前に進まない暮らしごと
2024年の能登半島地震から、まもなく2年が経とうとしています。吹雪のなか、公費解体工事で更地の広がった黒島町を歩くたび、生活再建の見通しの立たない現実にしんどくなり、不安で頭がいっぱいになり、このままどこか遠くへ飛んでいってしまいたいと逃げたくなるときがあります。
もともとスーパーがあった場所。今後、町並みの雰囲気を守りながら空き地をどのように活用していくか、そして草刈りなどの管理も課題になりそうです。
いっそのこと気持ちを切り替え、新天地へ移ったほうが衣食住や仕事の基盤を整えるためのあゆみは速いのではないかと、冷静に考えもします。しかし、それ以上にここで暮らすことで、人々や地域の輪が築かれ、古きよき家や町並みが守られ、日々を重ねていくことで暮らしの文化が継承され発展していく…このような日常に小さな幸せを感じていて、感謝の思いもあります。
眼前に広がる荒々しい海原は雄大で、そのありのままの姿に圧倒されます。この海岸は、かつて北前船の寄港地でたくさんの人々や多様な文化が行き交っていましたが、今はもうその面影はほとんどありません。隆起した浜辺には、新たな地形や生態系が生まれ、天候や潮の満ち引きによって刻々と変化していきます。その砂浜を歩いていると、只この命が続く限り自分なりの生きかたを模索する旅路が道となり、この先のあゆみが人生の深みへ繋がっていくことを信じてなりません。
水平線に沈む夕日の美しさは変わりませんが、浜辺に行くたびに地形の変化とともに歩ける場所が変わります。
どこでどのように生きるか
いったいぜんたい、どうして輪島の地にこんなにも惹きつけられているのでしょうか。
──漆、人、里山里海の自然、四季の暮らし、伝統文化…愛おしい風景やかけがえのないものが、生き生きとして日常にある──2008年に移住してから本人も自覚しないままに、能登が「こころのふるさと」になっていたようで、あらためて思いを巡らせています。
行政から調査票などが届いても今後の見通しについて具体的な返答ができず、再建を逸る気持ちもあるけれど、漆の工房を構えようと2023年に輪島の中心部から黒島町に引っ越してきたときの想い、そしてこの環境を大切にしていきたい気持ちは変わらずにあります。当初改修工事を計画していた古民家は、この秋に更地になり、その夢はもう叶いません。だけど、地震があったからこそ色々な出会いや機会が広がり、初心はそのままに新しいかたちでまた挑戦していけると思うのです。今ここで最善を尽くすことでしか、この先の様々な課題を乗り越えられないような気がしています。
2025年春、漆塗りの仕事を再開
漆塗の作業を再開しました。静かで穏やかな環境のなか、漆を塗り制作を続けられることが、こんなにもありがたいことかと涙があふれてきました。自らの刷毛や箆を持つとしっくりとした感覚で、「そうだ!これが私の日常だったんだ。」と、あらためて我に返りました。
輪島市の仮設工房で再開した漆塗りの作業。スペースと入居期限が限られているため最低限の道具や荷物を机回りに並べ、作業の区切りごとに片付けと掃除をしている状態です。
椀の布着せを行っているところ。漆と米糊からつくられた糊漆を用いて、椀に布をかけ補強します。
布着せのあとの布削り作業。余分な布を削りながら、布端の切り口を整えます。
輪島地の粉を用いた本堅地下地。この下地を塗っては研ぐ作業を繰り返して、漆器がつくられていきます。
下地を塗った器物は棚や風呂で漆を硬化させたあと砥石などで研ぎ、形や肌を平滑に整えていきます。
椀の部位ごとに刃物で箆を削り、漆下地を塗っていきます。
地研ぎ用の砥石。器物の部位ごとに大きさや形を変えて作業を行います。
とはいっても、漆を入れて保管している茶碗は地震で落下した土埃まみれだったり、こぼれた漆が道具の上で分厚く固まっていたりと、まだまだ片付かない状態です。下地から上塗りの工程までを一貫して行っているため設備や道具も多く、仮設工房は倉庫のようで段ボール箱が山積みになっています。
それでも手を動かし制作していると、心が落ち着き、精神集中できます。「このまま変わらず、つくり続けよう。」と体のなかからエネルギーが湧いてきます。地震から1年以上の時間は空いたけれど、1つひとつの作業を体が覚えていて、自らの道具が手の延長として動き、今日も器物に漆が塗り重ねられていきます。
日本の文化を循環させていきたい
輪島で暮らし漆を塗っていると、輪島塗の定義や慣習、分業制の枠組みによって、仕事の区分をされやすい傾向があります。あるときは下地職人、またあるときは漆芸作家と呼ばれるように、縦割りされると複雑な気持ちになります。実際に輪島で漆に携わる方々にはそれぞれのスタイルがあり、植物が森の土のなかで四方八方に根を張るように入り組んでいます。私は創造力豊かに表現し、つくり続けることで自らの役割を全うしようと思います。
私は作品をデザインし、どんな素材や工程でつくるかという形や仕上がりへのイメージを強く持っています。それは学校や輪島漆芸技術研修所で学び、親方のもとで修業した歳月から培ってきた制作のスタイル。椀や箸などの数ものの漆器制作は、その製図やモデリングをもとに木地師さんにお願いし、木地をつくっていただきます。乾漆作品の制作は、自らの手で粘土や石膏などの原型をつくります。その木地や原型に漆を塗る(髹漆:きゅうしつ)工程、木地固め~下地~研ぎ~中塗り~上塗りの作業を一人で行います。
作業の効率を考えたら、それぞれの工程を分業制の枠のなかで依頼したほうがいいのかもしれません。しかし、上塗りをすると下地の層が見えなくなるという漆器の特性上、自らの感覚で漆を塗る作業と研ぐ作業を行い、一工程ずつ正直に作業をしたいのです。
漆は、ウルシの木から採取した液であり、それぞれに個性があります。その天然素材を活かし、季節に寄り添うように暮らし、自然のリズムを写しとるように作品をつくり続けることで、日本の文化を循環させていきたいです。
ウルシの木につけた傷から滲み出る漆。6月から秋にかけて漆掻き(採取)が行われます。
輪島へのラブレター
2025年春に、嬉しい出来事がもうひとつありました。それは、本を上梓したこと。地震のあとに避難生活がはじまり、漆の作業ができない環境下が続き、本を編んでいました。この風土の魅力や漆の文化を繋げていきたいとの思いを込め「輪島讃歌」と名づけました。
もしかしたら輪島を離れることになるかもしれない日々のなかで、四季折々の里山里海の風景や風土に根づいた暮らしを伝えたいと上梓した本。
輪島の二十四節気が写真とエッセイで描写され、ここに暮らすように季節の移ろいを味わうことができます。
自然の移ろいとともにある能登の文化、大地に根ざすように育まれてきた人々の生活、その素朴な風景は未来へ伝えたい宝もの。ここで暮らしていると、気候風土と二十四節気の暦のリズムがぴたりと合うように感じて、本のページは立春(2月のはじめ)からはじまり、大寒(1月の終わり)に至ります。これまで撮り続けてきた輪島の四季折々の景色や暮らしの写真、漆に向き合うなかで日記のように綴ってきたエッセイをまとめた一冊。春夏秋冬のスケッチを通して、輪島に「住むように旅する」心地よさを味わっていただけたらと思います。
無常のありようで
寒波が続く曇天のなかで輝く実、枯野に鮮やかさを添える花々。道端に水仙の蕾が膨らみはじめている様子を見つけると、いよいよ新しい年が近づいていることを実感します。ゆく年の名残りを惜しみ、くる年も移ろいゆく景色をあるがままに受け入れていこうと、道すがら出合う植物が教えてくれるように感じます。
寒さに耐える南天の力強さは、冬の暮らしに潤いをもたらしてくれます。
いつの間にか茎が伸び、寒風に揺られながら花を咲かせる準備をしている水仙。
photography by Kuninobu Akutsu
秋山祐貴子 Yukiko Akiyama
神奈川県生まれ。女子美術大学付属高校卒業。女子美術大学工芸科染専攻卒業。高校の授業で、人間国宝の漆芸家・故松田権六の著作『うるしの話』に出合ったことがきっかけとなり漆の道に進むことを決意する。大学卒業後、漆塗り修行のため石川県輪島市へ移住する。石川県立輪島漆芸技術研修所専修科卒業。石川県立輪島漆芸技術研修所髹漆(きゅうしつ)科卒業。人間国宝、小森邦衞氏に弟子入りし、年季明け独立。現在輪島市黒島地区で髹漆の工房を構えた矢先に、1月1日の震災に遭遇する。
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『輪島便り~星空を見上げながら~』とは…
輪島に暮らす、塗師の秋山祐貴子さんが綴る、『輪島便り~星空を見上げながら~』。輪島市の中心から車で30分。能登半島の北西部に位置する黒島地区は北前船の船主や船員たちの居住地として栄え、黒瓦の屋根が連なる美しい景観は、国の重要伝統的建造物群保存地区にも指定されてきました。塗師の秋山祐貴子さんは、輪島での16年間の歳月の後、この黒島地区の古民家に工房を構え、修復しながら作品制作に励もうとした矢先に、今回の地震に遭いました。多くの建造物と同様、秋山さんの工房も倒壊。工房での制作再開の目途は立たないものの、この地で漆の仕事を続け、黒島のまちづくりに携わりながら能登半島の復興を目指し、新たな生活を始める決意を固めています。かつての黒島の豊かなくらし、美しい自然、人々との交流、漆に向ける情熱、そして被災地の現状……。被災地で日々の生活を営み、復興に尽力する一方で、漆と真摯に向き合う一人の女性が描く、ありのままの能登の姿です。
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