5.14

欧州を席巻する小説家アンナ・ツィマの問題作 『シブヤで目覚めて』日本上陸

文学賞を総なめ『シブヤで目覚めて』日本上陸

 

2018年チェコで刊行されるとたちまちベストセラーとなり、チェコの主要な文学賞であるマグネジア・リテラ文学賞新人賞をはじめ数々の文学賞を総なめにした『シブヤで目覚めて』の日本語版がついに出版された。ドイツ語版のほかポーランドやスペインでも続々と翻訳され、ついに日本に上陸、話題を呼んでいる。

 

タイトルからわかる通り、東京・渋谷は重要な舞台のひとつ。この作品へのオマージュとして、渋谷の夜景をスタジオのプロジェクターに写しだし、アンナ・ツィマを渋谷の街の風景に「閉じ込める」という手法で取材撮影はスタートした。

 

ここでアンナ・ツィマの来歴を紹介しよう。1991年チェコ、プラハ生まれ。カレル大学日本研究学科を卒業後日本に留学。大学院研究生を経て現在はカレル大学大学院博士課程に在籍し、日本で創作、翻訳と研究活動を行なっている。『シブヤで目覚めて』はアンナ・ツィマのデビュー作だ。主人公がチェコの首都プラハとシブヤという2つの街に分離し、また明治生まれの日本作家の書いた作中作が物語を動かす基軸となる、という複雑な構造の小説である。


アンナ・ツィマ アンナ・ツィマ

ミステリアスなプロットを生きる、ある少女の青春の1ページ

 

主人公はチェコ人の女の子ヤナ・クプコヴァー。物を書くことを教えている父の影響を強く受けて、子供のころから日本の映画や文学に親しみ日本に魅せられていたヤナは、17歳のときについに憧れの東京を訪れ、「永遠にここにいたい」と願うほど惚れ込む。その強すぎる<想い>はついにヤナの分身を生み出し、シブヤから抜け出せずに彷徨うことになる。

 

一方でもう一人のヤナは24歳。プラハにあるカレル大学日本研究学科で日本文学を研究するうち、明治時代に川越で生まれ育った川下清丸という作家に惹かれるようになる。だが川下についての資料は少なく、作品もわずかしか残っていない。その短編作品の一作を先輩ヴィクトル・クリーマと翻訳し始めたヤナは、大正時代から昭和初期を生きたこの作家の人生を徐々に知っていく。


作品中には興味深い人物が大勢登場するのだが、なんといってもいきいきとした魅力にあふれているのが主人公のヤナだ。

 

「私はチェコで暮らす等身大の女の子が書きたかったのです。この作品を書く前にいくつかの習作があり、それを父に見せたとき『アンナの生活には十分に面白い要素があるのに、なんで自分より面白くない主人公をいつも書いているんだ?』というアドバイスを受けたんです。それをきっかけに主人公のヤナに、自分の経験を加味してみました。自分のことを書いたとは言えませんが、自伝的な部分を混ぜたフィクションの登場人物を書いた、とは言えると思います」

 

「ヤナは知識階級の家庭に育ち、子供のころから父親に文学や映画について教わり、大学では日本文学を研究し、日本に強く魅かれている。つまり育った環境や興味の対象が私と共通しています。私自身が大学で経験したこと、友人たちと話したこと、学んだことなどがベースになっています。作者である私の体験が反映されていることは否めませんが、あくまでもフィクションです」


当初の構想では、ヤナという少女の青春小説という性質が色濃いものだったようだ。その後、出版社に持ち込み、編集者のアドバイスによって、この作品に新たな方向性が加わってくる。

 

「ヤナが日本文化・日本文学を研究しているので、日本でのシーンを入れたらどうか、と編集者にアドバイスされ、シブヤを舞台にした章を入れてより複雑な構成にしました。ただ、この作品で描いているシブヤも日本も、私の頭の中にあるイメージをふくらませたもので、架空のシブヤであり、日本です。2009年17歳のときに1ヶ月だけ東京に行く機会があり、渋谷近くに滞在していたのですけれど、お金があまりなくていろいろなところに行けず、毎日渋谷の街に座って周りの景色や通っている人を眺めて過ごしました。その後再び日本に来ることができて渋谷を再訪したのですが、頭の中にあったシブヤとはまるで違う街に変貌していました」

 

「今でもどんどん変貌しているので、毎回訪れるたびに迷子になるほどです。題名が漢字の渋谷ではなく、シブヤとカタカナとなったことがとても気に入っているのですが、それは設定した舞台が現実の渋谷ではなく、私の<想い>が彷徨っている架空の街であることを表しているように思うからです」


日本の文学史を取り入れた驚くべきストーリー

 

ストーリーは、ヤナの人生と感性を縦糸とし、ヤナとヴィクトルが作品の翻訳を手がけながら調査を進める、幻の作家、川下清丸の生涯が横糸となって、からみあいながら一枚のタペストリーのように織り上げられていく。

 

「川下清丸は私が作り上げた架空の作家なんですが、チェコの読者から『この作家の作品を読みたいのだけれど、ネットで調べても出ていません。どうやったら読めますか?』という問い合わせがよく来るんです。架空の人物だと言うとがっかりされます(笑)最後に詳しい経歴も創作して入れたので、読者がそう思うのも驚くことではないかもしれません」

 

「実在した作家を作中作で取り上げることも考えたけれど、実在していた人の人生を変えることはできないので、作品も含めて一から私が創作しました。川下清丸は明治35年に川越で生まれて、文学者となることを志して東京に出て、横光利一など当時活躍していた文学者と交流がある、ということにしました。洪水や関東大震災など大正から昭和初期の日本の歴史をからめてその人生を作り上げています」

 

チェコ語で書かれた、日本を舞台にしたこの物語は、アンナ・ツィマが本格的に日本を拠点として活動しはじめて、さらに動き出す。

 

「私自身が来日して、夫と一緒にしばらく埼玉県で暮らしていたことがあり、川越を訪れて歴史や地理を調べて書きました。作中作として入れた彼の作品は、大正から昭和初期にかけて使われていた日本語を意識してチェコ語で書きました。翻訳者の阿部賢一さんと須藤輝彦さんが見事に日本語に翻訳してくださった。私の創作がやっと本物の作品になった感じがしてうれしかったです」

 

実際に作品を読むと、古い日本語の運びが非常によく訳出されており、日本人が読んでも当時の世界観にすんなりと没入できる。アンナ・ツィマにとってまさに「私の、本物の作品」になった感慨は深いものだったろう。

シブヤで目覚めて シブヤで目覚めて

村上春樹だけではない、日本文学を知ってほしいという思い

 

アンナ・ツィマは小説を書くという情熱とともに、思いを強くするものがある。日本文学を、もっとチェコの人たちに広く紹介していきたいという思いだ。

 

「ヤナたちが20世紀初めの日本文学を学んでいることにしたのは、日本には村上春樹や村上龍以外にも魅力的な作家がいるのだ、ということをチェコの人たちに知ってもらいたかったこともあります」

 

「チェコで日本文学といえば、二人のムラカミですからね。他の日本人小説家も訳されているにもかかわらず、一番有名なのはこのふたりでしょう。もちろん二人の作品はすばらしいですけれど、日本の文学作品には魅力的で多様な作品がたくさんあります。そう思って『シブヤで目覚めて』の中では既にチェコ語に訳されているのにあまり知られていない、又はまったく知られていない様々な日本人作家の名前や、彼らによって書かれた作品のタイトル等に言及しました。嬉しいことに、『シブヤで目覚めて』を楽しんで読んだ多くの読者はそのあと自然に谷崎潤一郎や川端康成、三島由紀夫などの作品を読んだらしいです」

 

「夫のイゴール・ツィマと私は、チェコの人にぜひ読んでもらいたい日本の作品を翻訳しています。高橋源一郎の『さようなら、ギャングたち』と島田荘司の『占星術殺人事件』はすでに翻訳が終わり、今チェコで出版に向けて進んでいます」

 

共産国時代のチェコでも、日本文学は翻訳されていたが、それはかなり限定的な、かたよったものが多かった。現代においても、村上春樹以外はあまり知られていない現状を、アンナ・ツィマは自身の作品創作とともに、翻訳を通じて変えていこうとしているのだ。


翻訳の話が出てきたところで、創作と並行してアンナ・ツィマが情熱を傾けている翻訳と研究の活動に話題が移った。『シブヤで目覚めて』という魅力的な傑作が生まれた背景には、アンナ・ツィマの中でチェコと日本の関係がしっかりと築かれてきたことがある。そこで後編では、チェコと日本の間に橋を架けようという情熱がどこからどのように生まれたか? また取り組んでいる研究テーマについて、次作の構想についても語ってもらう。

 

(敬称略)

 

→プラハからシブヤへ。アンナ・ツィマの軌跡(後編)へ


アンナ・ツィマ  Cima Anna

 

1991年、プラハ生まれ。カレル大学日本研究学科を卒業後、日本に留学。『シブヤで目覚めて』で2018年にデビュー。同書でチェコ最大の文学賞であるマグネジア・リテラ新人賞、イジー・オルテン賞ほかを受賞し、注目を集める。

 

『シブヤで目覚めて』河出書房新社刊

チェコで日本文学を学ぶヤナは、謎の日本人作家の研究に夢中。一方その頃ヤナの「分身」は渋谷をさまよい歩いていて──。プラハと東京が重なり合う、新世代幻想ジャパネスク小説。装画:植田りょうたろう

アンナ・ツィマ 著 阿部賢一 須藤輝彦 訳 384ページ ISBN:978-4-309-20826-8

 

Text by Motoko Jitsukawa
Photography by Kelly Liu (amana)

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