料理家、細川亜衣の熊本の家

Lounge

Premium Salon

細川亜衣の五感に響く作り手たち

2019.5.14

1. 熊本から世界へ。その感性と世界観を発信する料理家・細川亜衣の料理のインスピレーションと、心惹かれるとき

10年前、細川亜衣は東京から熊本へ生活の拠点を移した。
そして彼女の料理はさらに研ぎ澄まされているようだ。
熊本の豊かな自然、新鮮な食材、郷土料理、伝統、そしてこの地で出会った多くの人々……。
それらのすべてが彼女の中で料理という形をつくって進化を遂げる。
いまの細川亜衣の料理のインスピレーションとなる4名がここプレミアムサロンで新たな形をつくり、そしてつながっていく。

トマトの茶わん蒸し トマトの茶わん蒸し

蒸したての茶碗蒸しに熱々のトマトの蒸し煮をかけて供する、トマトの茶わん蒸し。


文・細川亜衣

 

熊本に暮らすようになって、私の料理はより素材に耳を傾けるようになった。
東京にいた頃は、たとえば”トマト”であれば、今日はトマトをどうやって料理しようか、とひたすらに考え続けた。自転車に乗っていても、プールで泳いでいても、私の頭の中はトマトで占領され、どうやったら、よりおいしく、より食べる人の心を惹きつけることができるか、が一番の関心事だった。

料理家、細川亜衣のキッチンスペース 料理家、細川亜衣のキッチンスペース

流しの前の窓から差し込む優しい光が広がるキッチンスペース。ここは細川亜衣が選び抜いた、本当に必要でお気に入りの物だけ置かれている空間だ。

しかし、今は違う。市場でおいしそうなトマトを目にしたら、何も考えずに籠に入れ、家に連れて帰る。
そして、帰るなり袋を開けて、台所の台の上に置いたオリーブの木鉢にトマトを盛る。
すぐに料理することはあまりない。
時が過ぎ、台所の風景の一部となり、気がつくと真っ赤に追熟した頃にようやく、さて。となる。
トマトをつかむ。匂いを嗅ぐ。触ってどのくらいの弾力かを確かめる。
そうしてようやく私の頭の中に一つの料理のイメージが湧いてくる。
それでも、私は観察をやめない。ひたすら素材と対峙する。それが今の私の料理の在り方だ。

味わい深い熊本の野菜 味わい深い熊本の野菜

熊本の野菜はその味わいだけで料理をする。それは出汁すら余分と思えるほどだと細川亜衣は語る。


熊本の野菜はおいしい。
日本や世界のあちこちを旅を続けてみて、改めて思う。
だから、あえて、どうやったらよりおいしくなるか、と考えることはしなくなった。
どちらかといえば、何もしなくてもおいしいものを、自分が料理することによって駄目にしてしまうことがないように、心を配ることの方が大切だ。

からし蓮根の衣を活用した、南国サーモンとパプリカの黄金揚げ からし蓮根の衣を活用した、南国サーモンとパプリカの黄金揚げ

からし蓮根の衣を活用した、南国サーモンとパプリカの黄金揚げ。

そうして生まれる味には、どこか透明感があり、存在感がある。
力のない野菜では叶わないが、そのままでおいしければ、そのおいしさを伸ばしてあげる手助けができればいい。あからさまな作り手の作為を感じないように料理するということは、私が一番大切にしていることでもある。

 

渡辺薫子さんの菓子にも、同じく作為がない。それが、私が彼女の菓子を心底愛する理由だ。
姿は凛とした一輪の茶花のようで、人の思いや手がしっかりとかかってはいるが、まるで自然界から生まれ出てきたような、自然な風情を湛えている。
味わいは春のよもぎ餅であれば、よもぎの若葉の芽吹きそのものを、初夏の夏みかんゼリーであれば、緑の葉の合間にたわわになる橙色の甘酸っぱい実そのものを、私たちに気づかせてくれる。

 

坂村岳志さんの花も然り。
我が家の裏にある立田自然公園には、仰松軒(こうしょうけん)という茶室がある。
彼はそこで毎月花を生けては客人を招いている。森の散歩道で見つけた花や、我が家の庭で朽ちかけていた梅の大きな枝、はたまた路傍で他の植物に絡み合っていた蔓まで、彼の手にかかれば、生けたはずの花も枝もまるで自然の中にあるかのようだ。
しかし、目を凝らせば、そこには彼にしか成し得ることのできない、繊細で、尊いものが存在しているのがわかる。

熊本の野菜や果実、草や花や木は、日々私たちを鼓舞してくれる。
山と海に囲まれ、厳しい夏の暑さと冬の寒さ、そして、その中で生まれ育つものには、そこはかとない”生”が感じられる。料理や菓子、花を生業とする者にとって、これほど恵まれた土地もそう多くはないはずだ。

 

春、庭にまたたくさんの花や木を植えた。
いまはまだ幼い娘が、いつか、ともに大きく育った木々の中で、四季のいぶきを感じながら、彼女らしい何かを生み出してくれる日が来るだろうか。
その日を心密かに待ちながら、私は、料理とともに生きてゆきたいと思う。

 

→次回は渡辺薫子(パティシエ)です。

 

(敬称略)

Profile

細川亜衣 Ai Hosokawa
料理家

住まいのある熊本泰勝寺(taishoji)にて料理教室や衣食住にまつわるイベントを主宰。日本や海外の各地でも料理教室や料理会を行っている。今春、『果実』(リトル・モア)を刊行。その他の著書に、『食記帖』、『スープ』、『野菜』(すべてリトル・モア)、『パスタの本』(アノニマ・スタジオ)などがある。

https://www.taishoji.com

Photography by Yoshikazu Shiraki

Premium Salon

ページの先頭へ