NHK大河ドラマ「光る君へ」を楽しんだ人の中には、『源氏物語』を読みたいと思われた方も多いと思います。原文は無理、まずは現代語訳からと思っても、たくさんあってどれを選んでいいかわからない、難しそう、という声が多く聞かれます。
そこで2024年『光る君へ言いたい放題レヴュー』を担当した、Premium Japan文学部在籍のM男とN子が、今度こそ読み切れる、おすすめの『源氏物語』現代語訳をレヴュー。それぞれの特徴をお教えいたします。参考になる関連本も合わせてご紹介しましょう。
読めば読むほど面白い、『源氏物語』の世界へどうぞ。
M男イチオシ。再構成されてダントツに読みやすい
田辺聖子『新源氏物語』
田辺聖子著『新源氏物語』上巻、中巻、下巻各990円 新潮社刊。電子書籍もあり。
M男さんがイチオシの現代語訳は、田辺聖子の『新源氏物語』。
『新源氏物語』というタイトルには意味があります。
通常「桐壺」、「帚木」、「空蝉」、「夕顔」……と54の巻が構成されているわけですが、田辺聖子は、物語の順番を「解体」し、読みやすく再構成しているから。
『源氏物語』では最初の巻「桐壺」で光源氏の母・桐壺更衣と帝の悲恋が描かれますが、田辺訳の最初は「眠られぬ夜の空蝉の巻」という章から始まります。
「空蝉」の巻は「桐壺」から数えて3番目。つまり、光源氏はもう成人している場面から始まるのです。少し見てみましょう。
「眠られぬ夜の空蝉の巻」冒頭より ────────────────────
光源氏、光源氏と、世上の人々はことごとしいあだ名をつけ、浮 わついた色ごのみの公達、ともてはやすのを、当の源氏自身はあじけないことに思っている。 彼は真実のところ、まめやかでまじめな心持の青年である。 世間ふつうの好色者のように、あちらこちらでありふれた色恋沙汰に日をつぶすようなことはしない。
帝の御子という身分がらや、中将という官位、それに、左大臣家の思惑もあるし、軽率な浮かれごとはつつしんでもいた。
(中略)
それなのに、世間で、いかにも風流男のようにいい做すのは、人々の(ことに女の)あこがれや夢のせいであろう。彼の美貌や、その詩的な生いたち――帝と亡き桐壺の更衣との悲 な運命が、人々の心をそそるためらしかった。
─────田辺聖子『新源氏物語』より
本来なら3巻目である「空蝉」から始まる田辺訳は、そこに光源氏の出生にまつわるエピソードを自然に盛り込んでしまうという、大胆な再構成をしているのです。
確かに、「桐壺」はスラスラ読めるのに、2巻目以降でペースが落ち始め、脱落してしまう方が多い。その理由としては『源氏物語』54帖が、はっきりと繋がっていることが把握しにくい物語であることに原因があります。
田辺聖子自身、少女のころから大の源氏物語ファンだったのは有名です。読み込んでいるだけあって、どこがどう面白いのか、難しいのかを熟知していたのでしょう。54帖を解体し、再構成することで、各巻がわかりやすく繋がり、物語を読みやすく、そして面白くしているのです。
難点があるとすれば、解体されているため、54帖の巻ごとになっていないので、順番に読んでいった人と話が合わないことくらい。でも54帖全体がどんな物語なのかは、しっかり理解できます。
もし『源氏物語』の現代語訳に何度も挫折しているのなら、おすすめしたいのが田辺訳。これなら絶対読み進められます。
N子イチオシ。『ベルばら』を読むように夢中になってしまう!
A・ウェイリー訳、毬矢まりえ、森山恵訳『源氏物語 A・ウェイリー版』
A・ウェイリー訳、毬矢まりえ、森山恵訳『源氏物語 A・ウェイリー版 1~4』各3,520円 左右社刊。電子書籍もあり。
N子が初めて読んだときの衝撃は凄かった。こんな源氏の現代語訳があるなんて! それまで読んだことのある、谷崎潤一郎訳や与謝野晶子訳、角田光代訳でもない、まるで新しい現代語訳だったのです。
1925年、世界で初めて『源氏物語』を英訳したイギリス人、A・ウェイリー。彼が英訳した『源氏』を、
当時の西洋の人びとにとって、日本の、それも1000年前の知識などあるわけもありません。でもこの物語を訳したい、伝えたいと考えたウェイリーは、注意深くひとつひとつを「ヴィクトリア調」にしていきました……。少し読んでみてください!
「桐壺/Kiritsubo キリツボ」冒頭より ────────────────────
いつの時代のことでしたか、あるエンペラーの宮廷での物語でございます。
ワードローブのレディ、ベッドチェンバーのレディなど、後宮にはそれはそれは数多くの女性が仕えておりました、そのなかに一人、エンペラーのご寵愛を一身に集める女性がいました。
(中略)
エンペラーのファーストプリンスは、右大臣の娘、レディ・コキデンの皇子。ゆくゆくは皇太子になると目され、みなにかしずかれていました。が、残念ながら、このたびご誕生の皇子ほどの器量ではありません。加えてエンペラーの彼女へのあの絶大ならご寵愛。エンペラーは心中、このプリンスこそ我が跡継ぎ、と思うのです。けれども無念なことに、どれほど愛そうとも、どれほどその人にグレートレディの気品があろうとも、彼女はパレスのエンペラーに仕えるほかのレディたちより、低い身分なのです。
─────
』よりウェイリー訳は、決して原文をないがしろにしているわけではありません。本当に注意深く、平安時代の舞台をイギリスの宮廷に模しています。原文の魅力を損なわせず、より物語が立ち上がり、まるで魔法にかかったように、私たちの心に深く入ってくるのです。
ワードローブのレディとは、桐壺更衣のことです。 そこには十二単ではなく、ドレスに身を包んだ貴婦人が目に浮かんでくるではないですか。よく見知っている「桐壺」が、ヴィクトリア王朝の宮廷の一場面のようです。
そして、ぐんぐんと物語の中に入っていける不思議。ページをめくる手がどんどん早くなります。ああ早く次が知りたい。レディは?エンペラーは?ヤングプリンスはどうなるの……?少女のころ、マンガ『ベルサイユのばら』を夢中になって読んだときのことを思い出します。あのときの興奮と没入感が、ウェイリー訳にはあります。
ウェイリー訳が素晴らしいと思う点に、中国文学への理解があります。紫式部は白楽天の『長恨歌』など、中国の先行文学を巧みに入れ込んでいます。ウェイリーは『源氏』の英訳をする前に、白楽天や李白などの中国文学の英訳を手掛けていたからでしょうか。元となる『源氏』を大切に思う気持ちを感じます。
ウェイリー訳が出版されたのは1925年(大正14年)のことです。ウェイリーは一度も来日したことはありません。独学で中国語、日本語を学んだ天才です。彼が『源氏』を英訳したおかげで、1000年も前に女性が書いた長編小説が日本にあるということを、世界が知りました。
そして毬矢まりえ、森山恵という姉妹が、新訳を手掛けてくださったことに感謝したい。私の本当に大好きな『源氏』。この没入感をぜひ、味わってみてください。
ほかにもおすすめ!『源氏物語』現代語訳リスト①
瀬戸内寂聴『
瀬戸内寂聴著『
M男さん的にもおすすめの現代語訳が瀬戸内寂聴版。「とてもきれいな文章で余韻も楽しめる」とのこと。時に脚色が色濃い部分もありますが、原文にもまあまあ忠実です。
角田光代版『源氏物語』の月報にエッセイを寄せており、そこで『源氏』に本格的に取り組んだのは70歳代に入ってから、と瀬戸内寂聴さんは語っています。「私の源氏訳は思いの外に成功した。具体的に言えば、九十五歳まで生きのびた私の経済的な面を支えているのは、ただ、源氏物語の訳業の報酬だけである」と。
それだけ多くの人が『源氏』をどうにかして読みたい、理解したいというあらわれだとも思いますし、瀬戸内寂聴ほどの多作の大作家にしても、『源氏』の現代語訳に収入を頼るのかということに驚きです。
ほかにもおすすめ!『源氏物語』現代語訳リスト②
角田光代『
角田光代著『
池澤夏樹個人編集の『日本文学全集』に収められている角田光代の現代語訳。Premium Japanでも角田さんのインタビューを実施しました。自分にはできないと思ったそうですが、大ファンである池澤夏樹さんからの依頼を断るわけにはいかないと、引き受けることにされたそう。
主語がなく、尊敬語、謙遜語、二重尊敬語が入り混じり、わかりにくいとされる『源氏』ですが、角田版は主語も入れ、現代の私たちが日常的に使う言葉で書くことを心がけたとか。おかげで現代の小説を読むようにスラスラ読めます。現代人が現代の言葉のリズムのまま、読み切れる工夫がされています。
(角田さんインタビューはここをクリック 角田光代インタビュー前編/ インタビュー後編 )
今回大河ドラマ「光る君へ」の放送のたびに注文が殺到していたとか。角田源氏なら読み切れると思った本好きが多いことがわかります。
ほかにもおすすめ!『源氏物語』現代語訳リスト③
谷崎潤一郎著『
もっとも原文に近い。とてもきれいな、雅な雰囲気を一番まとっている。でもその分手ごわい……それが谷崎源氏の特徴です。谷崎潤一郎の『春琴抄』や『盲目物語』など、古典に材を取った作品がお好きならイケるかな……。N子的には、谷崎は源氏訳を手掛けたことで『細雪』が書けたのでは?と思っています。『細雪』の文体は源氏訳をやったことによって得たのでは、と言われているのです。『細雪』ファンのN子としては、谷崎源氏も読んでみて、その雰囲気を楽しんでほしいです。
谷崎は生涯で3度、源氏訳を手掛けています。瀬戸内寂聴が『源氏』の現代語訳が収入に大きな影響があったことを告白していますが、おそらく谷崎にしてもそう。小説家に影響を与え、かつ財政状況をも変えてしまう、『源氏物語』の現代語訳という仕事。本当に手ごわい作品なんだと思います。
ほかにもおすすめ!『源氏物語』現代語訳リスト④
林真理子『
林真理子著『小説源氏物語 STORY OF UJI 』737円 小学館文庫。
宇治十帖が好き!という人も多いのですが、その反面、それまでの華やかさが薄れ、暗い印象を持つ宇治十帖。私も宇治十帖は苦手だったのですが、これはいい!と思ったのでご紹介します。
林真理子は『六条御息所 源氏がたり』、そしてこの宇治十帖にフォーカスした『小説源氏物語 STORY OF UJI 』を手掛けています。田辺聖子訳のように、『源氏物語』を解体し、再構成した作品です。
私はウツな雰囲気満載の宇治十帖が苦手だったのです。でもこの宇治十帖はいいと思いました。薫の、自分が持っているらしい後ろ暗い出生の秘密と、女性への冷徹なまなざしなど、読んでいると宇治川の冷たい水に足を浸しているような、そして心まで冷たーくなるのを感じます。雅さは薄いけれど、でもそのクールさがいい。
宇治十帖はあまり好きじゃないという方にも一読をおすすめしたい、そんな作品です。
『源氏物語』の世界をもっと深くする、関連本レヴュー①
山本淳子著『平安人の心で「源氏物語」を読む』
山本淳子著『平安人の心で「源氏物語」を読む』1,650円 朝日選書刊。電子書籍もあり。
こんなアンチョコ(死語?)が高校生のとき欲しかった……と、N子は思いました。第1帖の「桐壺」から第54帖「夢浮橋」まで、各巻のあらすじがコンパクトにまとめられ、その巻での出来事、メインテーマを解説してくれています。
章立てもわかりやすいのです。第一章光源氏の前半生、第二章光源氏の晩年、第三章光源氏の没後、第四章宇治十帖と、『源氏物語』54帖を、大まかに区切ってあるので、俯瞰してみることができます。
たとえば「一 平安人の心で「桐壺」を読む」では、あらすじのあとに、「後宮における天皇、きさきたちの愛し方」が書かれています。天皇の結婚システムの解説です。『源氏物語』が書かれた当時の後宮の様子と合わせて説明されています。
山本淳子さんの解説が「光る君へ」のストーリーと合致する点が多く、NHKのプロデューサーさんたちや、もしかしたら大石静さんも参考にされたのでは?と思ってしまいました。
参考書として読むこともできますし、現代語訳に挫折してしまったけれど、どんな物語なのか全体像が知りたい、というワガママさんにもおすすめします。
『源氏物語』の世界をもっと深くする、関連本レヴュー②
倉本一宏著『紫式部と藤原道長』
倉本一宏著『紫式部と藤原道長』1,320円 講談社現代新書刊。 電子書籍もあり。
倉本一宏さんと言えば、「光る君へ」で時代考証を担当された方。歴史家らしく、内容は古記録から読み取れる確実な事実を重んじ、不確実なことは明確に分けて考えることを旨とされています。
平安時代の研究者として、大河ドラマの主人公に紫式部と道長がなることが決まったときは喜んだものの、ストーリーが独り歩きして、ドラマで描かれるような人物であったと誤解されたくない、とはっきりと書いてありました。
時代考証をする立場として、まひろが代書屋をやるって聞かされたときは驚いただろうなあ、と思ってしまいました。
内容は、紫式部と道長の生い立ちから、結婚、花山天皇、一条天皇のこと、『源氏物語』の成立過程から、ふたりの晩年までが書かれています。紫式部の研究は、平安時代を研究する日本文学の研究者もずいぶんたくさんやってきていますが、倉本先生はその研究内容についてはかなり手厳しいのです。歴史研究者と文学研究者とでは見解がまるでちがうことも多いことを知りました。
『源氏物語』、そして「光る君へ」という、ふたつのフィクションを前に、この本は、事実を積み上げ、フィクションに光をあてていく役割をしています。がっつり勉強した気分になりますが、決して難しいわけではありませんのでご安心を。
平安時代の実際をここでさらってから「光る君へ」を見ていたので、ドラマでは描ききれなかった史実を知ると、さらに興味深く見ることができました。
「光る君へ」言いたい放題レヴュー完走御礼
日本文学科出身のM男とN子が、ひょんなことから「光る君へ」のレヴューを毎週やろうということになって1年経ちました。まさか本当に完走できるとは。私たちも驚いています。
途中くじけそうになることは数度ありましたが、文学好きや、歴史好きの読者がたくさんいらっしゃること、このレヴューを楽しみにしてくださっていると言われることも日に日に増して、なんとか最終回を迎えることができました。
Premium Japan文学部としての活動は休憩に入りますが、近々、文学好きの集まる読書会などを開催できたらいいなあと、N子はまた激しく妄想しております。
これからも折りに触れ、ライトに文学を楽しむ機会を設けられたらうれしいです。1年間お付き合いいただき、本当に有難うございました。
「光る君へ」言いたい放題レヴューとは……
Premium Japan編集部内に文学を愛する者が結成した「Premium Japan文学部」(大げさ)。文学好きにとっては、2024年度の大河ドラマ「光る君へ」はああだこうだ言い合う、恰好の機会となりました。今後も編集部有志が自由にレヴューいたします。編集S氏と編集Nが、史実とドラマの違い、伏線の深読みなどをレビューいたしました!
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