「じんのび」の季節。ゆっくりと深呼吸して
日が長くなるにつれ水平線が一段と輝き、風が山海の生命力に満ちた香りを運んできます。深呼吸すると、緊張がゆるみ、ほっこりとした気持ちになります。地震の後には、春を心から楽しめない感覚が続いていました。しかし、そのピリピリとした雰囲気、危機感や悲愴感も、すこしずつ和らぎつつあるように感じます。
能登には「じんのび」という言葉があって、ゆったり、のんびり、まったりというような意味合いがあります。まさに、芽吹きから新緑にかけての能登半島は「じんのび」の季節。時が来て旬の草花が芽吹くように、いつしかどんな物事も状況も移ろっていく…今ここでできることに向き合い、今日も淡々とあゆめたらと願う毎日です。
新緑のまぶしい季節、山の斜面では蔓日日草(ツルニチニチソウ)が風にそよぎ、鳥達のさえずりが響き渡ります。
桜の季節が終わると、木香薔薇(モッコウバラ)を皮切りに、色とりどりの薔薇が目を楽しませてくれます。
混沌のなかから黒島町らしさを再考
令和6(2024)年4月1日に有志による自主的な集まりとして発足した「黒島みらい会議」の活動。町の中心に建つ「かぞく會館(旧森岡家)」で定例会を開き、地震後の町の課題について話合いを続け、二次避難者帰還促進事業などを行ってきました。
町の将来ビジョンについてもじっくりと議論を重ね、黒島町に残したいものとして「北前船の歴史と自然の営みを感じる海と夕陽」、こうありたいと考える町の姿として「重伝建の歴史文化を伝え育み、穏やかに暮らす町」を共通認識として掲げることになりました。ゆっくりと一つひとつの言葉を洗い出す作業は、まさに黒島のエッセンスを抽出しているような時間でした。
地震後に二次避難者が自宅に帰れるようにと、「黒島みらい会議」では住宅相談や調査を進めてきました。
町のメインストリートにある、かつて廻船問屋だった角海家の住宅(右)。周辺には公費解体工事による更地が増え、あたりの雰囲気がすっかり変化しています。
町に希望の光を灯す
この「黒島みらい会議」の活動の中心となって事務局を運営してくださっている黒澤卓央さん、恵三子さん。能登半島に魅力を感じ、令和元年に輪島市へ移住されました。これまで海外での生活が長かったこともあり「外国人に日本のよき文化や原風景を伝えたい」という想いのもとに、日本中の色々な場所をめぐり移住先を探したそうです。そして、5年かけて辿り着いたのがこの黒島町でした。
地域おこし協力隊としての活動と合わせ、町の古民家を活用した長期滞在型の宿泊施設「ハナカイジチ」と「船員住宅」をオープン。また、「かぞく會館」では、訪問者と地域の交流の場としてカフェと、地域の歴史文化を伝えるギャラリーを運営していらっしゃいます。
「かぞく會館(旧森岡家)」と黒澤さんご夫婦。
「かぞく會館」には、黒島にゆかりのある品々や古今東西の調度品がしつらえられています。この雰囲気のなかで、ふだんはゆっくりとお茶をすることができます。©Asaph Cleto
カフェのおすすめは、
令和6年元日はこの宿泊施設に外国からのお客さまが滞在していて、地震直後は黒島公民館で夜を明かしました。情報もなく能登半島全体で混乱が続くなか、ご自身も被災された状況でありながら黒澤さんご夫婦は車を運転し、金沢へ向けて平常時は1時間半の道のりを6時間半かけてお客さまを送り届けられたそうです。その直後から能登-金沢間を往復し黒島公民館へ必要な支援物資を運搬したり二次避難者を送迎したりするボランティア、支援物資が行き届かない自宅避難をしている住民の見守りも続けてこられました。さらに、この2年間に渡り「黒島みらい会議」の活動の全てを支えてくださいました。
「黒島みらい会議」の活動、その先に
黒澤卓央さんは事務局長や相談窓口として、この活動に向き合い続けてきた動機として、「一般的な考えかたとしては一事業者の場合は自分のことだけ考えていればいいのかもしれないけど、私としては自分がここで事業をやる以上、町がしっかり今後も健全に生きていくのが重要だと思っていて。だから黒島みらい会議を続けてきた。」と語られます。
地震直後から目の前に横たわる様々な課題について、先を見据えたうえで解決に向けて旗を振り、公私を問わず辛抱強く取り組んでこられたご夫婦。「この2年の間に色んな住宅の相談をしながら、町の未来に向けて皆の共通の目標となる言葉をつくれたことが、ひとつの大きな成果」と振り返りながら、「その言葉(将来ビジョン)に向けて、人それぞれに思うやりかたで、これからのまちづくりを進めていけたらと思う。」と今後の活動を思い描いていらっしゃいます。
家々が肩を寄せ合うように立ち並び、艶のある黒い瓦屋根が重なり合うように見える景色は、この町並みの奥ゆかしい美しさのひとつ。
家の記憶や風土の歴史を辿るように、未来を描く
この「黒島みらい会議」の定例会が開かれてきた「かぞく會館(旧森岡家)」では、かつて「森岡屋」という屋号で廻船問屋が営まれていました。江戸時代に栄えた北前船は、目の前に広がる海という大きな道を通じて、外の世界と交流をしていました。当時は大本山總持寺(現在の總持寺祖院)に輪住制と呼ばれる全国から住職が北前船に乗り赴任してくる制度があり、「森岡屋」が總持寺の御用北前船船主を務めていたそう。遠方からの住職一行が黒島に寄港すると、この場所で身支度を整えた後に大名行列の格式で總持寺へ赴いたという由縁があります。時代を経て交通網や生活様式が変わり、その後の森岡家では「家族會館」という写真館が開かれ、地域の人々が集まり記念写真を撮影する場所になっていたそうです。
かつてはこの海原に船が停泊し、様々な人や文化が行き交っていた景色に思いを馳せていると、悠久のときの流れを感じます。
「森岡屋」から「家族會館」、そして「かぞく會館」へ。歳月が流れてもなお、人の交流や文化を育む気風がここには変わらずあります。ご夫婦が地震前から積み重ねてこられた地域おこし協力隊の活動、町の皆さんの困りごとに対応される人柄や細やかな気遣いがあるからこそ、ここでは町の内外との連携が育まれ、今日も色んな方々が訪ねてきます。家の記憶や風土の歴史を辿るように、かぞく會館では交流を通じて地域の文化や精神的な価値観が熟成されていきます。黒島町には、次の時代に向けて新しいかたちで伝統が生き続ける可能性が秘められているよう感じます。
たくさんの小さな白い花が寄り添うガマズミ。その花はレースのように繊細で美しく、初夏の日差しのもと、若葉とともに輝いて見えます。
photography by Kuninobu Akutsu
秋山祐貴子 Yukiko Akiyama
神奈川県生まれ。女子美術大学付属高校卒業。女子美術大学工芸科染専攻卒業。高校の授業で、人間国宝の漆芸家・故松田権六の著作『うるしの話』に出合ったことがきっかけとなり漆の道に進むことを決意する。大学卒業後、漆塗り修行のため石川県輪島市へ移住する。石川県立輪島漆芸技術研修所専修科卒業。石川県立輪島漆芸技術研修所髹漆(きゅうしつ)科卒業。人間国宝、小森邦衞氏に弟子入りし、年季明け独立。現在輪島市黒島地区で髹漆の工房を構えた矢先に、1月1日の震災に遭遇する。
関連リンク
『輪島便り~星空を見上げながら~』とは…
輪島に暮らす、塗師の秋山祐貴子さんが綴る、『輪島便り~星空を見上げながら~』。輪島市の中心から車で30分。能登半島の北西部に位置する黒島地区は北前船の船主や船員たちの居住地として栄え、黒瓦の屋根が連なる美しい景観は、国の重要伝統的建造物群保存地区にも指定されてきました。塗師の秋山祐貴子さんは、輪島での16年間の歳月の後、この黒島地区の古民家に工房を構え、修復しながら作品制作に励もうとした矢先に、今回の地震に遭いました。多くの建造物と同様、秋山さんの工房も倒壊。工房での制作再開の目途は立たないものの、この地で漆の仕事を続け、黒島のまちづくりに携わりながら能登半島の復興を目指し、新たな生活を始める決意を固めています。かつての黒島の豊かなくらし、美しい自然、人々との交流、漆に向ける情熱、そして被災地の現状……。被災地で日々の生活を営み、復興に尽力する一方で、漆と真摯に向き合う一人の女性が描く、ありのままの能登の姿です。
Premium Japan Members へのご招待
最新情報をニュースレターでお知らせするほか、エクスクルーシブなイベントのご案内や、特別なプレゼント企画も予定しています。
Lounge
Premium Salon
輪島便り~星空を見上げながら~ …
Premium Salon


















