冬本番の黒島町より
こちらは、海風がゴーゴーと鳴り響き、沖には白波が立ち、凍える寒さが続いています。2025年の後半は光陰矢の如し。前回の輪島便りは、生命の息吹があふれんばかりのころだったでしょうか。そこからの道のりは地域の復興や生活の再建を目指して、雨の日も晴れの日もマラソンをしているよう。まだまだ先は長いです。
今年も数えるばかりになって机に向かい、忘れがたいこの1年を振り返るように筆を走らせています。この便りには、輪島で暮らす私の眼で見た情景を、こころからあふれてきた言葉で綴ります。
寒波がやってくると、前を向いて歩けないくらいの強い海風が吹きすさび、隆起してできた砂浜に荒々しく波が打ち寄せます。
地域それぞれのあゆみ
師走を迎えた輪島の中心部では、学校や文化会館などの大型の施設を除いて、公費解体工事が一段落した様子です。更地には、新しい住宅や仮設の建造物が建ち、新しいまちづくりの草案や計画も徐々に進み、暮らしがゆっくりと戻りつつある気配を感じています。道路の至るところで片側通行が続いている状態ですが、補修工事も進んでいて、この夏には輪島と門前を結ぶ中屋トンネル(国道249号線)の一般車両の通行が1年半ぶりに再開されました。
門前町の浦上地区の県道沿いでは、所々で片側通行が続きます。土砂崩れの起きた山の擁壁工事は危険と隣り合わせで、ひやひやする現場です。
人口流出にともない、お店の数や規模は縮小していますが、慣れ親しんだ輪島の味や地物の商品に再び出合えると感慨もひとしおです。子どもの数も減り、小中学校が統合や再編され、今までのような外遊びができない状況から屋内スポーツ場が新たに整備されています。
一方で、集団移転を予定している地域は、未だ手つかずの状態です。今なお公費解体工事が続いている地区もあり、黒島町もそのひとつ。8月の天領祭のあとに、あちらこちらで工事が活発になり、町並みが大きく変わりつつあります。重機で建造物を壊す振動や瓦が落下する音がけたたましく、土埃で空気が煙っています。
古きよき建造物が次々と壊されていく様子を見ていると、胸が締め付けられます。再活用できるような立派な建材も廃棄されてしまう現実がやるせないです。
人々の思いで繋ぐ地域の宝
2025年の旧盆は戦後80年の節目であり、天領祭が8月17日~18日に2年ぶりに再開されました。黒島町の方々にとって鎮魂と復興の思いを分かち合う機会であるとともに、新たな局面を迎える出来事でもありました。
2024年元日の地震で倒壊した若宮八幡神社のお神輿は、パズルのピースのようにバラバラな状態に大破してしまいました。その部材や破片は住民やボランティアの方々によって救出され、半年後に兵庫県姫路市に拠点を置く黒島支援隊を介して、福喜建設の工場へ運ばれました。
宮大工棟梁の福田喜次さんと西村定さんが1つひとつの部材を確認したところ、修復は可能であるとのお答え。灘のけんか祭りをはじめとして、これまで数々の曳山の制作に携わられ磨いてこられた技術や長年の経験からしても難しい作業を前に、棟梁は「黒島の人を元気づけたい。」「地域の宝を守りたい。」との一心で、このお神輿の修復を担ってくださることになりました。
復興に向けた希望の星
江戸時代の延享元年(1744年)に北前船を持つ豪商が寄進したと伝わるお神輿は、図面が残っていた訳でなく、地震前の写真を資料として修復作業が進められました。小さな部材を組み立て接着し、欠損した部分は新たな部材を継ぐなど、胃カメラの検査が必要になるほどに神経を尖らせる作業の連続。困難極まる修復がようやく完了したのは2025年の初春でした。
姫路からトラックに載って里帰りしたお神輿を出迎える黒島のお父さん達。感激の嬉しさとともに涙ぐむような表情もありました。
その記念として初夏に兵庫県立歴史博物館のロビーで展示されたあと、7月30日に黒島町へ里帰りし、翌31日に神輿復興祭が公民館で執り行われました。「祭りの文化を途切れさせないように」と切に願う人々の思いが通じ合い、町中に明るい話題が広がりました。黒島に帰郷したお神輿は、多くの人々の笑顔を取り戻し、復興に向けた希望の星のように輝いていました。
神輿復興祭の神事のあとには、棟梁へ感謝状が渡されました。その挨拶のなかで、棟梁が参列者に「日本の文化を未来へ繋ぐということがどういうことなのか?」とお話しされる場面があり、その姿が胸に刺さりました。この修復作業が、棟梁の人生をかけた答えであることを感じ、心が震えました。地震後の一連の出来事によって、姫路と黒島のそれぞれの地域の文化を尊重し合う絆が育まれ、有形・無形の歴史文化や精神性が再認識され、新たなかたちで伝統を継承していく機運が高まるきっかけともなりました。
鳳凰をはじめとする金具やお飾りなどが取りつけられたお神輿。神輿復興祭では祝詞があげられ、玉串が捧げられました。
神輿復興祭には50名ほどの関係者が集まり、法被を着た棟梁へ黒島町の方々から感謝の思いが伝えられました。
まつり、いのり、おどろう!
やがて迎えた天領祭当日。天気に恵まれ、住民や黒島に関わる方々、ボランティアの方々が皆一丸となり、お神輿を先頭に北町・南町の曳山2台が巡行されました。暗くなると、やっちょい踊り(八千代栄節などの黒島の民謡に合わせた盆踊り)が行われ、その輪が何重にも広がるほどの賑わいでした。
天領祭の初日。お神輿や曳山が並んだ北前船資料館の前には、全国各地から溢れんばかりの人々が集まり、神事が行われました。
この2日間は町中に天領太鼓や笛の音、威勢のいい掛け声が響き渡っていました。昼は能登上布であつらえた「だこ」と呼ばれる法被、夜は若波模様の注染の浴衣をまとった人々が通りを行き交い、いつもは閑散としている通りが活気づきました。今年のお祭りは、姿かたちは見えないけれど八百万の神や黒島の先人達と繋がり、この地の復興を祈る節目となりました。
神輿復興祭では、天領太鼓も奉納されました。その力強い音色やパフォーマンスに、拍手が沸き起こりました。
少子高齢化の進む黒島町に若い学生が集まると活気があふれ、かつての天領祭の賑わいを彷彿とさせます。
1日目は北町、2日目は南町の巡行。両日とも町の端に辿り着くと、曳廻し(180度の方向転換)を行う場面が見せ場です。
1日目の夜に資料館前に明かりが灯されると、人々が民謡に合わせ「あ~やっちょい、やっちょいな」と口ずさみ、輪になって踊りました。
地域の宝をシェアし守っていく
都市部では消えてしまった昔懐かしい暮らしや風習が、黒島をはじめ能登の各地には残っています。その素朴な文化に魅せられた方々が、それぞれのかたちで能登との繋がりを深めていて、地震後には地域外からの活動や働きかけが増えてきているよう感じます。
天領祭で着用する「だこ」は、能登上布の反物から手縫いで仕立てられていて、人それぞれに色合いや絣模様などがかすかに異なります。
私のような移住者だからこそ抱く憧憬の念もあるかもしれませんが、この地で生まれ育った人々の郷土愛や誇り、里山里海の自然とともに育まれてきた暮らしの文化に普遍的な価値を感じ、尊く思います。時折カルチャーショックもありますが、同時につくり手の視点からは、この風土に手仕事の原点も根づいている気がしていています。
自然のリズムに身をゆだね、おおらかなときの流れのなかにいると、それまで気づかなかった、ささやかでも大切なものが明らかになってくるように思います。いつも、どんなときも新たな発見の日々です。
photography by Kuninobu Akutsu
秋山祐貴子 Yukiko Akiyama
神奈川県生まれ。女子美術大学付属高校卒業。女子美術大学工芸科染専攻卒業。高校の授業で、人間国宝の漆芸家・故松田権六の著作『うるしの話』に出合ったことがきっかけとなり漆の道に進むことを決意する。大学卒業後、漆塗り修行のため石川県輪島市へ移住する。石川県立輪島漆芸技術研修所専修科卒業。石川県立輪島漆芸技術研修所髹漆(きゅうしつ)科卒業。人間国宝、小森邦衞氏に弟子入りし、年季明け独立。現在輪島市黒島地区で髹漆の工房を構えた矢先に、1月1日の震災に遭遇する。
関連リンク
『輪島便り~星空を見上げながら~』とは…
輪島に暮らす、塗師の秋山祐貴子さんが綴る、『輪島便り~星空を見上げながら~』。輪島市の中心から車で30分。能登半島の北西部に位置する黒島地区は北前船の船主や船員たちの居住地として栄え、黒瓦の屋根が連なる美しい景観は、国の重要伝統的建造物群保存地区にも指定されてきました。塗師の秋山祐貴子さんは、輪島での16年間の歳月の後、この黒島地区の古民家に工房を構え、修復しながら作品制作に励もうとした矢先に、今回の地震に遭いました。多くの建造物と同様、秋山さんの工房も倒壊。工房での制作再開の目途は立たないものの、この地で漆の仕事を続け、黒島のまちづくりに携わりながら能登半島の復興を目指し、新たな生活を始める決意を固めています。かつての黒島の豊かなくらし、美しい自然、人々との交流、漆に向ける情熱、そして被災地の現状……。被災地で日々の生活を営み、復興に尽力する一方で、漆と真摯に向き合う一人の女性が描く、ありのままの能登の姿です。
Premium Japan Members へのご招待
最新情報をニュースレターでお知らせするほか、エクスクルーシブなイベントのご案内や、特別なプレゼント企画も予定しています。
Lounge
Premium Salon
輪島便り~星空を見上げながら~ …
Premium Salon
















