非常が日常で、もう心が折れそう
9月21日の朝に激しい雨が降りました。小康状態になる時間帯もありましたが、翌日まで続きました。
能登半島の各所では、土砂崩れや河川の氾濫が発生。それにともない建造物や橋、車両や家財道具などが浸水、流出、倒壊する被害が起こりました。また、道路やライフラインが寸断され、孤立する地域や集落もありました。
元旦の地震に続く想像を絶する事態に、多くの人々が暮らしを脅かされ、困難に直面しています。
大混乱のなかにある能登半島。半月ほど経った今、輪島の市街地ではすこしずつ片付けや復旧作業が進み、支援も集まる一方で、道路の渋滞が起こっています。いつもは閑散としている道路や駐車場に、日本各地のナンバーの車があちらにもこちらにも並んでいるのです。迂回路を進もうとしても、倒木や土砂で通行止めが多く、ガタガタの道を行ったり来たり。変わり果てた町並みに言葉を失います。
「どうしてこんなことに⁉」と嘆いても、この感情の持っていき場が見当たりません。地震からの復旧復興に向けて歩んでいた皆さんの顔が曇っています。
土煙で白く濁った空気のなか、ふと見上げると秋の雲。目の前にあることにひとつずつ向き合い、自然の力に身をまかせるように生きるほかないと、この大雨を降らせた空に励まされ試されているような毎日です。
以下の原稿は、豪雨に見舞われる前のことを書いたものです。少しのんびりとしたトーンですが、お許しください。
夏と秋とのせめぎ合い
9月に入っても、気温30℃を越える日々が続きます。木々からは蝉の声、草むらからは虫の声。そろそろ南国へ旅立つツバメの群れが空を飛び交い、別れを告げるように鳴いています。
背丈ほどの芒(すすき)が茫々と伸びた原っぱで、交錯したその音色を聞いていると、夏と秋のせめぎ合いのさなかに立っていることを感じます。
地物市では新米や秋茄子の美味しいころ。ひと夏の間楽しんだ茗荷の子も、そろそろ名残りの時期です。例年であれば、白無花果が出回りコンポートにして楽しみます。そして、栗の実を甘露煮にしたり、お彼岸に合わせてお萩をつくったり、旬の紫蘇の実や「ズイキ」という里芋の茎で保存食をこしらえたり。
節句や雑節を迎え、季節が移ろうとともに自然に味覚も変化していくのですが、今年はそうともいきません。
「オランダ煮」と呼ばれている金沢の郷土料理。残暑には茄子の煮浸しと素麵がよく合う。
うすい緑色をした一口サイズの白無花果の実。やわらかな果肉とプチプチした種に涼やかな秋風を感じる。
漆掻き職人さんを訪ねて
残暑のなか、漆掻き職人の長平勇(ながひら いさむ)さんを訪ねました。
輪島の市街地からすこし離れたウルシの植栽地で待ち合わせをして「おう、元気にしとったか?」と、第一声が響きました。長平さんは爽やかで、変わらずに朗らかな笑顔でした。挨拶するなり、軽トラに積んでいた漆掻きの道具一式を携えて、颯爽とウルシの林のなかへ。そこには、植栽してから10年くらい経過したウルシの木が数本ありました。
どの木も幹がしっかりしていて、枝が勢いよく伸び、青々とした葉を広げ、照りつける日差しのもとで木陰をつくっていました。あたりには、柿や栗、梅といった広葉樹も生えていて、心地のよい風が吹いています。
もうすでにウルシの木にはたくさんの黒い傷跡が残っていて、9月9日に訪ねた時点では20本目。今シーズンは、よく晴れていたので漆掻きが順調に進み、木の生育状況もよかったので漆の採取量が多いそうです。
ウルシの木は、山に植栽されることが多いのですが、昔は田んぼの畦(あぜ)や人家の近くにも植えられていました。輪島のお父さん方からも、市販の接着剤が手に入らなかった時代には裏山にウルシの木を植えて、生活用品の修理など何かの折には木から漆を採って重宝したエピソードを伺ったことがあります。
ウルシは、かぶれることから今でこそ嫌厭(けんえん)されますが、ひと昔前までは人の暮らしとともにあった木なのです。さらに、古代まで遡ると漆は租庸調(そようちょう)の租税制度に含まれ、17世紀には加賀藩が能登国に「七木の制」という森林保護の法令を出してウルシをはじめとする木々の伐採を制限したそうです。
昭和時代の半ばまでは能登にも「掻きこさん」が多くいましたが、令和に入ってからは漆掻きを現役として輪島で続けているのは、長平さんおひとりになりました。
ウルシの木とともに生きる人
いよいよ漆を採取する作業のはじまりです。長平さんが幹に鎌で傷をつけると、その傷口からは漆液がじわじわとにじんできます。そして、その雫を一滴も採りこぼすまいと、箆(へら)で丁寧にすくい、「たかっぽ」と呼ばれる筒状の容器に集めていきます。木の根に近い傷からは、何度掻き採っても漆液があふれてきます。1本の木を掻き終えると次の木に移動しますが、タイミングを見計らって前の木に戻って、再びにじんできた漆を採取します。
幹に漆鉋(うるしかんな)で傷をつけていく。表皮と材部の間に漆の通る道(漆液溝)があり、ここを切ることで傷口から漆がにじみでてくる。
傷口からにじむ漆を箆で掻き採り、「たかっぽ」のなかへ溜めていく。時間とともに漆の質がどんどん変化していく。
一連の作業からは、言葉では言い表せない長平さんの哲学を感じます。黙々と作業するその姿は、自らの心をさらけ出し、木の生命力そのものと対話しているようです。この風土で生きる人々が漆とともに歩んできた原点が、まさにここで脈々と繋がっていると、はっと気づかされました。
元旦の地震で長平さんのご自宅は倒壊してしまい、田んぼでの農作業もできなくなり、現在は仮設住宅で暮らしているそうです。そして、輪島市内にある数か所の植栽地に通い、今年は40~50本の漆掻きを行っているとのこと。長平さんの泰然自若(たいぜんじじゃく)とした姿勢、能登の大地に寄り添いまっすぐ根を張るようなたくましい生きかたに、頭が下がる思いです。
作業が終わったあと、足元に落ちていた毬栗から実を拾って、お土産にいただきました。夜ごはんにゆっくりと滋味を味わいました。
掻き採ったばかりの漆は乳白色。そのなかにも透明感のある液や鮮やかな色の液が入り混じっていた。漆が空気に触れて硬化しはじめると、茶褐色へと変色していく。
一度掻き採ったあとも、木の根に近い傷口からはじわじわと漆が滴っている。先ほど掻いた木にも心配りをしながら次の木へと移り、無駄なく手際よく作業を進める。
この季節に食べたくなる栗ごはん。ほくほくとした栗の実は、口のなかでほろほろと崩れていく。
午後6時前には日が暮れるようになってきました。暗くなる前のつかの間に、秋の雲を眺めてリフレッシュ。
夜、雲間に月を見つけ、しばし足を止めます。9月下旬に入ると、ようやく暑さが収まってきました。
photography by Kuninobu Akutsu
秋山祐貴子 Yukiko Akiyama
神奈川県生まれ。女子美術大学付属高校卒業。女子美術大学工芸科染専攻卒業。高校の授業で、人間国宝の漆芸家・故松田権六の著作『うるしの話』に出合ったことがきっかけとなり漆の道に進むことを決意する。大学卒業後、漆塗り修行のため石川県輪島市へ移住する。石川県立輪島漆芸技術研修所専修科卒業。石川県立輪島漆芸技術研修所髹漆(きゅうしつ)科卒業。人間国宝、小森邦衞氏に弟子入りし、年季明け独立。現在輪島市黒島地区で髹漆の工房を構えた矢先に、1月1日の震災に遭遇する。
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『輪島便り~星空を見上げながら~』とは…
輪島に暮らす、塗師の秋山祐貴子さんが綴る、『輪島便り~星空を見上げながら~』。輪島市の中心から車で30分。能登半島の北西部に位置する黒島地区は北前船の船主や船員たちの居住地として栄え、黒瓦の屋根が連なる美しい景観は、国の重要伝統的建造物群保存地区にも指定されてきました。塗師の秋山祐貴子さんは、輪島での16年間の歳月の後、この黒島地区の古民家に工房を構え、修復しながら作品制作に励もうとした矢先に、今回の地震に遭いました。多くの建造物と同様、秋山さんの工房も倒壊。工房での制作再開の目途は立たないものの、この地で漆の仕事を続け、黒島のまちづくりに携わりながら能登半島の復興を目指し、新たな生活を始める決意を固めています。かつての黒島の豊かなくらし、美しい自然、人々との交流、漆に向ける情熱、そして被災地の現状……。被災地で日々の生活を営み、復興に尽力する一方で、漆と真摯に向き合う一人の女性が描く、ありのままの能登の姿です。
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