7月の京都は祇園祭一色となる。コンコンチキチン コンチキチン。祇園囃子が街中で鳴り響き、幾つもの祭事が催され、街全体が次第に熱を帯びてくる。新型コロナウィルスの影響で3年間中断していた、山鉾が街を巡る「巡行」も、2022年には再開した。そのなかで多くの人の注目を集めたのは、なんといっても196年ぶりの巡行復活を果たした「鷹山」である。そこには、多くの人の情熱と団結、そして京都の街全体からの心強い応援があった。「鷹山」復活に至る道程を辿ってみた。
「おかえりー」。
196年ぶりの巡行参加を迎える暖かい声援
道幅6メートルの細い新町通から「鷹山」は悠然と姿を現した。待ち構えていた大勢の観客から拍手が沸き起こる。方々から飛び交う「おかえりー」の掛け声。それは文字通りの「おかえり」。京都の人々の万感の思いが込められた温かい声援が「鷹山」を包む。2022年7月24日午前9時30分、196年ぶりの巡行復活(注)を遂げた「鷹山」が、御池通に登場した。高さ17メートル、総重量10トン強。囃子方の鉦(かね)が一段と高く響き渡り、真っ青な夏空に刷毛で散らしたような白雲が流れる。「まるで、復活した『鷹山』を空から見守る大鷹のようでした」。その白雲は後に、多くの人がそう語る吉祥の印でもあった。
注:ほぼ1カ月に及ぶ祇園祭で、多くの観光客の注目を集めるのが「巡行」。7月17日の「前祭(さきのまつり)」と24日の「後祭(あとのまつり)」の2回に分けて行われ、「鷹山」は24日の後祭巡行に登場する。
御池通を東へ進む鷹山。京都のメインストリート御池通は、まさに晴れ舞台。前を進むほかの「山」に比べると、「鷹山」の大きさがよくわかる。この後、河原町通を右折し、四条通へと進む。
復活の鍵は、奇跡的に難を逃れたご神体
応仁の乱以前に発祥した祇園祭で、「鷹山」は発祥とほぼ当時に存在していたといわれている。16世紀初頭には文献にも名前が登場するほどの由緒正しき「曳山(ひきやま)」(注)だったものの、1826年の巡行の際に暴風雨に遭い大破。翌年から巡行不参加の「休み山」となってしまった。しかし、「鷹山」の存在は、京都の人々の記憶の中で受け継がれ、昭和後半には再興話が幾度か浮上したが、資金や運営面の困難さで実現しなかった。
注:祇園祭の巡行で街に登場するいわゆる「山車(だし)」には、「山」と「鉾(ほこ)」の2種類があり、「山」のなかでも、「鷹山」のように人が引く巨大な「山」は「曳山」と呼ばれる。
巡行不参加となった直後に描かれた「鷹山」の御神体の絵図。当時の様子を忠実に伝える貴重な資料となっている。
さまざまな障壁を乗り越え、ようやく復活の機運が見え始めたのは、今世紀に入ってからのことだった。復活を願う人々の熱い情熱に加え、1826年での暴風雨遭遇や蛤御門の変の際、ご神体だけが人々の尽力によって奇跡的に難を免れたことが、復活を可能とさせたともいえる。
「鷹山」のご神体は人形だ。鷹狩を題材とし、「鷹遣(たかつかい)」「犬遣(いぬつかい)」「樽負(たるおい)」の、少しユーモラスな3体の人形が山に乗り、犬や鷹がそこに加わる。
これらのご神体は、巡行に参加していない間でも、「宵山(よいやま)」(注)の期間には「鷹山」の本拠地である三条室町西入ルの町家などで披露され、道行く人々の注目を集めていた。
注:先祭、後祭の巡行の前夜が「宵山」と称される、いわゆる前夜祭。駒形提灯に灯が入り、人々が浴衣で街に繰り出す一大イベントと化す。前々夜は「宵々山」と呼ばれる。
「鷹山」復活の前までは、3体のご神体は宵山期間中には、このように披露されていた。鷹が鮮やか織り込まれている装飾品は、巡行のために新調されたもの。
「鷹山」の第二のふるさとは,京丹波
豊かな自然が残る京都府船井郡京丹波町。京都の中心地から車で1時間ほどの山村が、「鷹山」の第二のふるさとと言っても過言ではない。豊かな自然が残る山間の町が、なぜ第二のふるさと? じつは、京丹波には日本を代表する数寄屋建築工務店「安井杢(やすいもく)」の広大な作業場があり、「鷹山」はその作業場の一角で、組み立てられていた。
「山」の土台となる部分や車輪は、ほかの山鉾町から使用しなくなった部材の寄贈を受けたものの、屋根や天井部分は新たに製作しなければならず、そうした部分を数寄屋建築のエキスパート集団である「安井杢」が担当した。しかも、高さ17メートル、総重量10トンを超える巨大な曳山を作るスペースの確保は、「安井杢」のような相応の規模の企業だからこそ提供が可能となった。作業が始まったのは6年前。巡行の日を夢見た地道な組み立て作業は、この京丹波から始まっていた。
釘などの金具を一切使わず、木材と木材の組み込みだけで屋根や胴体を組んでいく。卓抜した技術を持つ「安井杢」の職人だからこそなし得る作業。
大部分の組み立て作業が終わり、装飾品を仮装着して見栄えや寸法などをチェック。2021年5月の様子。
京都の伝統工芸の集積。山鉾は動く美術館
山鉾を美しく飾る品々は「懸装品(けそうひん)」と呼ばれる。巡行の際に一番注目を集める「懸装品」は、3層にわたって重ねられた「水引」と称される細長い織物。なかでも、最上部の「一番水引」は、どの山鉾も極上の織物を装着している。「鷹山」は、残された資料に基づき、かつての姿を忠実に再現。黄色地に龍が踊る素晴らしい一番水引をはじめ、すべての水引を手掛けたのは「龍村美術織物」。帯のトップブランドだ。また、非毛氈に縫い付けられた絨毯(注)は、イランから購入。これも極めて高価なものだ。祇園祭は、疫病退散の祈りであると同時に、日ごろ質素にしていた京都の町衆が、財力を誇示する場だったと言われている。どの山鉾も、極めて貴重で高価な懸想品を纏って登場するのは、そうした背景が関係している。
注:この絨毯は「胴懸(どうかけ)」と呼ばれる。山の後正面に掛かる絨毯は「見送り」。「水引」「胴懸」「見送り」の3点は、各山鉾がそれぞれ豪勢さを競いあう。人間国宝が手がけたもの、江戸時代にペルシャから取り寄せたものなど、「懸装品」を見比べるだけも楽しい。
囃子方の足元の黄色地の織物が「一番水引」。緋毛氈に縫い付けられている 「胴懸け」が、イランから購入した絨毯。朱、黄、紺、白……。 煌びやかな配色が「鷹山」を美しく彩る。
織物だけではない。漆、組紐、染織……。京都に伝わる伝統工芸の粋が「鷹山」の随処に用いられて用いられている。復活に向けた動きを支えたのは、こうした京都の伝統工芸だった。
「鷹山」の水引を、昔ながらの手機(てばた)で織る「龍村美術織物」職人。
色鮮やかな組紐も山鉾を彩る大切な要素。専門の職人が丁寧に組み上げる。
昨年から今年にかけて、柱に黒漆塗が施された。ここにも京漆の技術の粋が光る。
196年ぶりの巡行復活とはいえ、「鷹山」は本来の姿には、まだ至っていない。屋根の黒漆拭き、飾り金具などの製作など、これから手を加えていかなければならない個所はまだたくさん残されている。しかし、巡行に復活したことは極めて大きな一歩といえる。7月24日午前9時前後。「鷹山」は今年も御池通にその姿を現す。新たな歴史を歩み始めた「鷹山」の艶やかな雄姿に、今年もまた大きな声援を送りたい。
巡行当日の朝、出発前に「鷹山」の拠点である三条室町西入ルで記念撮影。役員をはじめとする関係者は、裃に白足袋と正装。
巡行のハイライトは、山鉾を90度回転させる「辻回し」。10トンを超える巨大な山鉾を人力だけで回す。スムースに回転できると観客から大きな拍手が沸き起こる。
Photography by Yukiyo Daido
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