本阿弥光悦ゆかりの地に立つのが「アマン京都」である。文句なしに素晴らしい施設に華を添えるのは、日本料理「鷹庵」だ。そこでは、ミシュラン2つ星シェフが繰り出す品々に、圧倒され尽くす体験が待っている。
洛北の鷹峯(たかがみね)の麓に位置する「アマン京都」
江戸時代初期の数寄者として、当代と後世に、とてつもない影響を与えた本阿弥光悦が棲んだ地こそが鷹峯村(光悦村)だった。
光悦はご存知のように、家業は刀剣の鑑定と研磨と浄拭(ぬぐい)である。と同時に、陶芸、漆芸、書、茶は超一流で、また琳派のプロデューサー的な存在でもあった。早い話が、レオナルド・ダ・ヴィンチのような人物だ。現代でも、彼の手による茶器や漆器のいくつかは国宝として評価されている。
京都市内の賑々(にぎにぎ)しさから離れてこの地に降りると、不世出の芸術家・光悦が居を定めた土地の、まさしく「霊気」のようなものを感じるのである。


日本料理「鷹庵」の外観。この建物で宴が始まると想うだけで、気持ちが高まる。
日本料理「鷹庵」を指揮するのは金沢「銭屋」の当主
アマン京都のエントランスを過ぎてすぐの右手にあるのが、日本料理の「鷹庵」である。当店を2020年4月から指揮するのは、ミシュラン2つ星の金沢の老舗料亭「銭屋」を率いる二代目当主・髙木慎一朗総料理長である。
氏の料理人としての出発点は、徒弟時代の「京都吉兆」にある。だから、開業する前年にアマン側から打診があった時には、「京都で料理をやるのはイヤだなあ。せめて滋賀県にして欲しい(笑)」と思ったそうだ。
氏は修業こそ京都で始めたが、海外留学の経験もあり、語学に堪能だ。さらに重要なのは、日本料理を海外の視点も含めて俯瞰できる数少ない人物であることである。フレンチの巨星アラン・デュカス氏との親交はその一例であるが、海外の有力なシェフたちとの間に幅広い人脈を持っている。
嬉しいことに、髙木氏の斬れ味鋭い料理は、ホテルの宿泊者でなくとも利用が可能だ。


日本料理「鷹庵」の内観。カウンター10席、テーブル24席。
マチュピチュのような施設内の石積み
ホテル全体についてひと言。
アマン京都は約2万4000平方メートルという広大な敷地を有している。自然林を含めれば、およそ32万平方メートルに及ぶという。この敷地はもともと、西陣織で巨万の富を築いた織物屋の大旦那が所有し、ここに織物美術館を造る予定だった。
樹木は豊かに生い茂り、果ては鹿苑寺(金閣寺)まで続く小川がせせらぎ、辺り一面びっしりと苔が生す。圧巻なのは、およそ40年もの月日をかけて設計し組み上げた、石畳や巨大な石積みである。それらには風格すら宿っている。


エントランスに設置された石門から先には、異次元の世界が。
「森の庭」と名付けられているが、それ以上の印象を受ける。深山幽谷とまでは行かないが、まさに森林だ。人はそこにあって唐突に、まるでマチュピチュの遺跡に入り込んでしまったような錯覚に陥るであろう。ちなみに、庭の散策は宿泊者のみに限られている。
宿泊棟をはじめとした各施設は、日本的な自然美の只中に、溶け込むように点在しているところが洒脱だ。
建物こそ新しいが、世界に冠たるイギリスの最上級のマナーハウス、もしくはインドのマハラジャのパレス、それらに迫るほどの超弩級かつ高品位なリゾートであると思った。言い換えれば、世界最高峰レベルのリゾートホテルの一つということになる。
話を「鷹庵」に戻して、料理をいくつか紹介する。
食事の前に供されたのは、京都市伏見区の純米酒「蒼空」である。辛味、酸味、甘味とバランスが実に良く、米の味も豊かだ。
その真価がじわじわと来る驚愕のお椀
土佐酢を引いた先付けの「うるい、ミル貝、車海老」に続いて出された、お椀が衝撃的だった。
まずは、ビジュアルの美しさに引き込まれた。漆黒の椀の中で、山椒を載せた淡路島の真っ白なアブラメ(アイナメ)が中心にあり、その周囲を桜の花びらが舞っている。葛で出汁に軽くとろみをつけたから、花びらが浮遊しているのだ。薄ピンク色が愛らしい。
衝撃はその味わいだ。その場でガツンと来る衝撃ではないところが逆に凄い。塩を強く効かせ、味を濃くして迫りくる料理は、どこにでもある。しかし、このお椀は違う。


アイナメの周りに桜の花びらが舞うお椀。
味付けは鰹と昆布の一番出汁に少々の塩だけだ。そこにアイナメの身と山椒と桜の花びらが精妙なバランスで味を付け足す。結果、汁の味は桜の花びらのように淡いのである。
この汁は口内の細胞に、優しく、どこまでも深く染みていく。いつまでも飲んでいたい……そんな気になる。
これは日本料理で言うところの「残心」というものなのだろう。家に帰った翌日、あるいは翌々日あたりに、「ああ、あのお椀は美味しかったなあ」と、ゴクリと喉を鳴らして思い焦がれるような、そんな一品だった。つまり、上品でどこまでも奥ゆかしい。
もう一点、特筆すべきはおそらくは水の質だ。まったりとしていて、肌理(きめ)が細かい。このお椀を成り立たせているのは、水の良さもあるに違いないと思った。聞けば、京都の名水とされる京見峠がこの近くに位置し、光悦寺はこの鷹峯の水をお茶に使うそうだ。
刺身の3種盛りはしない
京料理は奥ゆかしさを〝押し売り〟しているように感じる場面もあるのだが、鷹庵の料理は自然(じねん)の裡(うち)にあるように感じる。
大将の髙木氏は190センチメートルという巨躯なのだが、剣道をしていたせいか、立ち姿は軸がブレずスラッとしてとても美しい。そして自然体で一本を取りに来る。
そんな彼が目指すのは、京料理ではない。日本料理の本道は残しつつも、店のゲストの9割を占める外国人に、どうすれば美味しさを感じてもらえるかを突き詰めて考えた末の品々になっている。
例えば、刺身であるが、3種盛りなどということは絶対にしない。何を食べたか分からなくなるからだ。ゆえに、皿に盛るのは1種か2種だ。
実際に筆者が食べたときも、淡路島の鯛と、炭で炙った平貝の刺身は、それぞれが一皿に1種ずつで提供された。貝を炭火で炙る工程を目の前で見せてくれるのも、ゲストには楽しいはずだ。
また、ゲスト間には日本料理のリテラシーの差異があって当然である。例えば、刺身醤油に切り身をどっぷりと付けてしまうとかだ。
髙木氏は、日本料理を食す習熟度が違っていても、間違いが起きないように工夫をこらす。例えば、お皿を手で持つように促したりする。刺身醤油を出汁で割っておくのも配慮の結果である。醤油のつけすぎはなくなり、素材の味をより一層感じられるようにもなる。粗相は起きないし、きちんと味わえる。まさに一石二鳥である。
ここで出てきたのが宮城県石巻の純米吟醸「日高見」。やや辛口だがバランスは良く、食中酒に相応しい。


握りは、漬けマグロとサワラ。マグロの上には、醤油漬けした山葵の軸と葉っぱ、フキノトウ。
渋味とえぐみをユニバーサルな味に変換
例えば、日本の食材にある渋味とえぐみを考えてみよう。それらは、おそらく誰もが好むユニバーサルな味ではない。それをどのようにして、ユニバーサルな料理として落とし込むか、という問いがあるとする。その解答の一つが、目の前で握られた2貫の寿司、とくに漬けマグロのほうだ。
日本人の大人ならば、フキノトウや山葵は好きだが、外国人には馴染みにくい。そこで、フキノトウも山葵の軸も葉っぱも醤油に漬けたものを、漬けマグロの切り身の上に添えて醤油で統一した。そこに合わせるのは米酢のシャリである。
マグロのねっとりした旨味、酢飯の爽やかさ、そこに醤油でこなれた苦味とえぐみが混じり合う。この三位一体のコンビネーションによって、日本人だ外国人だという狭い領域を超えて、ユニバーサルに見事な味が実現されている。お願いだから、もう一貫ください。
続いて、「ワカメと湯葉のしゃぶしゃぶ」をゲスト自らの手で完成させるのもテンションが上がった。コンロで沸き立った鍋のお湯の中に放った黒いワカメが、フワッと緑色に変わるのも面白い。漬け汁であるちり酢がとてもいい。
とは言え、髙木さんの中では、「しゃぶしゃぶ」というよりは「あったかい酢の物」という意識だそうだ(笑)。


「湯葉とワカメのしゃぶしゃぶ」。ちり酢が美味しい。
高1でニューヨークの「ブルー・ノート」へ
話は逸れるが、BGMはずっとモダンジャズである。コルトレーンのアルバム「バラード」の中の1曲も流れた。そもそも髙木氏がジャズに出会ったのは、16歳のアメリカ留学時なのだそうだ。
あるとき、マンハッタンをぶらついていたら、やたらと行列しているライブハウスみたいなものがあって、入ってみることにした。1986年の11月のことだ。まるで知る由もなかったが、実はそこは「ブルー・ノート」というジャズ・クラブの総本山の一つだった。たまたまサラ・ヴォーンとナンシー・ウィルソンとエラ・フィッツジェラルドの3日連続公演だったという。ジャズファンならば、垂涎のライブだ。
初日のサラ・ヴォーンが誰かも知らず、紅顔の高校1年生は、彼女のヴォーカルの1曲目で魂をワシ掴みにされた。もちろん、残りの2日も通った。
よくそんなところに簡単に一人で入れたものだ。髙木少年は16歳で187センチもあったそうだ(笑)。だが、このようにしてハマったジャズの世界は、教養として今も生きている。
それにしても、髙木氏の引きの良さは天賦のものなのだろう。加えて、物怖じしないところと押し出しの良さは、アマン京都の日本料理「鷹庵」の総料理長たるに余人をもって代え難い。
ここで山形県上山市のオレンジワイン「プティ・マンサンオレンジ2017」が供された。柑橘系でありながら蜂蜜とスモーキーな味わいがする。マネジャーの七黒さんのペアリングが冴えている。


「平井牛のロース炭火焼」はすき焼き風。「すき焼きは焼き物だ」(髙木氏)。
「筍の揚げだし」は傑作だ
料理に戻る。
続くのは「函館の桜鱒の焼き物」。季節の魚だ。酒と醤油とみりん、スダチの絞り汁に漬けた切り身を、炭火で焼き上げた。照り焼きのような具合だが、皮はパリンパリンで身はほっくほく。魚の体液がアッチッチ、沸々と沸き返るほど火入れされていて、実に美味であった。タラの芽の天ぷらが添えてあるところが嬉しい。
位置づけとしてはメインの2品目となるのが「平井牛のロース炭火焼」である。ただの炭火焼ではない。肉の下に敷いたタレは、酒と醤油に卵黄を溶いてすき焼き風にしたものだ。肉の上にこんもりと載せてあるのは、一年に一度は食べておきたい花山椒である。とても嬉しい。優しい味の花山椒で、卵黄とともに牛肉に深みを添えてくれた。
しかし、これで終わりではなかった。「筍の揚げだし」が待っていた。見た目は本当にどうということはないのだが、これは素晴らしい。
「外国の人には筍の美味しさが伝わりにくい。田楽にしたり、出汁で煮含めるたりするのではなく、揚げ出しにしてみました」(髙木氏)


「筍の揚げだし」は筍の旨味を追究した斬新な傑作。
日本人ならば、茹でた厚切りの筍を食べるのは喜びに他ならない。春先の旬菜として、それは美味しいものとして、舌や脳髄に刷り込まれているからだ。しかし、中国系や韓国系を別にすれば外国人にとっては、筍は地下茎ともただの茎とも知れないヘンなものでしかないだろう。それをいかに調理するかは難しい課題と言える。
その解答は、薄めに切って、てんぷら粉で揚げることにあった(天ぷらとは、蒸し料理である)。そうすることで、筍の旨みと甘みは衣の中に閉じ込められて倍加するのである。まさに筍の旨味のストレート勝負の感がある。いや、真正面からお面を打ち抜いて1本!の気持ちよさだ。これは分かりやすく新しい一品である。
魚と肉のメインが終わった次という順番も面白い。通常であれば、冒頭の先付けの次あたりに出てきてもおかしくはない。
いかに日本料理から〝一歩を踏み出す〟か
総料理長が重視する日本料理の特徴に、「二十四節気(にじゅうしせっき)」がある。1年を24の季節に分けるのだが、野菜の旬はその季節に符合するという。今宵の料理では、うるい、桜の花びら、フキノトウ、タラの芽、花山椒、筍などが使われた。
季節感を存分に盛り込む日本料理の本筋は、ゆるぎなく守られている。
と同時に、〝一歩を踏み出す〟料理も多く含まれている。お椀、鮨、牛の炭火焼、筍の揚げだしなどがそれに当たる。これらは、伝統をふまえた上で型を大胆に崩した本阿弥光悦のアヴァンギャルド性に通じるものがあるだろう。
それは髙木総料理長の創意工夫の賜物なのだ。


「鯛の炊き込みご飯」には錦糸卵と胡麻がたっぷり。
最後が、「鯛の炊き込みご飯」だ。「外国人には鯛だけでは分かりにくいので、錦糸卵と胡麻をあしらいました」(髙木氏)という。錦糸卵と胡麻がたっぷりで、何杯でも行けてしまう罪深き大団円だった。炊き込みご飯の具は、季節によって千変万化するところがいい。
さて、外国人だ、日本人だ、ということを言い過ぎたかもしれない。実際は、外国人だけが喜ぶ料理などというものは存在しない。髙木氏がチャレンジしているのは、日本料理の本筋と革新のギリギリのせめぎ合いの中で、すべてのゲストを喜ばせることだ。
私たち食べる側にしてみれば、革新的(イノベイティブ)であるがゆえに、日本人だからこそ、新たな〝気づき〟を得ることができるのである。
鷹庵
住所:京都府京都市北区大北山鷲峯町1番
TEL:075-496-1335(レストラン予約9:00~18:00)
営業時間:12:00~15:00(13:00L.O.)、18:00~22:00(20:00L.O.)
ランチコース:20,000円、ディナーコース:40,000円
Toshizumi Ishibashi
「クレア」「クレア・トラベラー」元編集長
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