山科家は平安時代末期より、公家の家職として宮中装束の誂えと着装法を担う「衣紋道(えもんどう)山科流」を、京都の地で受け継いできました。初代より30代を数える若宗家、山科言親(ときちか)さんが、宮中や公家社会で行われてきた折節の行事や、連綿と伝えられたてきた文化などを、山科家に残る装束や古文書などともに、繙いていきます。
円山公園は母方の邸宅のあった場所。先祖も眺めていた枝垂桜
皆様が心に思い描く、身近な桜や思い出の桜は、どこの桜でしょうか。私にとって京都の桜でとりわけ思い入れがあるのは、祇園の円山公園にある「祇園枝垂桜」です。この桜は享保2年(1727)に植えられ、昭和22年(1947)に枯れた後、現在は2代目となっています。
枝垂桜の下には京都市の設置した由緒書きがあり、元々は祇園社(現在の八坂神社)の執行(社務を掌る家)である寶寿院(ほうじゅいん)の邸宅にあったものと紹介があります。私の母方はこの寶寿院の家系にあたり、神仏習合であった祇園社が廃仏毀釈となった後に邸宅が公園となるまでは、先祖が毎年眺めていた場所になるのです。


明治期頃の円山公園の祇園枝垂桜の様子が分かる貴重な写真です。この当時はまだ初代の桜ですが、枝ぶりに勢いがあるように見受けられます。多くの見物人も写っており、昔も変わらず人気の場所であったことが分かります。
近年、江戸時代に祇園社から株分けされて現在もそのまま生きている桜が、福岡県の英彦山にある守静坊にて存在していることを教えて頂きました。おそらくは当時に往来していた修験者が持ち帰ったのではないかと考えられます。歴史ある桜が繋いでくれた不思議なご縁を頼りに、是非とも現地へ訪れてみたいと思っています。


昭憲皇太后所用の小袿の一部分です。文様は雲立涌文の地に破れ小葵文と鳳凰丸文という格式高い有職文様の組み合わせです。光沢のある絹糸でゆったりと優雅に織り成されています。
京都では、4月(旧暦の3月)までお雛様を飾る家が多く見られます
さて、桃の節句(上巳の節句)の頃になると雛人形を飾る風習がありますが、京都では本来飾られていた時季である桃や桜が咲く4月(旧暦の3月)になる頃まで飾っているところが多くあります。昨今は行政や地域を挙げて雛人形が飾られ、町おこしにも一役買っているようです。生活様式の変化などで各家庭で飾られなくなった人形の寄贈が増加していることも一因で、各地で歴史ある人形が沢山拝見できるという嬉しさの反面、少し寂しさも感じます。
かつて子供が育つことが大変であった時代、雛人形は単なる美しい飾りというだけでなく、厄払いをするという切実な祈りがより一層込められていました。その思いに応えるべく、分業で精緻な技術をもって制作された人形にはいつも目を見張るものがあります。


山科伯爵邸源鳳院にて開催された、昨年の雛人形展の様子。公家に好まれた有職雛を中心に、添え人形や享保雛など様々な江戸時代の人形を併せて飾りました。




雛は古くからよく画題となりますが、このような有職雛の様子が描かれる作例は稀です。雛の図は復古大和絵の画家である冷泉為恭(1823-1864)が描き、装束の描写などが細かい筆致です。和歌の賛は綾小路有長(1792―1881)により、「むつまじの姿なりけりゆくすえを ちぎる高砂すみの江のまつ」と記されています。激動の同時代を生きた者の合作である思うと感慨深いものがあります。©Yamashina
江戸中期には、自分たちの生き写しのような雛人形が、公家社会に好まれ始めました
当たり前のようですが、雛人形は基本的に宮中の装束姿で制作されています。江戸時代を通じて現在のような雛人形の文化が普及するにつれて、公家文化に対するイメージや憧れが形成されていきました。代々装束を扱う家職を担う者にとって、雛人形が様々な装束を着ている姿は、その当時の人々が公家社会に対して持っていた意識や風俗考証について知る上で、重要な史料となります。
特に「有職雛」と呼ばれる種類の人形は、装束を家職とする山科家や高倉家の監修のもと調進され、当家にも雛人形の装束の寸法書きなどの文書が残されています。「有職」という言葉が付されるのは、朝廷の儀礼に関して必要な知識に通じていることを意味し、有職雛は実際の公家の装束の色や文様、化粧のなどのしきたりに則って忠実に制作されました。江戸中期の宝暦8年(1758)に、山科家から近衛家に納められる予定の雛人形を見物した公家が、実際の大人の着る装束と違いがない出来であったと記録していることからも、この頃には自分たちの生き写しのような人形が公家社会に好まれ始めたことが知られます。
有職雛の優品は代々皇室や公家の子女が入寺した尼門跡寺院や、公家と婚姻関係を結んだ大名家ゆかりの博物館等で所蔵されています。寳鏡寺(ほうきょうじ)の人形展や京都国立博物館での恒例展示では他の種類の雛人形と比較しながら見ることができますのでお薦めです。


小袿に緋長袴という略礼装の女房装束を着た姿で、髪の毛の結い方や眉の描き方など、実際の公家の女性が行っていた風俗を忠実に再現しています。小袿にみえる色は紅・萌黄・紫の組み合わせで、「紅梅重」と呼ばれる重ね色目です。©Yamashina
等身大の雛人形を作り、その衣裳を公家自ら着用した古写真もあります
幕末の朝廷でも雛人形へのこだわりは続きました。当家24代言成の日記『言成卿記』には、仁孝天皇が皇女和宮へ下賜される雛を調進した際に、雛人形の装束の着装(衣紋)を天皇の御前で奉仕するようにご下命があった旨が記されています。人形の着姿へも細やかな配慮が存在していたわけですが、実際にどのように人形に着せ付けるところをお見せしていたのか想像すると興味深いところです。
同じく『言成卿記』によると、次代の孝明天皇はとりわけ人形を好まれ、天皇がお飾りになるお慰みの雛人形を制作する段階から、その装束の仕様について細やかに注文をされていた様子が記録されています。さらに驚くべきことに孝明天皇の時代に作られた等身大の雛人形の装束を、上冷泉家22代当主為系夫人が着た姿とされる古写真も現存しており、節句に飾られる雛の領域に留まらない存在として、人形の文化が大いに発展していたことを窺い知ることができます。


上冷泉家22代当主為系夫人が十二単を着ている姿です。写真の裏書きによると「着用ノ服ハ孝明天皇ノ御時代の雛人形ノ服ナリ」とあります。等身大の人形が着ていた装束を使用して衣紋の稽古を行った折の記念写真です。戦前までは御所の古物を現役で使用しており、江戸時代がまだ近い感覚であったことが分かります。©Yamashina
3月の公家社会の恒例行事は、なんと「闘鶏」でした
ところで、先祖の日記や宮中の年中行事に関する史料を見ると、意外にも雛人形を飾ることについて表立って出てくることは少なく、あくまでも奥向きの行事としての認識であったようです。ではこの時季の恒例行事に何があったのか調べると、現在のような人形が登場するよりかなり前から「闘鶏」が行われていたことが記録に残されています。古代中国に起源があり奈良時代から宮中で行われており、その遊興性からかなり人気の高い行事のひとつでした。
鶏合せとも言い、花合せや扇合せといった、お互いに物を持ち寄って品評しあう物合せの部類にはなるものの、闘牛などにみられるように競技的な趣向の強い文化です。私自身は実際に見たことがないのですが、それもそのはずで日本をはじめ世界的には賭け事の防止や動物愛護の観点から禁止している国が多く、一方で東南アジアや南米の一部では合法とされているそうです。
「無念、無念……」闘鶏に負けて悔しがっていた、山科家の先祖
前回も少しご紹介した先祖の日記『言継卿記』にも宮中で行われた闘鶏の様子が記されています。
享禄2年(1529)3月3日条
「今朝参内、御闘鶏在之、被参候輩實世朝臣、予(下略)、鶏十七八候了、予鳥也、従野村郷如例年持来候了、予鶏落候、無念々々」
これによると朝から宮中へ廷臣達が参内し、鶏が17、18羽ほどあり、この鶏は予(言継)が用意したようです。この鶏たちはどこから調達したのかというと、山科家の荘園の山科野村郷から例年到来しており、京都近郊の農村が年中行事を支えていたことが分かります。この時の闘鶏では言継自身の鶏は負けてしまったようで、無念であると感想が述べられています。一喜一憂しながら楽しむという当時の宮廷行事の雰囲気を感じる一幕です。




復古大和絵派の高久隆古(1810―1858)筆。御所の満開の桜の下で闘鶏を見物する群衆が臨場感ある構図で描かれています。©Yamashina
同じ季節を代表する行事の中でも、まだ身近に行われている文化がある一方、既に絶えてしまった文化もあることを改めて考えさせられます。時が循環して咲く桜を見ながら、時代や環境の変化と共に人間が紡ぐ文化の行く末に思いを馳せました。


山科家の江戸時代の年中行事を月毎に列挙してまとめたものです。「御役所」というのは家の家政機関のことで、内容は家来が書き綴っています。明治5年の改暦に際して一部が墨で塗りつぶされるなどしており、暦の変化の影響もうかがい知れる史料です。


山科言親(やましなときちか)/衣紋道山科流若宗家。1995年京都市生まれ、京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程修了。代々宮中の衣装である“装束”の調進・着装を伝承している山科家(旧公家)の 30 代後嗣。 三勅祭「春日祭」「賀茂祭」「石清水祭」や『令和の御大礼』にて衣紋を務める。各種メディアへの出演や、企業や行政・文化団体への講演、展覧会企画や歴史番組の風俗考証等も行う。山科有職研究所代表理事、同志社大学宮廷文化研究センター研究員などを務め、御所文化の伝承普及活動に広く携わる。
Photos by Azusa Todoroki(bowpluskyoto)
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