アンナ・ツィマアンナ・ツィマ

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プラハからシブヤへ。アンナ・ツィマの軌跡(後編)

2021.6.17

日本という惑星に降り立ち、生まれたアンナ・ツィマ『シブヤで目覚めて』の源流

アンナ・ツィマのデビュー作品『シブヤで目覚めて』は、2018年チェコで出版されるとたちまちベストセラーになり、チェコの主要な文学賞新人賞をいくつも獲得した。日本語版が出版され、シブヤが舞台の一つである本作品が日本でもすでに話題を呼び、早々と重版も決定した。

 

この作品は、日本の文化や社会をチェコとはまったく違う異文化としておもしろおかしく書いている作品ではない。むしろ日本の近代文学と社会を、チェコの社会に投影させた文学作品である。それを可能にしているのは、作者の日本文化に対する深い理解と共感だ。

 

インタビューの後編では、この作品が生まれた背景にあるアンナ・ツィマの日本とのつながり、どのような立ち位置から日本を、そしてチェコを見ているかを語ってもらおう。

 


異文化・日本との出合いはクロサワ映画、そして『NARUTO―ナルト』

 

アンナ・ツィマが日本に魅せられたきっかけは、脚本家である父の影響だという。日本映画はもとより文学にも通じていた父のおかげで、チェコに「日本ブーム」がやってくるよりも早い2000年代初期に、アンナ・ツィマと日本は出合っていた。

 

「日本と最初に出合ったのは、2000年、私が10歳の頃です。当時チェコで安価に販売されていた黒澤明作品のDVDを父が全部購入し、私と妹に観せてくれました。有名なところからあまり知られていない作品まで、10歳から12歳までの間に黒澤作品を観ました。すごく面白かった。『酔いどれ天使』とか特に好きでした」。

 

「2回目の日本との出合いは12、3歳のころ。チェコでやっとインターネットが徐々に普及し、当時9歳だった妹が『NARUTO―ナルト』を観て、興奮して私に教えてくれたんです。『アンナ、すごいよ、このアニメ』って。字幕が英語でよくわからなかったけれど、妹と2人で興奮して観ました」。


アンナ・ツィマ アンナ・ツィマ

「黒澤作品の日本と、アニメの日本とまるで違うのに、どちらもすごい! 父にそういうと『じゃ、これ読んでみたら』と渡されたのがチェコ語に訳されていた芥川龍之介の短編集でした。とても興味深かったので、それからチェコ語に翻訳されている日本の文学作品をつぎつぎと読むようになり、そのうちに原語で読んでみたい、だから日本語を勉強したいと思うようになったんです。父に語学学校に行きたいとねだって学費を出してもらい、15歳から日本語を学び始めました。でも語学学校の受講生は年齢層も学習の目的や意欲もばらばらで、しかも週1回の授業ではたいして学べなかったですね」

 

その後、入試倍率の高さで有名なカレル大学日本学科に入学。朝から晩まで日本語漬けの日々を送ることとなり、初めて日本語を学ぶことの難しさを実感したという。勉強漬けで、友人もなかなかできかったことがつらかったが、大学3年生のとき、日本文学を学ぶ大学院生たちと交流するようになって変化が訪れる。「彼らと話しているうちに、ああ、私は文学をやりたいと思いました」。修士に進学し、日本文学研究をすることに、アンナ・ツィマの心は定まった。


研究者として、大江健三郎など60年代の日本文学への視座とは

 

『シブヤで目覚めて』がベストセラーになり、次作の構想も練っているというアンナ・ツィマだが、研究活動にも意欲を燃やしている。研究テーマは「1960年代日本の学生運動に関係した文学」。チェコでは60年代から現代まで数回にわたる大きな革命があり、祖父母や両親の世代は、市民・学生による社会変革運動と深くかかわってきた。日本の学生運動とそれを描く文学に出会って、不思議な親しみを感じ、興味を持ち始めたのだという。

 

「大江健三郎の『万延元年のフットボール』を読んだときに衝撃を受けて、以来大江の作品が大好きになりいろいろと読みました。『万延元年〜』の場合は、背景に安保闘争というモティーフが少なからず見て取れる事がとても興味深かった。倉橋由美子、柴田翔、高橋和己などの作家によって書かれた作品の中でも50、60年代の学生運動が役割を果たしている事に気づき、当時の学生運動を描いている文学の中の学生像の変遷を研究しはじめました」。

 

「社会主義国家であったチェコスロヴァキアでは、60年代を通じて、強い検閲や自由の制限がやっとすこし緩まり、1968年、学生や市民による社会変革運動が起きて民主化が進められ、「プラハの春」と呼ばれた時期がありました。ところがソビエト連邦軍主導のワルシャワ条約機構軍の軍事介入によって一変してしまいます。私の祖父母の世代はまさにこの時代を経験し、プラハの春が終焉したことで、チェコスロヴァキアの人々の人生がある意味で終わってしまったことを目の当たりにしました。チェコからは遠い日本でも同じ60年代に学生運動が繰り広げられたこと、その時代を背景として生まれた文学に強くひかれます」。

 

「そして1989年、1968年の軍事介入に抗議して1969年に焼身自殺したヤン・パラフという学生の追悼集会を当局が弾圧し、主催者の劇作家、ヴァーツラフ・ハヴェルを逮捕したことに抗議して市民や学生たちが運動を起こします。11月にドイツでベルリンの壁が崩壊したのを機に、チェコでも市民たちはついに民主化を勝ち取りました。流血なしに成し遂げたことからビロード革命と呼ばれているこの運動には、両親、とくに当時FAMU*の学生であった父は深く関わっていました。私たちは生まれてからずっと、祖父母や両親から社会を変えていこうとする市民や学生たちの運動の話を聞いて育っています」。

 

*Film and TV Faculty of the Academy of Performing Arts in Pragueのこと。チェコ・プラハの芸術大学で、音楽学部・演劇学部・映像学部の3学部から構成される。映像学部からは、第57回アカデミー賞作品賞はじめ8部門受賞をした「アマデウス」のミロス・フォアマンなどを輩出する名門校で知られる。

 


アンナ・ツィマ アンナ・ツィマ

背景は、アンナ・ツィマが自ら描いたイラスト。チェコ版の装丁にも使用されている。渋谷のセンター街を思わせるが、看板の文字は泉鏡花、坂口安吾、吉本ばなな、山田詠美など、すべて日本文学の作家の名前になっている。

 

 


自然災害の少ない国から、災害の多い国・日本を描くということ

明治から大正時代に生きたとする川下清丸という登場人物を掘り下げて考えたとき、作品の中で関東大震災に触れないわけにはいかなかったという。

 

「人生を変える運命的な出来事と言いますと、川下清丸は明治生まれの作家ですから、関東大震災を当然経験したはずだと思って、その出来事が彼の人生にどのような影響を与えたかを色々考えて書いてみました。ちなみにチェコは地震に襲われないので、『シブヤで目覚めて』をチェコで書いていた時、地震を経験したことがなかったのです」。

 

東日本大震災が発生した日、私はプロムという高校の卒業イベントに出席するための準備をしていました。そのときテレビを見ていたお母さんに『アンナ、大変なことが日本で起きた! 早く来て!』と大声で呼ばれました。メイクの途中ですっ飛んでいってテレビに映し出される惨状に呆然としました。『シブヤで目覚めて』を書き始めた数年後、地震という大きい悲劇をどのように描写すればいいかと色々考えた上、関東大震災を経験した方々の日記や思い出の中で、インスピレーションを探し、書きました。そして来日して初めて地震を経験したとき、今思えば小さな揺れだったのですが恐怖を感じました。作品の描写にもその体験を生かしています」。

シブヤで目覚めて シブヤで目覚めて

チェコ版の『シブヤで目覚めて』。


チェコの若い女性を夢中にさせた『シブヤで目覚めて』

 

チェコは人口1065万人の小国だが、『シブヤで目覚めて』は重版を重ねてすでに10,000部以上は売れたという。読者には若い女性が多く、インスタグラムに本の表紙の写真と感想が数多く投稿されている。

 

「読者から様々なコメントやご意見を頂くのは、いつも大変興味深く、励みになります。本の評価サイトにもコメントがたくさんついていて、詳しく読むとつぎの作品が書けなくなるかもしれない、と思うくらいです。だからあまり読まないようにしています。色々考えますと、この10年にわたって、作家と読者のコミュニケーションの取り方が大きく変わったはずだということにも気づきます。SNSにはコメントや評がたくさん寄せられているのに、出版社宛に届いたメールはたったの1通なんですよ(笑)

 

「夫のイゴールと私はチェコにもっと幅広く日本文学を紹介していきたい。ツィマの2人が訳した作品だったら、きっと面白いね、と日本の作品を読んでくれる人たちがもっと増えるといいな、と思いますね」。

 

チェコの若き文学者は、これからも日本との間にしっかりとした橋を架けていくにちがいない。

 

(敬称略)

 

 

→プラハからシブヤへ。アンナ・ツィマの軌跡(前編)へ


アンナ・ツィマ アンナ・ツィマ

アンナ・ツィマ  Cima Anna

 

1991年、プラハ生まれ。カレル大学日本研究学科を卒業後、日本に留学。『シブヤで目覚めて』で2018年にデビュー。同書でチェコ最大の文学賞であるマグネジア・リテラ新人賞、イジー・オルテン賞ほかを受賞し、注目を集める。

 

『シブヤで目覚めて』河出書房新社刊

チェコで日本文学を学ぶヤナは、謎の日本人作家の研究に夢中。一方その頃ヤナの「分身」は渋谷をさまよい歩いていて──。プラハと東京が重なり合う、新世代幻想ジャパネスク小説。装画:植田りょうたろう

アンナ・ツィマ 著 阿部賢一 須藤輝彦 訳 384ページ ISBN:978-4-309-20826-8

 

Text by Motoko Jitsukawa
Photography by Kelly Liu (amana)

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