外観開業時

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オークライズムを紐解く12の扉

2019.8.2

5. 大倉喜七郎が目指した、日本の美と文化を世界に発信するホテル

2019年9月、新しい時を刻み始める「The Okura Tokyo」。新しいオークラは「オークラヘリテージウイング」と「オークラプレステージタワー」の2棟からなり、オークラの真髄や伝統は継承されつつ、さらなる進化を遂げるという。オークラの魅力を再確認し、新しいThe Okura Tokyoの姿に迫る12のストーリー。

世界の著名人もこよなく愛するホテルオークラ東京。
それは大倉喜七郎が人生を懸けた事業でもあった。

東京オリンピック開催の2年前、1962年(昭和37年)5月20日に「世界に通じる日本の美と心」をテーマに掲げ、国際的な日本の超高級ホテルとしてオープンしたホテルオークラ。自らの家名を冠したこのホテルの建設を決意したのは、明治・大正期の実業家として知られる大倉喜八郎の長男で、大倉財閥の二代目、大倉喜七郎だった。

趣味人として知られる大倉だが、横山大観をはじめとする日本画家やオペラ歌手など多くの才能を支援し続けていたことも有名な話だ。 趣味人として知られる大倉だが、横山大観をはじめとする日本画家やオペラ歌手など多くの才能を支援し続けていたことも有名な話だ。

趣味人として知られる大倉だが、横山大観をはじめとする日本画家やオペラ歌手など多くの才能を支援し続けていたことも有名な話だ。

大倉喜七郎は1882年(明治15年)生まれ。財閥の御曹司として何不自由なく育った彼は18歳で英国に留学、かの地で7年を過ごすなかで、ボートやスキー、自動車、美術、音楽など、文化全般に造詣を深めた。華麗な私生活で知られた大倉は「バロン(男爵)・オークラ」とも呼ばれていたという。そんな彼が父亡き後に受け継いださまざまな事業のうち、特に力を入れていたのが、自らが生まれた年に開業した帝国ホテルなどのホテル事業。しかしながら、敗戦後は財閥解体により公職を追放され、全てを手放すこととなった。1951年(昭和26年)の追放解除後、大倉はかつて自らが経営していた帝国ホテルへの復帰を希望。これは実現しなかったが、彼のホテルへの未練は断ち難く、1958年(昭和33年)には「世界一のホテルを作る」と、資本金10億円を集め、新ホテル建設のための会社を設立する。


1年半の工期を経て完成したホテルオークラの全景。東翼、南翼、北翼の三翼からなる三ツ矢式建築はホテル初。 1年半の工期を経て完成したホテルオークラの全景。東翼、南翼、北翼の三翼からなる三ツ矢式建築はホテル初。

1年半の工期を経て完成したホテルオークラの全景。どの客室からも窓外の景色が眺められるようにアウトサイドルームとし、東翼、南翼、北翼の三翼からなる三ツ矢式建築はホテル初。

ホテルの建設場所は、江戸時代には前橋藩主・松平大和守の上屋敷があった赤坂葵町3番地(現・虎ノ門2-10-4)。明治維新後しばらくの間は内務省地理寮として使われていたが、1878年(明治11年)に父・喜八郎が段階的に購入したものだった。ここには大倉が生まれ育った邸宅のほか、大倉家のコレクションを収めた日本初の私立美術館「大倉集古館」があったが、この集古館以外の部分がホテルの建設用地となった。

 

この時、大倉は76歳。翌1959年(昭和34年)には、財閥解体に携わる持株会社整理委員会の委員長であった野田岩次郎を社長に抜擢し、3年でホテルオークラの開業に漕ぎ着けている。野田は『私の履歴書』(日本経済新聞に連載)の中で、この大役を引き受けた際のことを「現在、日本にあるホテルは全部欧米の模倣であって日本の特色を出していない。(中略)私がホテルを任されたら、日本の文化、美術、伝統を取り入れたものにしたいと言い、大倉さんとも完全に意見が一致した」と振り返っているが、その後3年をかけて完成に漕ぎ着いたホテルオークラは、まさにその言葉通りのホテルとなった。大倉は1963年、80歳で死去。「変なものを作ったら50年でも文句を言うよ」と言っていたという彼は亡くなるまで1年弱の間、ホテルに部屋を持ち泊まっていたそうだが、野田は「一度も文句を言わず、むしろ喜んでおられた」と前出の連載で書いている。

 

(敬称略)

Text by Shiyo Yamashita
Photography by © The Okura Tokyo

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