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その先の京都へ

2023.6.14

やきもの好きなら訪れたい 京都の陶芸美術館3選













漆芸、染織、指物……。1200年の古都はさまざまな伝統工芸を育んできた。陶芸もそのひとつであり、京都には陶芸専門の美術館がいくつか存在する。そうした陶芸美術館の中から、「樂美術館」「河井寬次郎記念館」「近藤悠三記念館」の3館を選んで紹介。450年余にわたり連綿と続く茶わん師の家、「用の美」を追求した陶芸家の自宅兼工房、染付に端を発した3代の変遷。個性の異なる3つの美術館を巡ると、陶芸と京都との深い結びつきを実感することができる。どの美術館も京都市内のほぼ中心部に位置するので、1日で3館を巡ることも可能だ。














樂美術館  450余年続く「御ちゃわん屋」の系譜

初代長次郎作 黒樂茶碗「面影」 初代長次郎が手捏ね(てづくね)で造形した、「侘びの風情」を象徴する茶碗。樂美術館旧蔵 ©樂美術館 初代長次郎作 黒樂茶碗「面影」 初代長次郎が手捏ね(てづくね)で造形した、「侘びの風情」を象徴する茶碗。樂美術館旧蔵 ©樂美術館

初代長次郎作 黒樂茶碗「面影」 初代長次郎が手捏ね(てづくね)で造形した、「侘びの風情」を象徴する茶碗。樂美術館旧蔵 ©樂美術館




茶の湯で使われるさまざまな道具類のなかで、主役となるのはやはり抹茶茶碗。古くから数多くの名碗が作られ、今日まで伝えられてきているが、そのなかでも樂茶碗は抹茶茶碗の象徴として揺るぎない位置を保っている。

 

 

16世紀後半、樂家初代の樂長次郎は、轆轤(ろくろ)を使わず手とヘラだけで成形し、釉薬をかけずに高温で焼き上げる素朴な焼き物を生み出した。千利休とともに生み出したこの焼き物は、次第に「樂焼」と称されるようになり、とくに茶碗は多くの茶人の垂涎の道具となった。当代が「吉左衞門」を名乗ることを定められている樂家は、現在の十六代まで450年以上にわたって脈々とこの樂焼を手掛けてきた。




樂家の母屋には「御ちゃわん屋」と墨蹟も鮮やかな暖簾が掛かる。(©樂美術館) 樂家の母屋には「御ちゃわん屋」と墨蹟も鮮やかな暖簾が掛かる。(©樂美術館)

樂家の母屋には「御ちゃわん屋」と墨蹟も鮮やかな暖簾が掛かる。©樂美術館





十六代吉左衞門は、2019年に当代を襲名。1981年生まれの当代は、樂家の伝統を受け継ぐだけでなく、ラグジュアリーブランド製作のショートフィルムに出演するなど注目を集めた。「直入」を名乗る先代の十五代吉左衞門は、物故したロシアの抽象画家とのコラボ展を2022年に英国で開催。積極的な創作活動を続けている。




450年変らない、手とヘラで成形する手法

 

樂家が現在も日常生活を営み、敷地内には窯も存在する母屋に隣接する「樂美術館」は1978年に開館。19世紀半ばに建てられ、国の保護文化財にも指定されている母屋とは対照的なモダンな雰囲気の建物だ。





隣接する樂家の居宅とは対照的な、モダンなたたずまいの「樂美術館」。 (©樂美術館) 隣接する樂家の居宅とは対照的な、モダンなたたずまいの「樂美術館」。 (©樂美術館)

隣接する樂家の母屋とは対照的な、モダンなたたずまいの「樂美術館」。©樂美術館







館内に展示されている代々の作品は、まさに圧巻。すべての色を吸収し深遠な宇宙を感じさせる黒樂、時代を経てより深みを増す赤樂。轆轤を使わずに手とヘラで成形する基本的な作陶技法は450年変わらない。しかし、作品を目の当たりにすると、ひとつひとつの碗が語りかけてくる代々の個性と、それを連綿と繋げてきた樂家十六代450年の歴史を、まざまざと実感することができる。展示は樂家代々の作品が中心だが、「樂焼」をキーワードに年3回の企画展が実施される。これまでも「利形の守破離~利休形の創造と継承~」「瑞獣が来る~樂歴代の不思議な動物たち」など、斬新な視点の展覧会が開催され話題を集めてきた。訪れる際には、開催されている企画展の内容を予めチェックしてから足を運びたい。





静謐な空気が流れる館内。ひとつひとつの作品に宿る、 代々の個性が語りかけてくる。(©樂美術館) 静謐な空気が流れる館内。ひとつひとつの作品に宿る、 代々の個性が語りかけてくる。(©樂美術館)

静謐な空気が流れる館内。ひとつひとつの作品に宿る、代々の個性が語りかけてくる。©樂美術館

 







十五代吉左衞門 直入作 焼貫黒樂茶碗「女媧」 十五代吉左衞門 直入作 焼貫黒樂茶碗「女媧」

十五代吉左衞門 直入作 焼貫黒樂茶碗「女媧」 十五代吉左衞門は現代彫刻をも彷彿とさせる前衛的な作品を多く手がけた。樂家旧蔵 ©樂美術館




十六代吉左衞門作 赤樂茶碗 2019年の襲名以来、当代吉左衞門として 精力的な創作活動を続けている。(©樂美術館) 十六代吉左衞門作 赤樂茶碗 2019年の襲名以来、当代吉左衞門として 精力的な創作活動を続けている。(©樂美術館)

十六代吉左衞門作 赤樂茶碗  2019年の襲名以来、当代吉左衞門として 精力的な創作活動を続けている。©樂美術館

樂美術館
京都市上京区油小路通一条下る






河井寬次郎記念館 自宅と登り窯を備えた工房がそのまま美術館に

民藝をこよなく愛した河井寬次郎好みの空間が広がる。椅子やテーブルなども彼が設計した。(©河井寬次郎記念館) 民藝をこよなく愛した河井寬次郎好みの空間が広がる。椅子やテーブルなども彼が設計した。(©河井寬次郎記念館)

民藝をこよなく愛した河井寬次郎好みの空間が広がる。椅子やテーブルなども彼がデザインした。©河井寬次郎記念館





今もなお、昔ながらの陶磁器店や焼き物ギャラリーが数多く立ち並ぶ五条通りから少し南に入った、通りの喧騒が嘘のような静かな一画に建つ「河井寬次郎記念館」。民芸の巨匠として知られた河井寬次郎の自宅と工房が、そのまま美術館となったこの空間は、ひとりの陶芸家が、ここで暮らし作陶に励んだ、その息遣いを感じさせてくれる。




河井寛次郎の美意識と哲学が体現された空間

 

一歩足を踏み入れる。民芸運動の中心的人物であった河井寬次郎の美意識と哲学がすみずみまでに行き届きた空間が広がる。太い梁と年代を感じさせる調度品、床板などすべてが深い黒、もしくは豊かな飴色を呈し、河井寬次郎が蒐集した各地の民芸品が、それらと見事な調和を醸し出している。

 

なによりも素晴しいのが、そこここに置かれた寬次郎の作品だ。大きな扁壺や力強い木彫、飴色に光る流し描き壺……。民芸運動に主軸を置きつつも、「中国陶磁」に始まり、「用の美」から次第に造形そのものの美を追求した、河井寬次郎の作風の変化を見ることができる。





河井寬次郎の代表作のひとつ、「流し描壺」 河井寬次郎の代表作のひとつ、「流し描壺」

河井寬次郎の代表作のひとつ、「流し描壺」。力強さと素朴さ、アートとしての美しさと「用の美」が見事な調和を見せている。昭和5年頃の作品。©河井寬次郎記念館




「民藝運動」の中心メンバーとして活躍した河井寬次郎は、昭和初期には小皿や茶碗など暮らしの中に溶け込む作品を数多く手がけた。©河井寬次郎記念館 「民藝運動」の中心メンバーとして活躍した河井寬次郎は、昭和初期には小皿や茶碗など暮らしの中に溶け込む作品を数多く手がけた。©河井寬次郎記念館

「民藝運動」の中心メンバーとして活躍した河井寬次郎は、昭和初期には小皿や茶碗など暮らしの中に溶け込む作品を数多く手がけた。©河井寬次郎記念館




「用の美」から次第に造形美そのものを追い求めるようになった戦後は、 生命感溢れる力強い作品を生み出した。碧釉扁壺。(©河井寬次郎記念館) 「用の美」から次第に造形美そのものを追い求めるようになった戦後は、 生命感溢れる力強い作品を生み出した。碧釉扁壺。(©河井寬次郎記念館)

「用の美」から次第に造形美そのものを追い求めるようになった戦後は、 生命感溢れる力強い作品を生み出した。碧釉扁壺。©河井寬次郎記念館





寬次郎が設計した独自の空間に、可憐に溶け込む餅花

囲炉裏が切られた吹き抜けの間には、本来ならばお正月のしつらいである餅花が年中飾られている。その華やかな美しさを寬次郎がこよなく好み、いつの間にか正月を過ぎても取り外すことなく囲炉裏の間を彩るようになったとのこと。重厚な雰囲気の空間に、可憐に溶け込む餅花は、既成概念に捉われることなく「美」を追い求めた寬次郎の美意識の一端を物語る。






囲炉裏の間に年中かかる餅花と寬次郎の作品とが、不思議な調和を醸しだす。(©河井寬次郎記念館) 囲炉裏の間に年中かかる餅花と寬次郎の作品とが、不思議な調和を醸しだす。(©河井寬次郎記念館)

囲炉裏の間に年中かかる餅花と寬次郎の作品とが、不思議な調和を醸しだす。©河井寬次郎記念館




圧倒的な存在感で迫る奥行15メートルの登り窯

 

母屋から中庭に出て、茶室を思わせる小さな部屋や工房を巡る。最後に現れるのが巨大な登り窯だ。奥行15メートル幅5メートル弱。昭和40年代半ばまでは、実際に火が入れられていたという登り窯は、圧倒的な存在感で迫ってくる。かつて、この五条坂界隈に幾つもあった登り窯は、現在ではほとんど見られなくなってしまった。その意味でもこの登り窯はとても貴重な文化遺産といえる。





詰まれた薪など、当時のままの状態で保存されている奥行15メートル登り窯は、圧倒的な存在感で迫ってくる。(©河井寬次郎記念館) 詰まれた薪など、当時のままの状態で保存されている奥行15メートル登り窯は、圧倒的な存在感で迫ってくる。(©河井寬次郎記念館)

詰まれた薪など、当時のままの状態で保存されている奥行15メートルの登り窯は、圧倒的な存在感で迫ってくる。©河井寬次郎記念館





心地よい空気が流れる、「過ごす美術館」

 

 

河井寬次郎の孫で、記念館の学芸員でもある鷺珠江さんが、登り窯の思い出を語ってくれた。「私が子どもの頃、火を入れていない時の登り窯は、格好の遊び場でした。かくれんぼしたり綺麗な破片を拾ったり……。でも、一度窯炊きが始まると神聖な場に変わり、祖父も含め、工房の方々だれもが真剣な面持ちで窯炊きに没頭しているので、近付くことはしませんでした」

 

 

「河井寬次郎記念館」は、展示作品の鑑賞もさることながら、寬次郎が暮らた空気に触れ息遣いを感じる、いわば「鑑賞する美術館」より「過ごす美術館」と言えるだろう。囲炉裏の間で寬次郎自ら手がけた椅子に座りながら、吹きぬける風と緑を中庭で楽しみながら、登り窯の存在感に浸りながら、流れる時間にゆっくり身を置く。そんな贅沢なひとときを授けてくれる美術館だ。

 




つい先ほどまで、ここで寛次郎が作業をしていたかのような空気が流れる工房。 (©河井寬次郎記念館) つい先ほどまで、ここで寛次郎が作業をしていたかのような空気が流れる工房。 (©河井寬次郎記念館)

つい先ほどまで、ここで寛次郎が作業をしていたかのような空気が流れる工房。 ©河井寬次郎記念館

河井寬次郎記念館
京都市東山区五条坂鐘鋳町569






近藤悠三記念館  「近藤染付」に始まる、近藤家三代の美の変遷

「近藤悠三記念館」のエントランス。直径1m26㎝の「梅染付大皿」が存在感を放つ。 (©近藤悠三記念館) 「近藤悠三記念館」のエントランス。直径1m26㎝の「梅染付大皿」が存在感を放つ。 (©近藤悠三記念館)

「近藤悠三記念館」のエントランス。直径1m26㎝の「梅染付大皿」が存在感を放つ。©近藤悠三記念館






五条坂の途中から右前方に折れ、清水寺の真正面に通じる茶わん坂。坂の名前が物語るように、この界隈は古くからの焼き物の産地で、多くの職人が工房を構え、茶わんはもとより、さまざまな陶磁器を手掛けてきた。

 

 

観光客で賑わう茶わん坂を上り、清水寺も間近となる頃、端正な構えの玄関横で圧倒的な存在感を放つ大皿が目に入ってくる。直径1メートル以上ある白磁の大皿に、鮮やかなコバルドブルーで描かれた梅。潔く堂々とした、それでいながら細部には繊細な筆使いが見られるこの作品を手掛けたのが近藤悠三。そして端正な門構えの玄関奥に広がるのが、「近藤悠三記念館」の空間である。






「染付」の技法に現代的感覚を取り入れた「近藤染付」

 

白磁に呉須で絵付けを施す「染付」の技法は中国で生まれ、細筆で描かれた山水画や花鳥の文様が主流だった。1902年にこの茶わん坂の地で生まれた近藤悠三は、「染付」の技法に現代的感覚を取り入れた、「近藤染付」と称される独自のスタイルを確立し、染付磁器の分野で人間国宝の認定を受けた。大皿の梅文様が物語るように、太く力強い筆使いは、油絵をも思わせる迫力で迫ってくる。晩年に手掛けた、赤絵や金彩で描いた富士山は、華麗さと重厚さが調和し、西洋絵画にも似た趣だ。





「梅染付大皿」に絵付を施す近藤悠三。梅や柘榴(ざくろ)、薊(あざみ)などを好んでモチーフとした。(©近藤悠三記念館) 「梅染付大皿」に絵付を施す近藤悠三。梅や柘榴(ざくろ)、薊(あざみ)などを好んでモチーフとした。(©近藤悠三記念館)

「梅染付大皿」に絵付を施す近藤悠三。梅や柘榴(ざくろ)、薊(あざみ)などを好んでモチーフとした。©近藤悠三記念館

 






近藤悠三作 梅染付壺 立体感を伴った力強い筆使いが見事。(©近藤悠三記念館) 近藤悠三作 梅染付壺 立体感を伴った力強い筆使いが見事。(©近藤悠三記念館)

近藤悠三作 梅染付壺 立体感を伴った力強い筆使いが見事。©近藤悠三記念館




近藤悠三作 柘榴金彩壺 晩年は金彩や赤絵なども手掛け、 植物だけでなく富士山なども多く描いた。(©近藤悠三記念館) 近藤悠三作 柘榴金彩壺 晩年は金彩や赤絵なども手掛け、 植物だけでなく富士山なども多く描いた。(©近藤悠三記念館)

近藤悠三作 柘榴金彩壺 晩年は金彩や赤絵なども手掛け、 植物だけでなく富士山なども多く描いた。©近藤悠三記念館





子、孫へと受け継がれた陶芸の情熱

 

陶芸に対する近藤悠三の情熱は子孫に受け継がれている。父とは異なる前衛的な作品を目指し、抽象的な文様を突き詰めた長男の近藤豊、父の技法を継承しつつ優美で繊細な筆致で「用の美」の築いた次男の近藤濶、そして近藤濶の長男である近藤高弘は、プラチナ、金、銀などを結晶化させる「銀滴彩」と呼ばれる独自の技法を創出し、陶芸の域を脱した国際的にも注目を集めるアーティストとなっている。記念館には近藤悠三から連なる、この近藤家3人の作品も展示。「染付」という古来の技法が、三代という時間を経て、継承、発展、飛躍していく様は、焼き物がもつアートとしての可能性を強く感じさせてくれる。



気鋭の設計事務所が手がけた黒を基調とするモダンな展示空間

1987年に開館した記念館は、開館30周年を記念して大幅にリニューアルされた。リニューアルを手掛けたのは、気鋭の設計事務所として知られる「間宮晨一千(しんいち)デザインスタジオ」。日本家屋の伝統的な美しさを随処に残しながら、黒を中心とした色使いでシャープな現代性をも取り入れた独特の空間となっている。近藤悠三がこの場所に工房を構えた当時の作業場はリニューアル後も残された。悠三の数々の作品や工房で存在感を発揮するいくつものぐい呑みと、長さ7メートルに及ぶ近藤高弘の銀滴彩のレリーフ。世代の異なる二人の陶芸家のコントラストを味わうことができるのもこの美術館の楽しみのひとつだ。



近藤高弘作 Monolith―Wave― 近藤高弘は陶芸の域を脱した 現代アーティストとして国際的に知られている。(©近藤悠三記念館) 近藤高弘作 Monolith―Wave― 近藤高弘は陶芸の域を脱した 現代アーティストとして国際的に知られている。(©近藤悠三記念館)

近藤高弘作 Monolith―Wave― 近藤高弘は陶芸の域を脱した 現代アーティストとして国際的に知られている。©近藤悠三記念館

近藤悠三記念館
京都市東山区清水1-287(茶わん坂)



Text by Masao Sakurai(Office Clover)

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