地震のほとぼり冷めやらぬままに
令和7年元旦の朝、目覚めると外は明るく、日差しが輝いていました。日本海側の能登半島では、こんなにあたたかなお正月は珍しく、嬉しくなって出掛けました。
煌めく水平線を眺めながら、仮設住宅から歩くこと15分。道中では、風と波の音が響いています。石段を上った小高い丘にある黒島の若宮八幡神社へ辿り着くと、境内は1年前の地震で被災したままの状態で、社殿の倒壊を防ぐために応急処置がされています。地震のあと、手つかずのまま雨ざらしになっている建造物や温度を失った調度品を眺めていると、複雑な思いがこみあげてきます。


元旦の若宮八幡神社。ひっそりと静まり返り、凛とした空気が漂っている。


地震で大きく被災したあと、余震や風雨などの影響で傾き続けている社殿。建築関係の方々のご尽力により、昨秋に応急処置が行われた。
故郷からの船出
昨年の暮れ、近所の道端で90歳を過ぎたおじいちゃんに出会いました。狭い路地を行き来している姿に「おじいちゃん、どうしたの?」と声を掛けると、「あんた誰?」という返事。お互いの近況を立ち話しているうちに、おじいちゃんは地震後に金沢の施設で暮らしはじめ、その日は自分の家を見に黒島へ帰ってきたということが分かりました。
自力で金沢駅から輪島ゆきの特急バスに乗り途中の停留所で降りたあと、近隣を走る路線バスが廃止されているために、やっとの思いで黒島に辿り着いたとのこと。自分の家ではもう暮らせないから、知人の家に一晩泊めてもらい翌日金沢へ戻ること。達者な受け答えから、この地に生きてきた矜持が伝わってきました。


路線バスを待っていても、もう来ない。バス停の標識は倒れたまま。地震の影響で、地域の交通網も今まで通りとはいかない状況が続いている。
寒風吹きすさぶなか、冴えた青いダウンコートを着て歩くおじいちゃん。その言葉の端々には、どうすることもできないことへの諦めの潔さがありました。一方で、想いのつまった故郷や見納めになるかもしれない家との別れに対して、決して哀愁に満ちた表情を見せるまいと気丈に立ち振舞っているようにも感じました。
混沌とした日常に輝きを
おじいちゃんのように、二次避難したあと故郷に帰着して暮らすことの難しい住民や、新天地へ移らざるをえない住民も増えています。この地に根づいていた方々が、2007年の能登半島地震からの復興に向けて歩んでいらっしゃったからこそ、地域の伝統や気風を受け継いだ文化が残ってきたと思うのです。町のコミュニティのなかに通っていた血管や細胞の一部がうまく機能しなくなっていくようで、胸が張り裂けそうです。
森のなかで枯れた古木からひこばえが生えてきたり、他の生物が古木を栄養にすることで新たな命が芽生えたりするように、この町は再生していくことができるのでしょうか。言葉で夢を語ることはできても、住民の現実はまだ混沌としています。神社で手を合わせたあと、水のない港や耕す人のいない畑を眺め、枯野に咲く水仙を摘んで帰りました。


冬の原っぱで花開く水仙。春夏秋冬移ろいゆく野原の景色に、命あるものそれぞれに時節や尺度があるのを感じる。
亡き人とともに歩む
元旦の夕方には雨が降りはじめ、地震の発生時刻である16時10分を迎えると、市内に黙祷のアナウンスが流れました。心のなかには亡き方々の面影が浮かび、懐かしい声がこだまします。目には見えないけれど、語り合っていた世界を目指すことで、繋がっていけるような気がします。
部屋に生けた水仙からは甘い香りが漂い、前を向く勇気をそっと届けてくれます。輪島の地で水仙は、雪中花。12月に蕾をつけたり開花したりしても、積雪が多くなると雪のなかで越冬して、春になると再び花を咲かせます。その凛とした佇まいと強い生命力から、どんなかたちであれ命が循環していく定めを信じずにはいられません。
けじめとリミット
令和6年の大みそかに地震で被災した家から、荷物の運び出しを終えました。仮設に入居したということは現時点の規約で、あと1~2年の間に再建の地を定め、ここを出ていかなければならないということにもなります。生きていくうえでの優先順位を検討して、選択せざるをえない状況がせまってきます。


「コミサポひろしま」の方々による、黒島の古民家の応急処置作業。命綱をつけて、雨漏りする屋根の瓦を1枚ずつ地上へ降ろしていく。
新しい年は暮らしの基盤を整えながら、どのように生きるかを考えていきます。とは言っても、今ここでできることを精一杯やって、与えられた役割を果たしていった先にある光を追いかけていくことしか思いつきません。
空き家をめぐる変化
地震前の輪島であったなら、空き家対策や活用が地域課題になるほど沢山の軒数がありました。地震や豪雨の災害後に住むことのできる空き家はぐんと減った一方で、復興に向けた需要が増え、現在は空き家バブルが起こっています。
いったんは私も、被災して住むことのできない黒島の古民家を修理し、自宅兼工房として住もうとしました。しかし、能登には工事業者さんや人手が少なく、家の応急処置をしようにも、修理の見積もりをお願いしようにも、実際に工事をしようにも長い行列がついていて、いったいいつ住めるようになるか見通しが立ちません。季節がめぐるうちに、雨漏りで傷んだ家がさらに朽ちていき、日常生活を送ることを考えていくと途方に暮れます。
今の能登半島に必要なのは、公費解体、家やライフラインの工事を進めるマンパワーです。昨年末に能登半島を一周する国道249号線が全線でいったん復旧できたのも、崩落した危険な現場で工事にあたってくださった方々のご尽力があったからこそ。


日中は町の至るところで、重機が稼働していて、荷物を積んだ大型のトラックが行き交っている。
もはや地元の人々の力や今までの慣習に基づいた在りかたでは復旧復興することは難しく、能登半島の外からのエネルギーや刺激がなくてはこの地域が立ち行かない雰囲気が漂っています。しかし、工事を進めてくださる方々の拠点や宿舎としての空き家が多く必要になると競争が起きやすく、地元住民との間にアンバランスな状態が起きている様子も耳にします。
寒の内は仕込みのとき
本格的な寒さを迎えるこの時期は、これからはじまる新たな1年を思い描く仕込みの時期です。例年であれば、輪島の神社で開かれる左義長(さぎちょう)で、目が覚めるような真っ赤な炎を前に無病息災や豊作などを祈ります。能登では荒天が続いて日照時間が少なくなり、家仕事の楽しみも増えます


左義長のあと、雪道を歩いて帰ってきたら、おしるこを食べてあたたまる。
例えば、鏡開きや小正月の日には小豆を炊いてつくったおしるこやお粥、寒仕込みの味噌づくり、旬の山海の食材を糀で漬け込んでつくるかぶら寿司。この季節につくる糀を使った料理は、発酵がゆるやかに進むので、味わいが深く豊かになります。その見た目はまるで淡雪のようで、雪国の暮らしにぴったり合います。


かぶら寿司は、輪切りにした蕪の間に鯖や鰤などの切身をはさんで糀で発酵させた、なれ寿司。仕込んだあと日を重ねるごとに、味わいも変化していく。


photography by Kuninobu Akutsu
秋山祐貴子 Yukiko Akiyama
神奈川県生まれ。女子美術大学付属高校卒業。女子美術大学工芸科染専攻卒業。高校の授業で、人間国宝の漆芸家・故松田権六の著作『うるしの話』に出合ったことがきっかけとなり漆の道に進むことを決意する。大学卒業後、漆塗り修行のため石川県輪島市へ移住する。石川県立輪島漆芸技術研修所専修科卒業。石川県立輪島漆芸技術研修所髹漆(きゅうしつ)科卒業。人間国宝、小森邦衞氏に弟子入りし、年季明け独立。現在輪島市黒島地区で髹漆の工房を構えた矢先に、1月1日の震災に遭遇する。
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『輪島便り~星空を見上げながら~』とは…
輪島に暮らす、塗師の秋山祐貴子さんが綴る、『輪島便り~星空を見上げながら~』。輪島市の中心から車で30分。能登半島の北西部に位置する黒島地区は北前船の船主や船員たちの居住地として栄え、黒瓦の屋根が連なる美しい景観は、国の重要伝統的建造物群保存地区にも指定されてきました。塗師の秋山祐貴子さんは、輪島での16年間の歳月の後、この黒島地区の古民家に工房を構え、修復しながら作品制作に励もうとした矢先に、今回の地震に遭いました。多くの建造物と同様、秋山さんの工房も倒壊。工房での制作再開の目途は立たないものの、この地で漆の仕事を続け、黒島のまちづくりに携わりながら能登半島の復興を目指し、新たな生活を始める決意を固めています。かつての黒島の豊かなくらし、美しい自然、人々との交流、漆に向ける情熱、そして被災地の現状……。被災地で日々の生活を営み、復興に尽力する一方で、漆と真摯に向き合う一人の女性が描く、ありのままの能登の姿です。
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